自治医科大学の友人 | kyupinの日記 気が向けば更新

自治医科大学の友人

僕の同級生でこれ(無医村)と似たような話を聞いた。彼は自治医科大を卒業後、僻地医療に従事しなければならなかった。たしか9年くらいの義務期間があったと思う。

自治医科大学が学生に避けられる最も大きな理由は、人生で最も知識の吸収力の大きい期間に僻地医療に従事しなくてはならないことである。しかし、一応、都道府県も考えていて、市中の総合病院に1~2年従事しては僻地に飛ばすといったプログラムを組んでいるので、何もないところに行きっぱなしではない。だいたい、全く臨床経験がなかったら僻地医療はできない。だから欠点は、ある特定の専門科の医師ではなく、大学の医局に属していないということになるのかもしれない。何の専門でもないと言うのがちょっと・・なのである。

しかし最終的にはマイナーの科でもなれないことはない。うちの同門にも自治医科大の義務を終え精神科医になった人が数人いる。それはそのまま内科、外科が便利だが。

僕のその友人が僻地医療で一番参ったのは、とんでもない離れ小島に派遣された時、ポンポン船で引越し、船から家財道具を下ろす時にずっとビデオ撮影され、それがケーブルテレビで毎日放映されたことだったらしい。全く、プライベートも何もないといった感じであった。

若い人がああいうのを嫌うことをわかっているのだろうか?と話していた。彼はその時既に結婚していて子供もいたからである。

自治医科大学は、各県で2名ほどの定員があり、県により合格の難易度が違う。僻地のレベルにしても県により相違があるので、卒業後の僻地の難易度も違うといったところであろう。東京などは離島があるので、意外にウルトラ級の僻地があると思われる。県によれば、たいした僻地がない所もある。

自治医科大学は基本的には私立大学と同じなので、卒業時には数千万の借金が背負わされている。結局、この返済が僻地医療の従事により免除されるのである。

ある時、ある自治医科大の学生に宝くじが当たるという事件が起こった。彼はその数千万の借金をその賞金で清算し、新車も購入した。その車はみんなから「宝くじ号」と名付けられたという。宝くじの賞金で借金を清算し義務を免除されたい気持ちはすごくわかるが、道義的には問題があると思われる。なぜなら、都道府県は卒業後の僻地派遣のプログラムを既に組んでいるからである。(他の卒業生にも迷惑がかかる)

ひょっとしたら、現在は法律的にそういう勝手な事ができないようになっているのかもしれない。防衛医大でも卒業時に借金を返済し晴れて義務を負わなくても済む人がいるらしい。

ここで問題。

自治医科大学の卒業生でずっと国家試験が合格できない人はどうなるのであろうか?

過去ログでも出てくるが、国家試験は医学部に合格するよりはずっと易しいが、6年は長いし内因性疾患や稀な神経疾患に罹患し合格どころではない人が出てくる。自治医科大学はもともと多浪生は採らないし、開校当時は留年もほとんどなく、国家試験もほぼ100%合格であった。今はそういうのを見ることはないが、かつて新設医科大の第一期卒業生は限りなく100%合格に近かった。なぜなら、合格できずに溜まっている人がいないからである。さすがの自治医科大学でも、ずっと合格できない人が出てきたらしい。学校でその人の処遇をどうするか検討され、その借金は(債権)は大学が放棄することになったという。

なぜなら医師になっていない人が、その後、普通に働いて数千万の借金を返すのは困難だからである。

僕は友人に質問した。

その借金を放棄されたあと、合格した場合はどうなるんだろうか?

彼の返事だが、「そういう場合は好きにしていいんだろう」と言う話であった。この最初の債権放棄の人が出現する以前は、一刻も早く卒業し、医師国家試験に合格し義務を果たすのは非常に学生にプレッシャーになっていたようである。実際、僕の友人の同級生は留年を苦にして自殺したという。お通夜でその亡くなった友人の母親と話していた時、

タダより高いものはない

と泣いていたという。たぶん自殺した彼は普通の国公立大学に入っておれば、少なくとも留年はそこまで苦にしなくて良かったはずだ。国公立は基本的に留年はし放題だからだ(放校にならない範囲で)。

ところで、僕が入学当時、香川医科大学や琉球大学医学部はまだ存在しなかった。琉大医学部は新設当時、果たして県内から十分な合格者が出るかどうか、危惧されていたのである。琉大医学部に都会から多数の合格者が出ても、沖縄で仕事をしてくれないとやはり空洞化するからである。結果であるが、事前に予測していた以上は合格者が確保され、関係者は安堵したという。

僕の沖縄出身の友人によれば、小論文や面接でいくらか調整したのではないか?と言う話もしていた。