広汎性発達障害の診察ができるかどうかの調査 | kyupinの日記 気が向けば更新

広汎性発達障害の診察ができるかどうかの調査

精神科病院に、広汎性発達障害の診察ができるかどうかの調査が来ることがある。

広汎性発達障害は、どこの精神病院でも結果的に診ているが、「広汎性発達障害の診察ができるかどうか」と問われると、どのように答えて良いか困る。

普通、精神科病院では、古典的精神疾患を多く診ているということもあり、「広汎性発達障害を診る」と積極的にはアピールして良いほど、マンパワーはないのが普通である。


一般の精神病院では本来、広汎性発達障害を想定しないで建てられているので、施設的にも対処しにくくなっている(広汎性発達障害を診るためには全体の個室率が高い方が良い)。(参考

積極的にアピールしないのは、種々の要因がある。

従って、広汎性発達障害は積極的には受け入れていない病院に登録しておく。(実際は登録という感じではないのだが)。

県内では、○○病院と△△病院・・が児童思春期を診ているといった感じで、なんとなく「住み分け」のような状態になっている。だから、どこにかかれば良いかわからなければ、保健所や精神保健センターに相談すると、そのタイプの精神科病院を教えてくれる。

一部の精神科ないし心療内科クリニックは、広汎性発達障害をメインに診ているところもあるが、予約しても数ヶ月待ちのことが多い。それだけ患者さんが多いのである。

古いタイプの精神科病院で、広汎性発達障害を積極的に診ようとしないのは、種々の理由がある。その1つは、外来だけならまだしも、入院時に大きなトラブルに見舞われかねないためである。一般の感覚では信じられないことが起こる。この問題は結構、切実なものである。

例えば、簡単な例を挙げると、

燃えるゴミと燃えないゴミの選り分け。アスペルガー症候群の患者さんから、「燃えるゴミと燃えないゴミを同じゴミ箱に捨てるのはおかしい」などの苦情が来る。こちらは「長期入院の患者さんは選り分けが無理なので、1つのゴミ箱に捨てて貰い、後でこちらで選り分けているので問題ない」くらいに対応するが、これが彼らには納得できない。

病院なら、入院患者は訓練しても、そのくらいできるようにさせるべき!

と訴えるが、それが患者さんには難しいからそうしているのである。不完全な選り分けだと、後で確認が必要なので手間はほぼ同じである。これは入院患者さんが一般に言う苦情とは異なっている。普通、選り分けない方が選り分けるより楽だから。

また、携帯電話の問題。

携帯電話は日中は使っても良いが、夜間はナースルームに預かるルールになっている。(このルールは病院による。携帯やパソコンが持ち込めない病院もある)。

ところが、これが気に入らないらしく、「病院のルールがおかしい」「もし個人情報が漏れたら、どう責任を取るんですか?」などと半ば脅迫的に苦情を言うが、そんなことを言うのであれば、最初から携帯を持ってこないでほしい。「全く許可しない」厳格なルールではなく、その辺りまで配慮した結果がそのローカルルールになっているからである。

また、ある入院中の女性患者さんがうっかり携帯番号とメールアドレスを教えたために、その患者が退院後、毎日何回も電話がかかってくるは、メールが大量に来るはで大変なことになった。(完全にストーカー行為)。

このタイプの苦情は統合失調症の人ではほぼないと思われるトラブルである。

アスペルガー症候群の人たちから、「自分たちの障害は、単に特殊な意見を持っているだけの集団?では」という質問があるが、これこそ、まさに想像性の欠如を反映している。

上に出てきた病棟内のトラブルは、病院内だからこのくらいで済んでいるが、一般社会では到底通用しない。ゴミ箱の話が理解できないような人は、例えば深夜に歯科医を叩き起こすような行動をとる。なぜそのようなことをしたかと聞くと、「いつでも悪いときに来て良い」と言われたからと言うが、その歯科医にとっては想定外であろう。

このような行動は、特に会社勤めだと、上司から厳重に注意されるか、叱責されるようなことである。電話やメールの被害は、警察沙汰になってもおかしくはない。

また、広汎性発達障害は個性という言い方をされることがあるが、1日に大量のメールを送りつけることや、深夜に歯科医を叩き起こすなどの行動は、「個性」と言う言葉は、日本語の使い方として間違っている。むしろ、想像性の欠如、心の理論が十分には獲得されていないことから来る部分がほとんどと思われる。

また、広汎性発達障害の人の2次障害とかいじめなどのフラッシュバックに一元的に解釈することは、彼らの自己中心的な被害者意識を増長させる。

これは全てが2次障害ではなく、2次障害で説明出来る精神症状や行動もあるといったところであろう。

元々、こだわり、愛着などの問題が大きいストーカー事件とか、女性に対する強姦、幼児に対する猥褻行為などは、性器に対する奇妙な興味が昂じたことから生じている。いじめのフラッシュバックなんてほとんど関与していない。これらを2次的なものと説明するのは、歪んだ認知の肯定、受容になってしまう。これらは決して治療的とは言えないだろう。

これらは、説明しても自分たちのやり方の方が正しいと訴え、容易に考えを改めない。これこそ、彼らの疾患性であり、単に「特殊な意見を持った人々」とは大きく異なる点である。また、彼らの社会的困難さも反映している。だいたい、本人であれ、家族から連れて来られた人であれ、何らかの理由がないと精神科病院にかからない。

彼らが、「社会の方が間違っている。非常識だ。」と結論付けるのも判断がおかしい。常識を疑うのは非常識な人間だけである。(参考

これは、いっそう一般社会から弾き出される思考パターンと言える。

精神科病院からみると、全体のうちごく一部が広汎性発達障害の患者さんであれば入院治療も可能かもしれないが、このような人ばかりだと、他の患者さんを含めた全ての人の入院治療が成り立たない。

入院時の処遇で困ることがよくある上、看護師もこのタイプのクレームには付いていけないというか、対処に悩むことなので、少数ならまだしも、このような人ばかりだと、病棟が大混乱に陥る。まずくすると正看護師が辞めてしまうであろう。

正看護師が精神病院はこのようにストレスフルな職場なのか?と辞めてしまうと、今の看護師不足の時代、困ったことになる。募集が容易ではないからである。

精神病院に自然に住み分けが生じるのは、仕方がないと思う。

病院によれば、初診時に厳しい院内のローカルな規則というか縛りを伝え、「このような病院に入院するのは到底無理だ」と帰ってもらうようにしているところもある。これは実質的に「広汎性発達障害はお断り」と言う意思表示でもある。

その理由は、それが最も円満な解決策だからである。

参考
精神疾患と社会とのかかわり
異常感覚や異常体験の規模が変わる