研修医時代の夏休み
僕の卒業した頃の研修医は夏休みが2週間与えられていた。しかし原則として2週間連続では取れない(新婚旅行などの特別なケースは可)。
その夏休みは概ね7月上旬から9月30日までに取らないと消滅するのである。今日は9月30日なのでまさに最終日であった。
たいてい1週間ずつ前半、後半に分けて休暇を取り、その不在の間は同期の友人が入院患者さんを診ておく。その間は、患者さんも夏休みといった感じである。だから、この時期は積極的には入院を勧めなかったように思う。スタッフが特に手薄になるからである。
研修医のような下っ端は外来患者は持つことはないので、外来患者さんは問題にならない。研修医は外来に行った時は主に雑用をしているのである。また、ポリクリの学生がやってくる時期は、上の先生の指導を手伝ったり、ポリクリ学生の突飛な質問に答えたりするが、たまに嘘を教えてしまうのはやむを得ない。
それでも、たまに上の先生のやや高度なお喋りに付き合い、
ふーん・・なるほど・・
と聴いているが、知識的にも経験的にもあまり身にならないものであった。当時のそのタイプの話は僕は妙に憶えており、どれが正しくてどれが大嘘だったかは今でも評価できる。
過去ログでは当時の経験が断片的に記事の中やそのコメント欄で出てくる。興味のある人は探してみると結構、面白いのではないかと思う。
研修医時代、夏休みに旅行に行くという発想がなかった。だから当時の夏休みは今考えても碌なことはしていない。
最初の夏休みは、○○病院の院長が死ぬかもしれないので応援に行ってほしいとオーベン(指導医)から言われ、収入もあるので悪い話ではないと思い1週間詰めて行った。当時はバイト代が激安であり、ボランティアに近かったが、学生から医師になったばかりだったので、それでも大金である。当時、死ぬかもしれなかった院長は手術が上手くいったこともあり、その後も長生きされた。
その後の夏休みもどうも偶発的な病気による入院で潰れてしまい、ほとんど遊んだ記憶がない。
僕の他科に行った友人はもっと有意義にすごしていた。ある友人は丸1週間、パチンコ屋に詰めており、研修医のストレスを一気に解消したと言っていたが、僕のように入院しているよりは100倍マシである。
研修医を終えて関連病院に移動すると、夏休みのルールが曖昧になる。年休があるが、赴任した当初はたいして取れない。(あったかどうかも記憶にない)ひょっとしたら1週間の夏休みがあったような気もする(友人と一緒に船で遊びに行った記憶が微かにある)。
当時の国公立の病院はのんびりしており、新患もあまりない上、仕事もあまりなかった。
しかしリエゾンでその県の中核病院行ったところ、別世界のような過酷な環境が存在していた。ちょうど大学時代の友人(今までブログに出てきていない人)が研修をしており、テキパキ働いていたが、既に内科、外科の臨床経験において、うめ難い差が存在していると言えた。
ある時、僕の統合失調症の患者さんが脳炎ないし髄膜炎が十分に疑われる状態を呈していた。しかしあまりにも暴れており、容易に髄液穿刺すらできない。その友人に電話連絡すると、連れて来てくれと言う。そこで男性看護師さんにも手伝って貰い、その総合病院に連れて行ったのである。
着いてすぐ彼は手際よく髄液穿刺を行い、あっという間に髄液をプレパラートに載せ、顕微鏡で観察した。あの暴れる患者さんにいとも簡単に髄液穿刺を行なっていることが素晴らしいと思った。彼が、
○○君、見てごらんよ!
と言い、顕微鏡を見せてくれたのである。彼女は髄膜炎を併発していたのであった。
今から考えると、統合失調症の人に髄膜炎の併発はかなり珍しいのではないかと思う。その日以来、同じようなことに遭遇していない。当時、その友人には数年ぶりに会ったのだが(あの脳外科の友人の最も親しい人)、そこまで親しいとは言えなかった。
やはり友人というものは、遠い場所で会うのは良いものだと思う。
その患者さんの髄膜炎は後遺症を残さず完治した。その友人は社交辞令的なものもあろうが、髄膜炎を疑ったという点で、医師としては十分と言った感じであった。(統合失調症の人の精神症状の悪化と発熱は、精神科医は普通、悪性症候群を疑う。多分そういう意味)。
その総合病院のリエゾンでは、患者さんよりむしろ職員の病状を診てほしいと言う依頼が多かったような気がする。やはり一般患者さんが多いのであるが、職員の数もバカにならなかったのである。
その総合病院の若手医師は普段が大変なので、3週間以上夏休みがとれるようであった。休む時は徹底して休める環境なのである。
僕はその後、その病院に負けないくらい過酷な環境の総合病院に移動したが、そこではなんと夏休みすらなかった。年中働き詰めである。
ボスにこの病院は一体どうなっているのか聞いてみた。
タコ部屋に入れられないだけマシ。
それが答えだったのである。
その夏休みは概ね7月上旬から9月30日までに取らないと消滅するのである。今日は9月30日なのでまさに最終日であった。
たいてい1週間ずつ前半、後半に分けて休暇を取り、その不在の間は同期の友人が入院患者さんを診ておく。その間は、患者さんも夏休みといった感じである。だから、この時期は積極的には入院を勧めなかったように思う。スタッフが特に手薄になるからである。
研修医のような下っ端は外来患者は持つことはないので、外来患者さんは問題にならない。研修医は外来に行った時は主に雑用をしているのである。また、ポリクリの学生がやってくる時期は、上の先生の指導を手伝ったり、ポリクリ学生の突飛な質問に答えたりするが、たまに嘘を教えてしまうのはやむを得ない。
それでも、たまに上の先生のやや高度なお喋りに付き合い、
ふーん・・なるほど・・
と聴いているが、知識的にも経験的にもあまり身にならないものであった。当時のそのタイプの話は僕は妙に憶えており、どれが正しくてどれが大嘘だったかは今でも評価できる。
過去ログでは当時の経験が断片的に記事の中やそのコメント欄で出てくる。興味のある人は探してみると結構、面白いのではないかと思う。
研修医時代、夏休みに旅行に行くという発想がなかった。だから当時の夏休みは今考えても碌なことはしていない。
最初の夏休みは、○○病院の院長が死ぬかもしれないので応援に行ってほしいとオーベン(指導医)から言われ、収入もあるので悪い話ではないと思い1週間詰めて行った。当時はバイト代が激安であり、ボランティアに近かったが、学生から医師になったばかりだったので、それでも大金である。当時、死ぬかもしれなかった院長は手術が上手くいったこともあり、その後も長生きされた。
その後の夏休みもどうも偶発的な病気による入院で潰れてしまい、ほとんど遊んだ記憶がない。
僕の他科に行った友人はもっと有意義にすごしていた。ある友人は丸1週間、パチンコ屋に詰めており、研修医のストレスを一気に解消したと言っていたが、僕のように入院しているよりは100倍マシである。
研修医を終えて関連病院に移動すると、夏休みのルールが曖昧になる。年休があるが、赴任した当初はたいして取れない。(あったかどうかも記憶にない)ひょっとしたら1週間の夏休みがあったような気もする(友人と一緒に船で遊びに行った記憶が微かにある)。
当時の国公立の病院はのんびりしており、新患もあまりない上、仕事もあまりなかった。
しかしリエゾンでその県の中核病院行ったところ、別世界のような過酷な環境が存在していた。ちょうど大学時代の友人(今までブログに出てきていない人)が研修をしており、テキパキ働いていたが、既に内科、外科の臨床経験において、うめ難い差が存在していると言えた。
ある時、僕の統合失調症の患者さんが脳炎ないし髄膜炎が十分に疑われる状態を呈していた。しかしあまりにも暴れており、容易に髄液穿刺すらできない。その友人に電話連絡すると、連れて来てくれと言う。そこで男性看護師さんにも手伝って貰い、その総合病院に連れて行ったのである。
着いてすぐ彼は手際よく髄液穿刺を行い、あっという間に髄液をプレパラートに載せ、顕微鏡で観察した。あの暴れる患者さんにいとも簡単に髄液穿刺を行なっていることが素晴らしいと思った。彼が、
○○君、見てごらんよ!
と言い、顕微鏡を見せてくれたのである。彼女は髄膜炎を併発していたのであった。
今から考えると、統合失調症の人に髄膜炎の併発はかなり珍しいのではないかと思う。その日以来、同じようなことに遭遇していない。当時、その友人には数年ぶりに会ったのだが(あの脳外科の友人の最も親しい人)、そこまで親しいとは言えなかった。
やはり友人というものは、遠い場所で会うのは良いものだと思う。
その患者さんの髄膜炎は後遺症を残さず完治した。その友人は社交辞令的なものもあろうが、髄膜炎を疑ったという点で、医師としては十分と言った感じであった。(統合失調症の人の精神症状の悪化と発熱は、精神科医は普通、悪性症候群を疑う。多分そういう意味)。
その総合病院のリエゾンでは、患者さんよりむしろ職員の病状を診てほしいと言う依頼が多かったような気がする。やはり一般患者さんが多いのであるが、職員の数もバカにならなかったのである。
その総合病院の若手医師は普段が大変なので、3週間以上夏休みがとれるようであった。休む時は徹底して休める環境なのである。
僕はその後、その病院に負けないくらい過酷な環境の総合病院に移動したが、そこではなんと夏休みすらなかった。年中働き詰めである。
ボスにこの病院は一体どうなっているのか聞いてみた。
タコ部屋に入れられないだけマシ。
それが答えだったのである。