舟唄 八代亜紀
7月にブログを再開して、早半年
いよいよ、今年もあと1日
今年最後の記事アップです。
大晦日にふさわしい曲をと考えてみましたが、
クリスマスソングの多種多様さに比べて、あまり思い浮かびません。
やっぱり「風雪ながれ旅」か「舟唄」かな。
どっちも紅白絡み、
「風雪ながれ旅」は今年も歌うようですね。
「舟唄」は、高倉健と倍賞千恵子が共演した「駅STAION」での有名なシーン。
紅白歌合戦で八代亜紀が「舟唄」を歌っているのを、増毛の店で見ながら、
高倉健に倍賞千恵子が寄り添い、大晦日の一夜を過ごすのでした。。。。
健さんが「樺太まで聞こえるかと思った」ほどの熱く激しい夜を
舟唄 昭和54年
http://www.youtube.com/watch?v=C1GATyFEcqQ
作詞・阿久悠
作曲・浜圭介
♪
お酒は ぬるめの燗がいい
肴は あぶったイカでいい
女は 無口なひとがいい
灯りは ぼんやり灯りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌い出すのさ 舟唄を
沖の鴎に 深酒させてヨ
いとしあの娘とヨ
朝寝するダンチョネ
夜の歌謡演歌・女唄の多かった八代亜紀が歌った新境地の男唄。
途中に入るダンチョネ節が、しみじみと沁みます。
この時の紅白は昭和54年で、八代亜紀が初の大トリ。
感無量って表情です。
対戦相手は五木ひろし「おまえとふたり」
代表曲同士の対決だったんですね。
昔の紅白歌合戦は、紅白の対決色が鮮明
それが紅白の司会にも、応援合戦にも、ひいてはお茶の間の視聴者にも伝わり、
歌自体の楽しみにプラスしての高揚感がありました。
ダンチョネ節といえば、小林旭の曲が思い浮かびます。
ダンチョネ節の原曲は、神奈川県三浦の民謡
それを元にした替歌が多く歌われ、こんな唄も歌われていたとか。
♪
沖の鴎と飛行機乗りは
どこで散るやらネ
はてるやら
ダンチョネ
昭和35年、作曲家の遠藤実、作詞家の西沢爽、コロムビアのディレクター馬淵玄三の3人が、
小林旭に歌わせたら、きっとヒットすると見込んで、
新たに作り直したのが、「アキラのダンチョネ節」
見事にその計算は当たり、大ヒット。
以後、「アキラのズンドコ節」など小林旭のいわゆる俗謡シリーズにつながりました。
ところで、八代亜紀の「舟唄」の歌詞は、
美空ひばりが歌うことを想定して阿久悠が書いたものでした。
その歌詞を目にした浜圭介は、そのことを知らずに曲を付けたのですが、
やはり、美空ひばりを頭に浮かべて作ったのでした。
しかしひばりが歌うことはなく、前川清、大川栄策らにも声が掛かるも実現せず
曲が出来てから1年間歌い手不在だったとか。
で、たまたま八代亜紀の新しい面を出す企画があり、この曲はどうだろうと
お蔵入り状態だった「舟唄」がやっと陽の目を見ることになったのでした。
こんなにヒットした曲なのに、生まれは難産だったんですね。
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