幻想の現実。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 年も変わり、せっかくだからそろそろテレビでも替えるかと思い、アマンゾで注文した。以前からそのような気運が高まっていて、最近は映画しか観ないので、昔々の三十二インチから五十五の大画面にしようと。注文活動は滞りなく進み、決済に到達したときだった。
 いつものコンビニ決済のラジオボタンをクリッとしても、うんともすんとも言わない。
 まえは着払いしにしていたが、ある時から着払いで同じことが起きたのを思い出した。着払いボタンをクリッとしても、うんともすんとも言わなかったのだ。で、仕方なしにコンビニ決済にしたのだった。ところが、いまは、コンビニ決済すらうんともすんとも言わなくなってしまった。
 なんだ、どうしたら、私はテレビを購入できるんだ、と焦った。
 あれこれ観察するうちに、携帯決済しかできないらしい、ということに気がついた。
 腹立たしいので別の業者に替えようと思ったが、他だと途上国製の激安ものは手に入りにくいため、しかたなく携帯決済にすることを決めた。
 そのためにはまず登録しなくてはならないらしいのでイヤイヤ登録しようとすると、アマンゾから携帯屋にサイトがジャンプし、初回はスマホかタブレットでないとできないよーんという画面が表示されゲゲゲとなり私は鬼太郎になった。
 んー、この仕組みは、デジタルオタクの狂気だな、と不愉快になったので、注文をキャンセルした。アマンゾとテレビ販売業者は、これで小さいながらも、商機を失った。

 こういう仕組みまでやりだしたか、と呆れた。元は信販屋がやる仕事だったが、一括払いなら携帯屋がやっても良いじゃんと言うことらしい。併せて、アマンゾは携帯屋と協力することで、携帯番号を登録していない潜在客どもの携帯番号他のデータをゲットできる。データは今どきの金鉱だから、とにかく多く押さえてしまいたい。すでにバカげたビッグデータ覇権を争っている時代なので、マジでやっているのだろう。私的には頭がイカレているとしか思わないが、世界中でそういうことを必死でやり、それこそが男の仕事だなんて思いこんでいる阿呆もあり、情報を牛耳ったものが勝利すると確信してやまないものだらけになったのは間違いない。なんとも、異常な時代になってしまったな、と哀しくなる。二十代の頃はデジタル技術に期待していた一人だけど、今はただ狂気へと進化したとしか思えない。
 おかげで、せっかく大画面で映画鑑賞しようという願望は萎えた。

 夕刻、菅さんの非常事態会見を目にして、また萎えた。
 そのうち終息するのはわかりきっているが、増税予告会見にしか見えなかったからだ。
 なにもかも、金によってどうにかするだけの内容が、未だに持続しているのか、とゲンナリした。
 連日メディアで報じられる事態や意見も、たいていは縛りと補償だらけ。縛るからには、補償とセットでないとおかしい、という。いわゆる権利と義務みたいな感覚なのだろうか。民主主義の常識と言うことだろう。
 飲食業に絞ってやれば、縛りと補償もなんとかなるという読みで非常事態宣言となったのだろうけど、飲食業にまつわる他業種には補償などない。やってしまえば、財政破綻へ向けて加速するからだと思うが、どうであれ、補償を担保するのは国民が納める税金だから、誰もが理解している通り、増税は避けられない。人命を護るためなのだから、増税くらいわけもないと思うが、この状況がどれほどの人命を危機へ追いやるか、ちょっと想像できないけれど、将来的にかなりヤバイ作用をもたらすのだろうと思う。月々の自殺者数というのも発表されていると思うが、コロナによる志望者数とどのくらい差があり、コロナとどのくらい関係があるのか、みたいなことも調べて発表する方が良いだろう。失業率はまだ大したこと無さそうだけど、学生のアルバイトの需給関係とかも見るべきだろう。当然、併せて貧富格差の変移も眺めつつやらないとあまり役に立たないけど、それらを勘案してこそ政治行政関係者が好んで使う「総合的判断」というのは可能になるが、昨年初めから国も地方自治体もずっと、総合的判断と言いつつ、医療崩壊という一部の出来事ばかり言い募っているように感じる。あたかも、国家国民を守っているのは医療であると言わんばかりに。
 こうなるのも目に見えていて、実際、日本も西洋同様の医療信仰社会になっているから、当然だろう。もはや医療なしには、生きていけないのである。中世日本みたいな野蛮社会では医療なしにやっていたので、みんな早死にしていたからだろうか。けれど、辛うじて生き残ったやつらが頑張って生殖活動に取り組んできたおかげで、現代まで日本人は生き残ってこられたということだろうか。であれば、優良遺伝子だけが保存されてきたはずだから、コロナなんかに負けはしないに決まっている。
 ということなのだろうか。良くわからない。

 近い将来の増税は確定だろうから、我々は覚悟していまを耐え抜かなくてはならない。間抜けきわまりない政治行政と一致団結してコロナに打ち勝たなくてはならない。打ち勝つためには、どんな犠牲も受け入れなくてはならない。この後の世界経済の縮小は約束されていて、言うまでもなく失業率が上がる。企業は生き残りをかけて必死に人件費削減に取り組んできたのだから当然である。人間がやることくらいロボットでできるのだから、人件費などいくらでも削減できる時代になっている。デジタル化を進めさえすれば、経費削減できるのだ。もっとも忌まわしい人件費を削減しさえすれば、企業という法人は勝ち残れる。取締役未満は、もはや、人間である必要はなく、ロボットで充分。メンテナンス技術と電気くらいあれば事足りるから、面倒臭い福利も厚生も不要。万々歳である。

 コロナの先に、なんとなく、そんな夢のような世界が見える。
 そんな時代が訪れたなら、ビッグチャンスの到来ではないか、と私はちょっとワクワクしたりする。いまでも透けて見えているが、民主主義というものの崩壊の予感というか、徹底的な不信の彼方にポツッと兆す生粋の動物としての人間の再生のような萌芽というか。
 もっとも、この程度の感染症くらいではそこまで行けないと思うが、せっかくだから行ってしまえば良いのに、と思う。見ようによっては、世界人類すべてが共通の認識と目標を共有できる千載一遇のチャンスだから。すでに民主主義という幻想は破綻しているなんて明確と感じるし、共産もダメ、社会主義もダメ、国粋も話しにならないし、帝国なんてちゃんちゃらおかしい。そんな、なんとか主義など、なんの役にも立たないというのは、コロナ現象を眺めていてもはっきりしていると思うが、崩壊するまで続くのだろう。まだ、何百年くらい続くのだろうか。
 けれど、本来在って然るべき社会というのは、いずれ構築される。されないと絶滅なので、確実に実現する。ということは、間違いないだろう。何千年も前から、世界人類はそこを目指して無駄なことをやってきたのだろうから。数多の犠牲を強い、挫折、絶望を大量生産して。
 せめて、そんな夢のような世界に到達しないと、犠牲になったやつらは浮かばれないし。

 なんてことを、非常事態会見を眺めながら思っていた。いまをどうすべきかとか、現実を見ようなどと思いもせず、私はアナーキーな夢を見ていた。
 もうすぐ訪れそうな、AIによって管理されたロボットの指示で心地良く労働する人間みたいなビジョンを揉み消したくて、薄気味悪い夢でも見ないとつまらなかったから。
 アマンゾとかグルグルがやっている動きは、どうも、そういう社会への序曲の準備としか思えないので、テレビ購入を断念した腹癒せに、幻想の悪口日記をしたくなったのであった。
 けれど、あながち、幻想でもないかな。現実を眺めていると。