『本牧メルヘン』 鹿内孝
『本牧ブルース』 ゴールデン・カップス
鹿内孝は1960年代、ロカビリー歌手として日劇でウエスタン・カーニバルに出場していた大スター。
その時の名前は、鹿内タカシ。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツが、鹿内タカシのバックバンドを務めていました。
鹿内タカシのブルーコメッツに対する指導は厳しいものがあった。
しかし厳しくしごいた後は、メンバーを六本木で食事をおごり、車代を渡していたそうです。
1972年(昭和47年)、キャニオン・レコードから『本牧メルヘン』を発表しました。
このときから、名前を鹿内孝と変更。
♪
本牧で死んだ娘は鴎になったよ
ペットのブルースに送られて
踊るのが大好きと言ってたあの娘が
さびしさに耐えかぬて死んだのさ
ジョニーもスミスも 泣くのを忘れて
海鳴りに向かって歌っていたよ
本牧で死んだ娘は鴎になったよ
なぜかしら誰でもがそう思う
『本牧メルヘン』 鹿内孝
http://www.youtube.com/watch?v=RmnKd3qsGLs&feature=player_embedded#
作詞・阿久悠 作曲・井上忠夫
この『本牧メルヘン』が、キャニオン・レコードにとっての初ヒット曲になりました。
この後には、山本リンダの一連のヒット曲がキャニオンから発売されています。
井上忠夫はブルーコメッツのボーカルでしたから、面白い関係です。
作曲家に転身した直後でしょうか。
本牧は横浜にある地名で、この当時は米軍基地があった。
アメリカ文化の発信地でもあったようです。
阿久悠の詞は、日本でありながらアメリカ的な土地を舞台に、
無国籍的な雰囲気を表して、少女の死の曲であるのに、湿っぽさが感じられません。
死んだ娘がカモメになるというのは幻想的でもあり、
トランペットで送られるのも日活無国籍映画のようです。
この辺が、メルヘンの所以ですね。
また、流れる口笛が、格好良いです。
そういえば、横浜で結成されたR&Bのグループサウンズの「ゴールデン・カップス」は、本牧のレストラン・クラブ、ゴールデン・カップを拠点に活動していました。
ゴールデン・カップスにも、『本牧ブルース』というソウルフルな名曲があります。
♪
知らない同士でも 心がかよう
何んにも言わないで 抱きしめあおう
それでいいじゃないか 愛しているなら
『本牧ブルース』 ゴールデン・カップス
http://www.youtube.com/watch?v=YPvUcAI4_C0&feature=player_embedded
作詞・なかにし礼 作曲・村井邦彦
なかにし礼の歌詞は、刹那的には聞こえます。
さっき本牧のバーかどこかで、知り合った名前も知らない男と女。
それでもいいじゃないと歌っています。
これが銀座、六本木あたりでは、もう少し遠まわしに口説くのかもしれません。
ここでは、かなりストレートです。
昨年亡くなったデイブ平尾のしゃがれ声が、なお更にこの歌の雰囲気を表しています。
この知らない者同士の恋は、同じく、なかにし礼作詞の『北酒場』でも、歌われています。
♪ 今夜の恋は タバコの先に 火を点けてくれた人 ♪
こちらは、もうちょっと遊び人風な感じです。
本牧という土地には、日本的ではない、
切なく洒落た格好良い曲を生み出す魅力を持った場所でした。
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