明日への期待。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 緊急事態ということになり、道場も再び泡立っている。昨年後半は緊急事態ではなかったので、みなさん呑気に稽古していたが、緊急事態となっては緊急だッと言うことで緊急なわけだ。が、私はあまり緊急な気分にならないので、日曜日は参戦させてね、とメールを送った。
 どうでも良いことだけどチラッと触れると、「緊急」という言葉はどうなんだろう?という疑問がある。これは、緊急なのだろうか?と。前回も思ったが、なにが「緊急」なのかわからない。言葉としては、「非常事態」というなら、ふむふむそうかァと思うが、「緊急事態」といわれてもピンとこない。なにが緊急なのさ、と腑に落ちないのである。緊急もなにも、ずっと前からわかっている事態なんだから、別に緊急じゃないじゃんと。明らかにこれは「非常事態」である。常に非ずなわけで、なんとかして常に戻したいから慌てているのだから。

 政治行政のやることはまあしかたないとして、道場も昨年から非常な事態になっていて、私がバシッとやりたくてウズウズしているけど、私がなにかやると必ず顰蹙を買うから自粛している。
 昨年も、そうだった。非常事態だから稽古を止めるべきという説が出たため、んなこと言わないでやろうよぉとやったら顰蹙を買った。もちろん対策企画は万全で、完全単独稽古としてみんなでコソコソやろうぜと言うことだった。が、合気道の稽古というと相対で濃厚接触というのが常識のせいか、ご理解いただけなかったらしい。基本動作などは単独稽古の方が良い面もあるから、コロナ明けまでそればっかりやり続けりゃ良いじゃないかと私は考えていた。それはもの凄く退屈なものだけど、正確にできているものは皆無に等しいのだから、ちょうど良い機会だろうと考えたわけだ。が、顰蹙を買って企画は葬り去られた。
 そんなことは代筆屋時代の三十年間に何回もあったので私はめげないが、みなさんにとっての稽古という言葉の認識について強い疑問を抱かざるを得なかった。私にとっては、基本動作こそがもっとも重要な稽古なので、単独でじっくりできる環境ほどありがたいものはない。が、多くの稽古生は、相対稽古こそが稽古であり、基本動作は準備運動くらいにとらえているようだと思わざるを得なかったのである。確かに、感覚稽古だと相対でなければ微妙なところがわからないが、自身の感度を高めるには単独稽古の方がむしろ得るものが多い、ということに気がついていないのだろうと思わざるを得ない。基本動作を十やって、その問題や達成度を確認するために相対稽古を一やるくらいで充分だとすら考えている。なので、どうも、みなさんと話が合わなくなったりする。
 はっきり言っておくと、基本動作を試行錯誤しながら毎日三年くらいやれば、たぶん、合気上げの入り口に立つくらいまで行くだろうから、基本動作すらもその動作が要求する概念を理解してできないうちは相対稽古などやらない方が良い、と断言しても良い。が、そんなことまで言ってしまうと嫌われまくるから、口を閉ざしている。とは言えども、真実に相違ないので、つい口を滑らすこともあるのだ。

 ホントは明日も稽古したかったが、車夫に化ける日なので不可である。いまは、車夫出動も興味津々で、明日がどれほどヒマになっているか確かめたくてならない。需要の性質も知りたいし、いちばん気になるのはやはり午後八時以降の消費者動向である。駅付けの乗りこみがゼロに近くなるだろうというのは予測できるが、知りたいのは街道筋の呑み屋を移動する酔っ払いがいなくなるかどうか?ということである。繁華街のいかがわしいエリアはたぶん営業しているだろうから関心無いが、街道筋にポツポツと点在する極小歓楽スポットは、なにがあっても営業している。きっと、明日もやっているのではないかと想像しているが、そこを行き来する酔っ払いの有無、そして有ればその生きものの行動心理を知って遊びたい。こういう学びこそが真の知識であり、学校では学べないものだから、良い子のみんなも頑張って酔っ払いを運ぼう、と推奨したい。あ、良い子は二種免なんか持っていないかな。

 非常事態をものともせず街道筋の歓楽スポットをふらふら移動するものにも五分の魂があり、なにかしら理屈を付ける。これがバカバカしいけど、けっこう面白かったりする。どうでも良いのでほとんど憶えていないが、多くは店を心配して呑みに行くのだという傾向である。他を気遣うようだけど、所詮は自分の生き場所を失いたくないだけだが、それが巷間の経済を支える最高の基礎になっているとも言える。そういう基礎固めに貢献している酔っぱらいがどのくらいいるかを調査したいわけだ。
 もちろん、そういう酔っ払いがコロナ感染拡大にも多大な貢献をしているのは間違いないと思うが、そいつらのおかげで生きているものもある。コロナさえなければ、最高に幸せな需給関係だが、いまや崩壊しつつある。
 これは、牛後を嫌う、鶏口の崩壊を意味するのかも知れない。いや、鶏口の道は他にいくらでもあるが、特殊な知識や技術を持たずともできる鶏口だから、多大な人口の糊口しのぎに貢献している世界であるとも言える。そういうところにこそ、生活の原点があるから、とっても気になる。
 国や地方自治体も当然、そういうところも気にしているのだろうと思うけど、あまり気にしているように見えないので、さらに気になるわけだ。

 稽古話とだいぶ異なってきたようだけど、さほど異なってはいないだろう。
 これが、明日の車夫出動に寄せる期待である。
 そうそう、今年の武系抱負を書き忘れていた。
 が、結局は、こう言うこと、と言って良いだろう。とにかく、原点を覗き見したいのである。
 のそのそと基本のキばかりやりながら、原点を覗き見したい、ということである。