うつ病の「泣き笑いの表情」 | kyupinの日記 気が向けば更新

うつ病の「泣き笑いの表情」

うつ病には「泣き笑いの表情」という精神所見があるが、近年、この特徴的な表情はあまり診なくなっている。診なくなっているとは言え、稀有と言うほどではない。

泣き笑いの表情は、うつ病で酷い状態なのに表情は「微笑んで見える」ものを言っていると思うが、これは少なくとも教科書レベルでは、深く解説しているものを見たことがない。ひょっとしたら、論文レベルでは見つかるかもしれない。

この泣き笑いの表情は、僕は研修医1年目に、躁うつ病の中年の入院患者さんで初めて診ることができた。助手の先生から、これがうつ病の「泣き笑いの表情」と説明されて、なるほどと思った。言われてみると「泣き笑い」と表現するほかはない。これは真似をしようとしてもできない表情だと思った。

あの表情は、一般的に言われる感情的な「泣き笑い」ではなく、「表情筋の麻痺あるいは硬直」の世界だと思う。表情があのまま固定しているからである。また、この表情を呈している人はうつ状態が非常に重く、自殺も起こりかねず、一刻も早く治療しなければならないレベルであることが重要である。

たいていの場合、病識はほとんど欠如しており、亜昏迷の近縁にもある。だから、そのような患者さんは入院治療できれば良いが、外来だとECTでもしないと、自殺ないし一家心中もありえるので、かなり危険な状態である。亜昏迷模様なのでこちらの話も上手く伝わらず、入院を説得しても「今は仕事を休めない」などと拒絶する。こういわれると、こんな精神状態で本当に仕事ができているのか?とこちらが驚く。やはり、医療保護入院の形態をとっても入院させたいレベルである。

泣き笑いの表情になりうる「うつ病」は、内因性うつ病(単極性)か躁うつ病のうつ病くらいしかないように思われる。躁うつ病でも不純物の双極2型ではなく、古典的1型の躁うつ病である。

このような文脈から、双極1型と2型は生物学的にスペクトラムになっている部分は、実はかなり少ないのではないかという推測も可能だ。双極1型と2型は実は異なる疾患であるものが、たぶんずっと多いのである。


特にメランコリータイプの人で、現代社会では減少しているように見えるうつ病では、このような泣き笑いの表情になる人が一部にいる。このような人は病前性格的に、

几帳面、責任感が強い、仕事熱心、律儀、真面目、他人に対する配慮も強い

などの所見が見られる。このケースで泣き笑いの表情が生じるほど重い人は、「同僚への配慮から」会社は今は休めないと言うのであろう。病識が欠如している上に、責任感が強いため、いっそうそういう判断になる。こういう人は励ますといっそう本人を追い詰める。自責的だからである。やはり、このタイプは励ますのは不適切な対応と思われる。古典的に

うつ病の人は励ましてはならない。

というフレーズは、必ずしも全てのうつ病に普遍的に通用するものではない。メランコリータイプのうつ状態は近年ではかなり減少しているというのもある。

だから、このフレーズを医師国家試験の禁忌問題の地雷にするのは時代錯誤というか、バカ丸出しと言っても良いであろう。現場を知らなさ過ぎる設問である。

少なくとも、現代風のうつ状態(名前はさまざまだが)に「泣き笑いの表情」が診られることはない。たぶん、あのタイプのうつ病は、内因性とは言えないんだと思う。またそういう人たちがメランコリータイプということもほぼありえない。(若い人にメランコリータイプの性格が皆無と言うわけではない。また、メランコリータイプの人が全てうつ病になると言うのも誤りである。)

このメランコリータイプのうつ病は現在絶滅しているかと言うとそうでもない。しかし20歳代で診るケースはけっこう珍しいのではないかと思う。ここ数年だと、僕は40歳代~50歳代に男性で見かけている。日本の中年男性に自殺が多いはずである。

泣き笑いの表情のうつ状態の人は、ECTをかけると、1回ないし2回くらいで見事に消失することが多い。こういう治療状況を見ても、あの表情はなんらかの脳内のメカニズムによる「表情筋の麻痺または硬直」なんだと思う。

ヒトの表情なのに空で静止し動かないからである。

参考
ルカによる福音書10章38~42節
広汎性発達障害はしばしば双極性障害に振舞う
徒然なるままに浪費癖とギャンブル癖を考える