精神疾患と社会とのかかわり | kyupinの日記 気が向けば更新

精神疾患と社会とのかかわり

82投稿者:kyupin  投稿日:07月25日(火)18時29分03秒

精神科ほど社会的なもの(文化、法律、経済)とのかかわりが大きい科はないだろう。僕が精神疾患の診断・治療は、決してオカルト的なものではなくサイエンスだと書いたことがあるが、一見、これと矛盾しているように見える。診断は非常に生物学的で、将来は遺伝子レベルで理解できるようになるかもしれない。診断・治療はとても理詰めで、それこそ数学、物理など自然科学に通じるものがある。


一方、精神疾患自体の評価は社会環境が大きく影響している。例えば、ある70歳くらいの男性がいて、生物学的に統合失調症であったとする。しかしその人が一度も精神科にかからず、少し変わった人と思われているくらいで、運転手として家族を養い一生を終えたとする。社会的には病気はなかったに等しい。この場合、医師がわざわざ「あなたは統合失調症ですよ」言うことは決してないし、僕たちもそういうことに関心はない。


つまり現代社会では精神疾患は社会とのかかわりが非常に大切だ。病気があったとしても、そう思われないケースもある。例えば家業が商店で、奥さんに店をまかせて自分はひきこもり状態、いつもぼんやりしている、などだ。この場合、統合失調症による軽度の欠陥症状が存在しているが、家族からは性格と思われている。精神科では、自分または家族、周囲の人々が困る状態であれば、それは病気であると言える。


アルコール依存症の場合でも、ただの大酒家とどこが違うのか? 例えば毎日4合ぐらい酒をのんでいたとして、毎日出勤し周囲に迷惑もかけず、肝臓も壊すことがなければ精神疾患があるとはいえない。一般の人の感覚も同様と思う。一方2合程度しか飲まなくても、飲んだあと妻に暴力をふるうとか会社を何日も無断欠勤する、仕事中酒臭くて困るならば、それは精神疾患として扱って良いだろう。人よると、酒を飲むとどうしても飲酒運転をしてしまう人もいる。これも上と同じようなものだ。


飲酒量が問題ではない。この意味で精神疾患は社会的な要素が高いといえる。例えば今この状態は病気と言えるが、100年前ならば病気と扱われなかったようなものもある。余談だが、一般に統合失調症の場合、社会的に地位が桁外れに高いケースでは、あまり病気が問題にならない傾向はある。桁外れに高い地位とは、大学教授や風見鶏的な会社オーナーとか作家や画家などである。彼らは周囲の者が合わせてくれるので、まあマイペースでやれるというか、ちょっと変わった人だけど・・くらいで済んでしまうのである。

2000年頃の過去ログから。統合失調症に置換、少しだけ加筆)