長嶺敬彦「抗精神病薬の「身体副作用」がわかる」の感想 | kyupinの日記 気が向けば更新

長嶺敬彦「抗精神病薬の「身体副作用」がわかる」の感想

読者の方から、長嶺敬彦「抗精神病薬の「身体副作用」がわかる」の感想を聞かせてほしいといわれた。ずっと前にある製薬会社のMRさんからタダで貰ったので、この本は僕も持っている。実は、いつかはこの本についてのエントリをアップしたいと思っていたのだが、いろいろな批判が殺到しそうなのでずっと自粛していたのである。

この本は精神科薬物治療について、内科医の立場から批判的に書かれており、少なくとも精神科医の目線ではないことは確かだ。僕は最初にこの本に目を通した時、その酷さに絶句した。しかし、絶句するような精神科系書物は他にもたくさんあるので、これだけがとりわけ酷いというわけではない。

最も大きな問題点は、ものの見方が最初から偏っている上に、あまり精神科治療のことも理解しておらず、真の意味で客観的ではないことであろう。根本的に別な方角からしか見ていないので、そのおかしさすら、本人は気付かないであろうが。

多剤併用ひとつにしても、そうなった経緯について、単に精神科医が何も考えずにそうなったように書かれている。あの本には難治性の患者さん治療における精神科医の苦悩には全く触れられていない。僕は油断するとあのように多剤大量になりかねないのは良く理解しているので、彼のような一側面しかみない一方的な書き方は許せないというか、強い憤りを感じるのである。

処方をシンプルにすることは、このブログをずっと見ている人にはわかると思うが、精神科治療の技術やセルフ・コントロールが必要だし、病棟全体(病棟看護者のニーズ)なども関係して来る。その苦労をしたことがないような人にあのように言われたくはない。これこそ、精神科医の苦悩なのである。

まず、今回のエントリの内容が理解できるように、以下のエントリを参照してほしい。

意味不明の多剤併用
座敷牢
多剤併用についての話
専門性について

意味不明の多剤併用」から、
最初、内科に受診させた時に、「薬が多すぎる。薬の副作用で腎臓が悪くなった」といった内容のことを外来医が患者さんに言った。統合失調症の患者さんにそんなことを言ったらダメでしょw あれほどの薬になったのはそれなりの理由があるわけで。シンプルにできるくらいならとっくにそうなってるって。だいたい数十年あれくらいの薬を飲んでいて、突然腎臓を壊したのも因果関係がどれほどあるかもわからないものだし。100歩譲って、薬が原因だとしても統合失調症の患者さんにそういうべきではない。

あっさり、患者さんの目の前で「薬が多すぎる。薬の副作用で腎臓が悪くなった」と言った内科医と長嶺氏はほとんど同じようなメンタルだと思うよ。実際、彼は自分は内科医だと言っているし仕方がないが・・

僕は同じエントリの最後に次のように結んでいる。
一流の医師であればあるほど、自分は他の科はほとんど知らないという意識があり、他科の専門性への尊敬や相手の治療を尊重する気持ちがみられる。おそらくそのような気持ちがあれば、あのような言動はしなかったと思われる。

また「座敷牢」のエントリから、
僕はこの人を約2年ほどしか受け持っていないのだが、当時、セレネースが40mgくらい入っていて、他のフェノチアジンも併用されていて、どのようにやっても寛解しないような感じだった。僕が持った後、ジプレキサやセロクエルをあわせて処方したり、いろいろ手を尽くしたが非常に難しいと思った。

これは2003年1月の処方である。
セレネース  30mg
セロクエル  600mg
トロペロン   3mg
アキネトン   3mg
ヒベルナ   100mg


2004年1月の処方は下のような感じだった。
クレミン     100mg
リントン      9mg
リスパダール   12mg
ヒベルナ     75mg
アキネトン    3mg


まぁこれがベストかどうかわからないのだけど、これでも悪いときはセレネース液経口やトロペロンの静注をしていたのである。不思議なことに、この処方でもEPSは全然なかった。この程度の処方が長かったこともあるかもしれない。あるいは、かなり多い量なのでEPSさえ押さえ込んでいたのだと思われる。

この患者さんの処遇し辛いところは、悪くなると、寝ている人の首を絞めたりすることであった。だからと言って、ずっと保護室住まいにするのはむごすぎるので、僕はこんな処方で大部屋で様子をみていたのである。

最初、床下から救出された?時は、垢にまみれており、顔の中央だけ赤いような感じで、まさに動物に育てられた子供のようであったらしい。当然、ずっと入浴もしていない。

最初入院した時は非常に精神状態が悪く保護室に入れていても、すぐに便いじりをして全身便だらけになってしまうとか、自分の肛門から出てきた回虫を拾って食べたりと、どうしようもない状態だった様子が詳しくカルテに記載されている。ちゃんと落ち着いて食事をするとか、洗面をするとか、生理の始末とか、そういうのが全然できなかったのである。

また「多剤併用についての話」からも、
一方、どうにもならない人の多剤大量処方は、病院内で適応するためには仕方がない。減量して隔離室に入りっぱなしになるくらいなら、多少薬が多くても、閉鎖病棟の普通の2人部屋や4人部屋で生活できる方がむしろ良いと思う。つまり患者さんのQOLの視点で考えているのである。

絶対に多剤併用が悪とか叫んでいる人は、どうしようもないくらい重度の人を診たことがないか、あるいは、患者さん本人の苦しさを軽視しているとしか思えない。こんな視点は、精神科的では決してなく、内科医的発想だと僕は思う。

というようなことを僕は書いている。

長嶺氏は彼の本の中で、
私は序文で、患者さんのQOLを考えた治療を「カメの治療」と名づけ、「ゴールはQOLです。カメの治療をしましょう」と呼びかけました。全人的存在である患者さんのQOLを考えるには学問の壁はじゃまなだけです。心を意識しない議論をしてもだめですし、科学のない議論をしてもだめです。学問の壁を取り払い、脳科学的と症状を常に考える治療をしたいものです。

と書いている。彼の言う「患者さんのQOL」と上で出てきた僕の言う「患者さんのQOL」はたぶん異なっているんだろうね。上に紹介した座敷牢に入れられていた女性患者さんを、ぜひ、長嶺氏の考えるQOLに沿った治療をしてみてほしいと思うよ。というか、「お前、やってみろ」と言いたい。

またこの本では、いわゆる精神科における「肺動脈血栓塞栓症」などを「隔離室症候群」などと自ら名付けているが、これも酷すぎると思った。明らかに精神科医療に敵意があるように見えるし、われわれ精神科医も侮辱している。

僕はこの肺塞栓症については、患者さんの精神症状の変化と相関があることようなことを過去ログで触れている。1つの側面しか見ておらず、精神科患者の症状を幅、奥行きを持って診ていないのである。それは悪性症候群褥瘡についても同じようなものだ。つまりは、偏見に満ちており客観性が乏しいことを指摘したい。

長嶺氏の本から
そこで、私もエコノミークラス症候群にあやかり、その発生する場所から、精神科でみられる肺動脈血栓塞栓症に対し「隔離室症候群」というあだ名をつけてみました。

これは、非常に誤解を与えるあだ名で、隔離室に入れた時点で、それ以上の抑制をすることはまずないので、患者さんは隔離室で落ち着かず右往左往していることが多い。この状態で肺動脈血栓塞栓症が生じたとしたら、まさに緊張病症候群などが誘因であろう。いわゆるエコノミークラス症候群とはかなり身体的状況が異なるのである。このあだ名だと、患者さん隔離室に入れられた上に、ベッドに縛りつけられているように一般には錯覚されてしまうと思う。実際、僕の患者さんで肺動脈血栓塞栓症を起こした人は、デイケア中にどこかに出かけていて起こったとか、一般の閉鎖病棟でわりあい落ち着きがない時に生じている。

彼らは、このような内科医的発想しかできないのである。

僕は、長嶺氏のように他科で診療を続けてきて、後で精神科病院に来た人たちは、僕のようなクラシックな精神科医の治療マインドとは相当に距離があると感じた。過去ログの「専門性について」から、

さて、医学生が卒業して精神科に入ってしまうと、なんとなくテンポが精神科になってしまうのでツブシがきかなくなる。だから、そういうことを心配する人は最初に2~3年内科に入局し、それから精神科に来ようとする。実は、その方法は良くないのである。精神科の診断、治療には独特の感覚があり、これは最初から精神科に来ないと身につかない。何が違うかと言われても、うまく説明できない。卒業後、最初に他の科で診療しているのが傷になってしまう感じなのである。だから僕の大学の医局では、特に助教授が最初から精神科に来なさいとアドバイスしていたらしい。(同期の友人がそう言っていた) 僕は最初から他科に行き勉強しようなどとは思わなかったのでそんな質問はしなかった。僕はこのようなセンスは診断の時に影響するような気がしている。心理学的要因と生物学的要因の評価というか、バランスをとり診断する面で少し違うのである。

現在、医療観察法の措置鑑定を行うことがあるが、このような鑑定は鑑定書の書き方も含め、きわめて精神科の専門性が出るものだと思う。精神鑑定はとても精神科医らしい仕事なのである。精神医学について素人の裁判官でもある程度理解できる鑑定書が書けるかどうかはセンスがかなり影響すると思っている。まあこれは精神科治療にはあまり関係ないのだけど。鑑定書などはそうなのだが、日常臨床の治療ではどういう経緯で精神科になったかはあまり関係ないのではないかとずっと思っていたが、最近はそうは思わなくなった。精神科診断、治療は平凡に見えて、実は精神科医としての全的な能力が要求されるようなのである。

当時の助教授のアドバイスはこんな形で正しいことが証明されている。

彼らのようなタイプの元内科医には永遠に精神科医にはなれない。(まあ、なりたくもないだろうが・・)。これはある種の認知の相違かもしれない。

これらの偏った内容の本の最も大きな悪い点は、精神科患者さんが一般の精神医療を誤解することである。実際、多剤大量処方は皆が考えているほど多くはないことは過去ログでも触れている。

あの本は、精神科薬物ではどのような副作用があり、どういうリスクがあるかはわかる。偏りはあるとはいえ。

あの本の良いところはサイズが大きく字が大きいので誰でも読めることと、値段が安いことであろう。(2500円くらい)