イエス当時の背景 | 統一原理の生活化

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「イエス当時の歴史的背景」


政治的背景


イエス様が誕生されたユダヤの国は、ローマの属国でした。ローマの支配下、良く言うと保護下にあり、ユダヤはローマに税金を納める関係でした。


ユダヤ民族は、バビロン捕囚後、ギリシャ(アレクサンダー大王)に支配され、その後プトレマイオス王朝(エジプト)、セレウコス王朝(シリア)に支配されました。マカベア家のユダが反乱し、マカベア王朝として独立。


100年後に王位継承問題で国内が二分し、その調停の名目でローマが保護(支配)。ローマをバックにヘロデがエルサレムを制圧し、国を平定しました。


ヘロデはギリシャ、ローマ文化を取り入れ、血税で宮殿建設、神殿改築しました。


ユダヤ人はローマとヘロデと神殿への三重税を払わされることになります。聖書ではマタイという取税人が出てきますが、取税人が人々から嫌われていた理由はここから来ています。


宗教的にはローマは多神教国家であり、ユダヤは唯一神を信仰していました。話はそれますが、本来イエス様が処刑されずに、ローマに教えを伝えていかれたら、多神教のローマはイエス様を迫害することはありませんでした。


ちょうど今の日本のように、宗教的には寛容でした。キリスト教がローマで迫害されたのは、政治的な背景があったのです。


宗教的背景


ユダヤ教は大きくパリサイ派、サドカイ派、エッセネ派に分かれていました。パリサイ派は律法学者が占め、地方に多く、形式的な信仰が強くありました。サドカイ派は大祭司が占め、中央に多く、権威主義がはびこっていました。


この二つの派が最高評議会を作り、ローマから自治権と裁判権が認められていました。しかし「死刑執行権」はローマにしかありませんでした。


ですから、裁判にかけられたイエス様はローマの裁判では死刑になる罪状は認められず、結果的にユダヤ民衆によって、不法に処刑されたのです。


もう一つのエッセネ派は宗教的敬虔を求め、終末観を抱き、禁欲主義でメシヤを待望していました。このエッセネ派の影響をイエス様も洗礼ヨハネも受けて育ちました。


この三つの派が大衆である漁夫や取税人などを指導する立場にあったのです。この派の他にも熱心党(ゼロテ)という反ローマの過激派もいました。


このような背景を知った上で、聖書を読むと、より話が理解しやすいかと思います。




補足:エッセネ派系の修道院跡が1947年にパレスチナのクムランで発見されました。そこで「死海文書」の写本が見つかり、20世紀最大の発見と言われています。


エッセネ派はパリサイ、サドカイ派からは異端視されていました。


洗礼ヨハネはエッセネ派の影響を受け、①形式的律法遵守より、真の信仰②救いは外敵を滅ぼす事ではなく、洗礼を通して内的悔い改めから始まる③今が終末、神の国、メシア来臨の時だと考えていました。



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