20歳前の人なら、まずは25歳くらいまでに良くなれば | kyupinの日記 気が向けば更新

20歳前の人なら、まずは25歳くらいまでに良くなれば

ヒトはなぜか歳をとるにつれて時の感覚が加速するようだ。子供の頃は確かに時間が経つのが遅かった。

僕は高校2年の夏、3ヶ月近く入院している。6月の上旬から8月中ずっと入院していたのだが、それ以前も良く休んでいたので、丸々3ヶ月以上何もしなかった感じだ。当時の話はプロフィールの中で触れている。

最初はすぐに帰れると思っていたので、参考書などは持って行かなかったが、そのうち、あまりの治りの悪さに呆れ、そんなことはどうでも良くなった。

実は夏休み前に、親しい友人たちは近畿予備校に勉強に行くという話であった。まあ合宿みたいなものだ。ところが、自分はそれどころではない。また、進学校なので、夏休みに例えば英語のリーダーの本などの宿題が出る。丸1冊とかである。まあこれは、入院しているのでやらないでも免罪されると思っていた。

宿題以外にも夏休み中、課外授業があったが、これは元々参加していなかった。進学校でも公立高校は優れた先生は少ない。だからこそ、友人たちは近畿予備校まで出かけたのである。

実は課外授業を受けないという決断は相当にプレッシャーがかかるもので、教師からは良くは思われなかった。任意と言いつつ強制と言っても良かった。また公立なのにお金(経費など)も取られるのである。また、「お前らのために早起きしないといけない」などと愚痴も聞かされた。ある教師によれば、早朝の課外授業のために早起きすると、1日とても疲れるらしい。

これは確かに・・であった。子供だって疲れるのにオッサンだと尚更である。

当時、近畿予備校なる予備校は僕は知らなかったが、当時、京都大学に最も多くの合格者を出す予備校だったらしい。かといって、友人の皆が京都大学を受けるために出かけたわけではなかった。単に言い出しっぺの友人が京都大学が第一志望だったからである。皮肉なことに、その時京都まで出かけた友人のうち彼だけ現役で不合格になった(参照)。

彼は翌年、京都大学ではないが合格し、今は彼の子供も国立大学医学部に合格している。子供が成長するのは早い。

自分の話であるが、入院中、焦るとかそういうのはあまりなかった。これはなるようにしかならない、といった感じだ。これは現在、患者さんを治療する際の心構えと同じである。

退院した時、模試の成績がさんざんだったが、ここで少し焦ったのか、今考えると妙なことをした。なんと数Ⅲのチャート(参考書)をやり始めたのである。当時、高校の数学は数Ⅰ、数Ⅱb、数Ⅲに分かれており、まだしなくて良いものを始めたと言えた。

数Ⅲを先に終わらせれば、他の勉強をする余裕ができると勘違いしたとしか言いようがない。これは結果的に良くはなかったと思うが、それでも2年次の12月頃には、全般の遅れは取り戻した感じにはなった。

当時、思ったことは病気で夏休みくらいを丸々潰しても、そう大きな差にはならないこと。これは3年次にも同じことを感じた。予備校にまで行っても、効果的に勉強をするのはあんがい難しいのである。

入院した後、メンタルの面で良くなったこともあった。それは自分はいったん死んだので、無駄なことを考えず勉強できるようになったことである。若い人が純粋に勉強に打ち込むのは難しい。

その後、理系科目の模擬試験ではかなり時間が余るようになった。問題を解くのにあまり時間がかからなくなったのである。

3年の夏休みは、受験勉強のために最も気合を入れないといけない。しかし自分の場合、集中力はまあまあだが、長く続けて勉強するのは苦手であった。だから夏休みは朝8時くらいに起きて、3時間くらいはなんとか勉強する。

しかし、その後はだららんリラックマ状態になるのであった。

特に昼ごはんを食べてからが酷い。エアロスミス、イエス、デヴィッド・ボウイ、ジャパン、ビートルズ、ストーンズなどを真剣に聴く。


Train Kept A Rollin'(Aerosmith)この曲はライブで演奏されるとカッコ良すぎる。エアロスミスの綴りはaで始まることに注意(今日の豆知識ね。)


Walk This Way (Aerosmith)これは名曲。他のミュージシャンのカバーも有名である。このライブだが、映像に出てくるファンの服装が古くさいのが悲しい。


Sweet Emotion (Aerosmith)この人たち、今でも楽曲が映画に使われたりしている。全くたいしたもんだよ。

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Live Bootlegのジャケット。名前からして海賊盤。Back in the Saddle、Sweet Emotionで始まるが、ほとんどすべてが名曲。いかにもライブの雰囲気が伝わってくる。最後の辺りのTrain Kept A'Rollin'/Strangers in the Night、Draw the Lineの終わり方も結構好きだった。

エアロスミスがなぜ突然出てきたかと言うと、エアロスミスのライブ・ブートレグをよく聴いていたのを思い出したからである。エアロスミスはオリジナルアルバムを買ってしまうと良い曲はそれほど多くない。ビートルズのようにアルバムがBack In The SaddleやWalk This Wayなどの名曲で埋め尽くされはしないから。しかしライブでは良い曲しか演奏しないので、かなり素晴らしくなるのである。エアロスミスのこのライブアルバムはあまりにも秀逸であったが、後年、CDを買って聴いたら音質もそれほどではなく、少しガッカリであった。あれはどういうことなんだろうか?と思った。

問題は夕方である。当時、熱烈な広島ファンであり、「巨人ファンは単に田舎者の証明」としか思っていなかった。東京ならともかく、地方の民放では巨人戦しか放映されないからである。僕に限らず広島ファンは多くいた。教師からして広島ファンばかりであった。ある教師など、授業のイントロは昨夜の勝ち負けから始まるのである。当時の広島はけっこう強いチームだったこともある。(注;オヤジは熱烈な阪神ファン)

ところが、広島戦は試合時間が長い。これはいくつか理由があるが、その1つはリリーフに江夏が出てくるからである。(別にそれが悪いと言っているわけではない)。

細かいところまで憶えていないが、野球は午後6時~6時半くらいから始まり、9時までに終わることは少なかった。下手をすると夜10時近くまでかかる。これをラジオでずっと聴くのは大変な労力である。(当時、僕にはテレビを観る習慣がなかった。ただし日経新聞は1日2時間かけて読む。当時、久しぶりにテレビを観るとカラーが目に染みた。今はテレビは結構観ている)

それに、大チャンスや大ピンチには呼吸を止めて見守っているので(聴き守っているというべきか)、試合が終わるとヘトヘトであった。途中で聴くのを止めるなんて到底出来ない。それほどの試合への集中である。

江夏は間合いがあまりにも長く、
まだ投げない、まだ投げない、あ!1塁に牽制球!
再びキャッチャーのサインを覗き込む・・
まだ、投げない。まだ投げない。
やっと投げる。ボール!


といった具合である。これが笑える人は長い広島ファンである。間合いの間は金山さんの独特な身内びいきの解説。ある時、大洋戦で、金山さんが、「うーん・・」と唸りながら、

これは・・
斉藤は試合を諦めましたね・・


と言っていたのは大笑い(斉藤明夫は大洋のエース。現在の横浜ベイスターズ)。これでは試合がなかなか終わらないのは当然であった。夏休み中のナイターは自粛してほしいと思ったほどだ。(受験の年だけね。実に勝手な話)

良く考えると、今のJリーグは野球のようにほぼ毎日は試合がないのでサポーターには良心的だ。J1だと1ヶ月にほぼ2回しか地元開催がない。つまり野球に比べ、1試合の価値がかなり大きい。アウェーの試合も週末が多く、平日は珍しいのでわりあいサポーターも駆けつけられるのであった。

午後9時から10時試合が終わると、ちょっとだけ勉強をする。しかしカープの試合で、勝ったら勝ったで脳が飽和状態になっており、負けたら負けたで、脳内で采配の反省会をしているため、勉強どころではない。

まして、江夏が打たれてサヨナラ負けなどしていた日には、明日からどうしたら良いのか考えているような状態で、毎日、球場まで応援に来ているオッサンと何ら変わりはなかった。(江夏だが、これがまた打たれるんだ。抑えられそうかどうかは最初の打者への投球でだいたいわかる。ボールがホップしているような日はほとんど打たれない。)

当時は朝に勉強しないとまとまった時間できないと思ったので夜更かしはしない。無理をするとろくな事がないのは、前年に入院したことでわかっていたからである。

計算してみると夏休みなのに1日にせいぜい5時間くらいしか勉強できない。「今日は良くした」という日はナイターが雨天中止の日で、やっと7時間半くらいである。これはまさに恵みの雨であった。この3年の夏休みの自分のテイタラクぶりで、前年、あまり皆と大きな差ができなかったわけがよく判ったのである。

結論;人間は実になる勉強を効果的にすることは難しい。

大学を卒業して入院したことが数回あるが、ある時、これはどうみても数ヶ月は入院しないといけない状況に至った。しかしあまり気にならなかった。焦っていろいろ考えたところで結果はたいして変わらない。まさか、この程度の疾患で死にはしないだろうと思ったことと、今までに同じような経験が山ほどあったこともある。(どんな検査結果でも諦めがつくみたいな・・)

オーベン(指導医)が見舞いにやって来て、数ヶ月入院していたとしても遅れなんてたいしたことはない、といった内容の話をされた。しかしかえって恐縮するというか、オーベンはそういうことまで配慮しなくてはならないのか?と気の毒になった。出来の悪い研修医を担当するとオーベンは大変である。

この入院に関しても治りの悪さに呆れた。やはり免疫がどこかおかしいのである。よくなっても良い場面で一進一退を繰り返した。今考えると、あの改善のパターンは株のチャートに似ていた。時々、急落場面があるのである。教科書に書かれている例えばトリアスなんて最初から全く揃っていない。典型例とはえらい違いである。

やはり朝倉だけ読んでいても話にならんな。
読まないよりはマシだろうが・・


この時、教科書に書かれている疾病の特性、経過、転帰などはバリエーションがかなりあることを体で学んだ。ある日、治療されていた元助教授に、

これはひょっとしたら、退院して自由にしていた方がかえって良くなったりしませんか?


と鋭く助言した。いい加減、入院生活に辟易していたからである。高校2年の時は、まさにそういう判断が正解だったのもある。ところが、僕の症例は「ずっと大学での臨床講義で使っているので、もうちょっと入院しておいてくれ」と逆にお願いされた。「なんだこりゃ?」である。僕はちょっと稀な症例として医学生に役立てられていたのであった。

ある夜、脱走。

病院を抜け出し夜の街を徘徊し明け方、戻ってきた。早朝、病院の裏口を開けて貰い、夜勤の看護師さんに謝り、元助教授には内緒にしてもらった。翌日はもちろん病状悪化であった。

かように過酷な安静は常人には難しい。


こういう経験から、やはり病気などで数ヶ月遅れるくらいで悩むのは実際的ではない。現代社会では数ヶ月どころか数年でもそんな感じである。今はかつての30歳や40歳とは意味が違う。(かつてはアラウンド・フォーティーは、何それ?と世界だったと思う。最近の女性は出産しても体型が崩れにくい)

20歳前の人なら、まずは25歳くらいまでに良くなれば、くらいのゆったりとした余裕がほしい。僕の場合、そのような病気がちの状態から回復し、健康状態がほぼ問題にならなくなったのは28~29歳頃であった。

みんなせっかちだし長期的な感覚が乏しいと思う。早く治ろうと焦るから、かえって時間がかかる。何も考えず医師に任せておいてほしい。自分で何か考えたところで、その疾患に効果的な思考はあんがい難しいからである。(あの夏休みと同じ)

(ボツ原稿から)

参考
ノソフ選手