24年ぶりの退院 | kyupinの日記 気が向けば更新

24年ぶりの退院

数日前、昭和58年から入院していた女性を遂に退院させた。今年は昭和82年に相当するので、24年ぶりの退院となる。共同住居に入所なので厳密な意味で退院とはいえないと思う人もいるかもしれない。しかし、精神科病院に入院しているのと共同住居では自由度が全然違う。

彼女が入院した昭和58年は、まだ僕は精神科医になっていなかった。僕がこの病院に来て以来、社会的入院のような患者さんはほとんどが退院してしまったので、今、退院する人はけっこう重かった人なのである。この患者さんは精神症状が落ち着かず、長いこと閉鎖病棟に入院していた。しかしここ半年くらいは少し良くなったので開放病棟に移っていた。

7年前、この患者さんを初めて診た時、普通に接するぶんにはそれほど重いように見えない患者さんだなと思った。幻聴が激しいわけではないし、かといって陰性症状が重いわけでもなかったから。だったら退院できるじゃんと思うだろうが、病棟での様子をみると、それほど軽くはないことがわかった。対人関係で妄想的な解釈をしてトラブルになったり、特定の男性患者に恋愛感情を抱いて突飛なことをし始めたりと、行動がまとまらなかったから。はっきり言って、いくらか崩れているのだ。

彼女の当時の治療はセレネースなどの定型の薬物が主体であり、それも量が多かった。僕が来た当時、うちの病院ではとりわけコントミン換算値で大量の抗精神病薬が処方されていたわけではなかった。プロピタンの処方が多かったから。プロピタンの処方が多いとこの力価が低いため、コントミン換算値はとてつもない値にはならない。その中で、セレネースやトロペロンの大量が処方してある患者さんはそれなりに重いといえた。

まぁとりあえず、非定型の薬物を順番に試してみようかと思った。始めたのは2000年の夏頃だったと思う。セレネースは一般の治療水準より多かったが、最初はリスパダールからスタートした。

ところが、「なに、これ~」いきなり悪化したのであった。悪化のパターンだが、自生思考~幻聴や焦燥感が生じるようで、何度も看護師や医師にとりとめもないことを言って来る。執拗なので相手をするのも大変だ。リスパダールは無理だと思った。その後もルーランやその他、定型でももう少し良さそうな薬物(クロフェクトン、クレミン、オーラップ、PZC・・など)を順番に処方したがすべてうまくいかなかった。

悪化しては、処方を元に戻すような繰り返しだった。さすがに、これでは看護師の苦情が来る。この人は何十年も入院している人だから、もう良いのではないかと。年齢も50代だし。

2002年頃の処方
セレネース  20mg
アキネトン   6mg
レボトミン   200mg
ヒベルナ    30mg

メインの薬はこれでそれ以外の薬物は眠剤が少量と便秘の薬くらいだった。当時、ジプレキサも処方していったん悪くなったように見えたので、すぐに中止していた。しばらくは看護師の意見も聞いて処方もそのままにしていた。

僕が今の病院に来た当時、非定型抗精神病薬を試み、それで失敗して悪化することも稀ではなかったので、なるべく薬を変えないように言われることが多かった。特に来た当初は。

その後、次第にそれまで入院していた人で劇的に改善する人や、新患の入院患者で神がかり的に良くなる人がたくさん出てきたので、信頼を勝ち得るに至った。今は僕も病棟全体のことを考えて、同時に数人も悪化させるようにならないようにしている。一応、看護者のことを考えて薬剤変更を進めるのである。

今の病棟は当時よりはるかに大変になっている。特に閉鎖病棟は。社会的入院の人々は、いわば精神科病院に下宿しているようなものなので、こういう人たちいればいるほど看護者は楽だ。動きがない精神科病院のコミュニティーは独特な雰囲気があり、それはそれで平和なものだと思う。現在の環境は社会的入院の患者さんが退院していったあとなので、相対的に重い患者さんと、新患のまだ症状が生々しい患者さんが多い。

2005年の初め頃、彼女のカルテを検証していたら、ジプレキサだけは確実に合わないといえないことがわかった。なぜなら数日で中止しており、悪いのは悪いが、たまたま他患者と喧嘩をしたことが大きいように思われたから。そこで思い切って、ジプレキサを再開したのである。

結果だが、ちょっと考えられないほど、とてつもなく悪化してしまった。幻聴も激しく窓から大声で人の名を呼び続けるような状態になり、仕方がないので保護室に収容した。この状況は先月のブログの中で少し触れている。

ジプレキサで悪化し、その後数ヶ月保護室に入り、さらにそれ以上の期間状態が悪かった人がいる。ざっとみて1年間は悪かった。最近、ようやく落ち着いたが、今の処方はトロペロンやロドピンなどの多剤併用になっている。新しいタイプの非定型はすべてダメであった。効かないのならまだわかるが、数ヶ月単位で悪化させるのである。それでも今は、ここ数年来最も良くて、安定期間が半年を超えたので、2月に退院させるつもりでいる。退院を果たせたなら入院期間はなんと24年間。何が大変だったかと言うと家族への説得。長い期間入院している人は急に退院になっても帰るところはない。かといって、この程度の重さの人は単身でアパート暮らしも最初からは無理なので、共同住居などへの入所を考えるのである。(非定型抗精神病薬の病状悪化率から)

保護室に入った当時、トロペロン3Aの静注を連日行った。2~3ヶ月は保護室にいたが、後半は時間開放の時間もあったので、まるっきり隔離されていたわけではない。保護室から出てからも、あまり落ち着いていなかった。病棟に出すと、他患者が困るようなことが起こるのである。ところが、去年の夏頃から、次第に穏やかになってきた。特に話すときの声の大きさが以前とは違っていた。ずいぶん大人しい口調になってきたのである。閉鎖病棟から開放病棟に移し、しばらく様子を見ていたが全く存在感がない。僕は、本人には半年間は落ち着いた状態が続かないと退院させないと言っていた。そのくらい良くないと、退院に拒絶的な家族を説得できないからである。その後、共同住居に週に数日ずつ外泊の形をとり数週間様子をみた。どうも大丈夫そうなので退院させたのである。

退院時の処方だが、
トロペロン    15mg
ロドピン     100mg
レボトミン    100mg
ワイパックス    2mg
インデラル     30mg
ヒベルナ      50mg
セドリーナ     4mg

で、数年前から比べそう変わりがないように見える。上の処方以外に眠剤と便秘薬が加わる。これほど大量の抗精神病薬でも全然EPSが出ていないのである。まさにケロリとしている。副作用は便秘と口渇くらいであった。この患者さんの場合、多分トロペロンが重要なのだと思う。他の薬物はもう少し減らせるような気がしているが、本人が頑として減量を拒否しているので、このまま様子を見るのは仕方がない。彼女は退院後、うちの病院のデイケアに参加しているが、デイケアのメンバーさんで、このような実質入院患者のような処方の人は彼女しかいない。

僕の感覚だと数年は大丈夫そうに思うのだが、ひょっとしたら3ヶ月も持たない可能性もある。悪かったらまた入院させると本人に伝えているし、毎日デイケアに参加する約束なので、悪くなってきたら早めに対応できるようになっている。たとえ再入院になったとしても、退院した意味はあると思うのである。

なぜこのような経過になったか、このブログを読んでいる人には理解しにくいと思う。薬剤であれ、普通の経過の悪化であれ、きっとあのようなカタストロフィには治癒や寛解状態へ導かれるトンネルみたいなものが内在しているのだろう。そういう風に考えると、3人目の女性患者で挙げた若い女性患者が神がかり的に良くなったことなども理解できる。

そんな風に考えていくと、数十年ぶりに改善した理由は「ジプレキサを試みたこと」を抜きには考えられない。

補足:
多分、いったん底まで落ちてしまった場合、それからの治療が重要なのだろう。統合失調症のうち特に破瓜型は慢性に経過し、だんだんレベルが下がっていくことが多い。病状が極めて悪化した場合、復帰できないことがあるからこそ、進行していくのである。僕は、例えば急性増悪を来たし幻覚妄想が活発な時に、EPSが多く出現してもかまわず大量の抗精神病薬を使うことが多い。そうしないと、幻聴や被害妄想が残遺したり、他の妙な症状が残ってしまうことがあるから。優柔不断さは大きな敗因になると思っていることもある。