急速交代型(その2) | kyupinの日記 気が向けば更新

急速交代型(その2)

この項は急速交代型の続きになる。

彼女がアメリカ、カナダに行っていたのは8ヶ月と僕は書いたが、その後、彼女に聞いたところ、実は1年間だった。平成18年の初夏に帰ってきているので、出発したのは平成17年になる。処方はデパケンRの200mgを3錠とチラージンSだけだったが、北米では、特に後半の滞在期間、あまりコンプライアンスが良くなかったらしい。(しばしば怠薬していたということ)

帰国後、これを聞き、これはひょっとしたら完治しているのではないかと思い始めたのであった。滞在中は精神症状としてはある程度安定しており、うつ状態もほとんどなかった。躁状態はもちろんない。どうも薬が少なくても大丈夫であるように思われるし、薬を減量し、もし可能なら中止しようと思ったのである。帰国後の最初の診察時には、そういう風な感覚になるほど良かったからだ。

一般に単極性のうつ病に比べ、躁エピソードも伴ういわゆる双極性障害は、かなり病状的には重い。治療がやや難しいことも関係している。彼女の場合、過去に1回しか入院していないが、その数ヶ月は病状が重すぎたと言えた。躁状態も激しかったし、なにしろ幻覚や被害妄想が出現していたから。病棟婦長が諦めるような言葉を発していたほどで、その程度が想像できるだろう。しかし、その後の約6年間は非常にうまくコントロールできたのである。

彼女に減量する理由を説明した。ひょっとしたらほぼ完治していて、薬物を中止してもあまり支障なく生活できるかもしれないこと。その話の際に、デパケンRは催奇形性を持つので、将来的に結婚して出産時にいろいろ考えないといけない場面も出てくることも話した。実は、このことが後のエピソードの伏線になっている。

最初にチラージンSを中止し、その後デパケンRを1ヶ月に200mgずつのペースで減量していった。数ヶ月でデパケンR、200mgのみになった。200mgになってもあまり変化がなかったので、中止しても良かったのだが、さすがに完全に中止することは躊躇われた。

もしデパケンRを中止して、しかも何も変化が長い期間なかったなら、それは治癒したと同じだ。この場合、彼女にとっての意味は計り知れない。たとえ結果的に良くなくて悪化したとしてもトライする意味はあると思った。いったん服薬を中断することは、精神科治療的にも価値のあることだと思ったのである。

ところが、そんなことを思っているうちに、思いもよらない経過を辿るのである。ある日、再診した時、あまり元気がなくて動けないと言っていた。ちょっとうつになってきたのだと。

僕はすぐに悪い予感がした。減量するにしても時期が悪かったと感じた。彼女は最初のエピソードは秋~冬の初めから起こっているのを思い出したのである。彼女は特に首筋の凝りと筋肉痛を訴えていた。以前の「急速交代型」の項で、どうも身体因が大きいように感じると書いていたのはつまりこういうことだ。(つまり、彼女の場合、慢性疲労症候群や線維筋痛症などの免疫異常系の疾患と関係が深そうなのである)

その後、左腕の痺れ感や麻痺が出現してきた。この時にどんな治療をしたかというと、デパケンRを600~800mgまで戻し、チラージンSも併用。外来に2日ごとに来てもらって、ビタミンB12を絨毯爆撃のように点滴静注したのである。僕の感覚では、こんな時はビタミンB12みたいな治療が良い。本当は毎日来てほしかったが、なにしろ家が遠いので難しかった。

ところで、この左腕の麻痺というのは非常に意味が大きい。時々非定型精神病や躁うつ病のエピソード中に経験する。たまに右側に起こることがあるが、普通は左なのである。右半球は躁うつ病、左半球は統合失調症といった関係の深さをかつて言っていたが、こういうのを見るとあながち根拠がないとは言えない。

その後、ひどい倦怠感を訴えたり、あるいはゆっくり横になれないなど、かなり身体的に辛い状態が続いていたが、やがて思っていた通り軽躁と言える状況を呈して来たのである。

とにかく、2~3日ごとに来ているので、どういう方向に行っているかはわかる。ちょっと興味深かったのは、6年前と同じようなことをしていたこと。例えば、大荷物で病院にやってくるとか、荷物の内容。チョコレートがたくさん入っているのだ。過食というほどではないのだが、チョコレートが食べたくなると言う。

これは一見、やめさせた方が良いように見える。なぜなら、チョコレートはカフェインを多く含むため、躁うつ状態にはマイナスに思えるから。しかし、この時点で、これはなるようにしかならないと思っていたので、僕は禁止することはしなかった。本当に必要なものを体が要求してそんな嗜好が出現している可能性もあると思ったのもある。ただ、食べ過ぎないようには言っておいた。

その後、多弁、情緒不安定などが出現した。点滴中、よく泣いているので、外来の看護師さんが理由を聞いてみたらしい。彼女は、僕が催奇形性があるの知らせないでデパケンRを服用させていたと言うのである。まぁ彼女の言うことはわかるが、普通はそこまでは告知しないと思うし、どちらにせよ、デパケンRで治療せざるを得なかったのである。

こういうのを僕が言い訳がましく言うの変なので、僕はそのことについては聞かなかったことにした。(直接、僕に言われたわけではないし)

僕は思うのだが、若い女性患者で、入院中、病棟の隅でさめざめと泣いているような人は最終的にとても良くなることの方が多いと感じる。彼女は外来の処置室でよく泣いていたのだが、なんとなく、これは良くなっていくような気がして、悪い兆候には思わなかったのである。

当時、僕は、いつも来週には入院になるかもしれないと思っていた。なぜなら、突然習い事を始めたりしていたから。しかし、こちらの不安ほどは悪くならなかったのである。不眠に対してはデパスを使った。彼女の場合、デパスだと服用したあと少しふらつくが、こういう状態に良いと思ったのもある。

ある日の深夜、午前3時頃、彼女から家に電話がかかってきた。僕はたまたま起きていた。英会話に来ていたので電話番号は知っているのである。きつくてたまらないので病院に注射をしに来たいという。午前3時だし、彼女の家族が連れて行くわけだし、事故も怖いし、ビタミン剤だけ注射をしに来る甲斐がない。だいたい病院まで40km以上もあるのだ。僕は意味がないわけではないけど、危険なのでデパスを4錠(0.5mg錠)飲んで寝なさいと伝えた。

当時、夢に彼女が出てきた。普通、自分の夢に患者さんが出てくるなんてことはない。ひょっとしたら、初めてだったかもしれない。夢の中の彼女はボロボロだったのである。僕自身に彼女の先行きにかなりの不安があると感じた。

ある日、彼女は来院時、いつもの通りよく喋るので、彼女の母親はどう言っているか聞いてみた。彼女は「あなた、薬飲み過ぎじゃないの?」と言われているという。「なんじゃそりゃ~」これを聞いたとき、家族はそれほど深刻に考えていないし、病状的にも双極2型にとどまり、日常生活トータルではそう悪くはないと思ったのである。

その後、再びデパケンRを減量することを決断。やはり200mgまで減らしたが、今度は全く問題なかった。ビタミンB12剤はコンビニで買うように言った。

そんなある日、彼女が来院する日に来なかったので、こちらから電話してみた。なんと、彼女は薬を自ら止めてしまっていたのである。結局、どうせ止めようと思っていたデパケンRの中止を、僕がグズグズ決められないでいたことを彼女がかわりに決断してくれたのであった。

その後、仕事にも行っており、本人は、すこしうつだけど日常生活は苦しくないし仕事も問題ないと言う。彼女の年賀状はうちの嫁さん宛てに来るのであるが、しっかりした文章で書かれていた。

考えてみれば、彼女はずっと英会話を勉強してきて、遂に望んでいた通り1年間北米に行った。ある種の目標を達成したその心の緩みでこういうエピソードが起こってしまったような気もする。たまたま減量していたとか、気候が悪かったことが、影響していたと思うが。

先日、また電話をしてみたらとても元気だったし、仕事にも行っているという。本人は、ちょっとだけ「うつ」かもしれないと言うが、一時の躁エピソードは完全に消失しているようなのである。うつは仕事には全く支障がないらしい。

僕は、このまま服薬なしで行っても、19年の秋~冬までは問題がないような気がしている。秋から冬にかけて、もし悪くなったとしても双極2型にとどまる可能性の方が高い。治療しなくても乗り切れる可能性も高いと思うのである。それでも、もしどうにもこうにも悪かったら、再診するように言っておいた。彼女、その時は必ず来ると。「デパケンは自分に合っているし、それはわかっている」と言っていたが、なぜそのように僕に言ったのかがちょっと謎だ。

今から考えると、彼女は真面目に薬を飲み過ぎたのかもしれない。そんな風に思ってしまうのである。というか、僕はそんな精神科医なんだ。ずっと以前に、彼女が止めたいと言っていたら、あるいは考えていたかも、と思うのである。

今の病型をみると、既に急速交代型は解消しているように思われる。少なくとも、この6年間、非常に安定していたことの意味が大きい。ボーダーラインでも年齢が上がればなんとなく安定してくる。そういう変化は、他の疾患でも同じようなものだろうと思うのである。だから4年前に中断するのと、今中断するのでは意味が違うと思ったりもする。ただ、これは検証しようがない。

こうして彼女は、時々テンションが高い普通の女の子に戻ったのである。

参考
急速交代型
デパケンR