大丈夫。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 どんな業界にも隠語めいた用語があり、車夫界にもあるようだが、最近、乗客用語みたいなものがあるようにも感じているので、チラッと記そう。
 私は新入りで地理に疎いから、行き先を聞くと、きっと、どこそこの方でしたよね?のように問う。例えば、こんな具合。
 「グロッキー村へお願いします」
 「ええと、グロッキーだと、アレでしたね、八咫烏街道かな。ミミズク・テクノロジーの手前を左で良いですか」
 「そうそう、大丈夫です」
 そして、ほっとして暴走する。
 また、こんな時もある。
 「米搗き蝗虫四丁目なんですけど。四丁目の七の十八、わかりますか」
 「んなとこ、わかるわけないでしょ。今ナビで調べますから、待ってください」
 「そうですね、わかるわけありませんよね」
 「そうです。われわれは阿呆ですからね。おっ、ここかな。蛆虫通りから螻蛄街道の方へ向かって、竈馬幼稚園があるあたりですかね」
 「そこで大丈夫です。竈馬幼稚園の裏なんですよ」
 少し難解な漢字を使ったので読みも記しておこうか。
 八咫烏(やたがらす)。米搗き蝗虫(こめつきばった)。四丁目(よんちょうめ)。阿呆(あほう)。蛆虫(うじむし)。竈馬(かまどうま)。幼稚園(ようちえん)。このくらいで大丈夫かな。
 ついでに、大丈夫(だいじょうぶ)。
 これだけしるせば、ようちえんじでも、だいじょうぶだろう。

 なんとか目的地に近づくと、多くの客が似たような物言いをする。
 「あ、あそこの二本目の電柱の手前で大丈夫です」
 車夫になりたてのころ、この手の言い方にかなり戸惑っていた。
 え、なにが大丈夫なんだろう?と。
 雑な人はきっと、停めて欲しいところの数メートル前くらいになって、突然、「あ、ここで大丈夫です」という。
 え、なにが大丈夫なんだろう?と思い、ビビって数メートル数十センチくらいオーバーランしてしまったものだった。いや、今でもしているけれど。
 目的地が近づくと私は、「どの辺で停めますか」と問う。正確に停止させたいわけではなく、メーターを早めに止めたいからだ。度々支払いボタンを押した瞬間に料金が跳ね上がることがあり、客は気づいてないことがあるが、私は気がついているので、なんとなく気まずくなるから、十メートル手前くらいになるとプチッと支払いボタンを押すことにしている。実は支払いボタンを押してもメーターはカウントし続けていて、停まるまでの間に料金が上がることも多いが、手前で止めたとわかっている客は機嫌良く下車していく。実質としてはほぼ無意味なことだが、心情的には有意義なサービスである。こういうメーターの性質は良くないので、改善した方が良いと思うが。
 たまに、押した瞬間に上がってしまうと、仕方ないので私は「ご免なさい、今上がっちゃいました」と報せる。
 と、客は停止前に押したとわかっているので、「大丈夫です」と許諾してくれる。ごくごく希に目くじらを立てるものもいるが、メーターは車夫ではどうにもできないことを説明すると納得する。ま、できないことはないようだが、基本的にはできないので。

 メーターの件はどうでも良いが、これらの口語に多用されている「大丈夫」という言葉が、どうにも鼻についていけない。
 大丈夫とは、ちょっとネットで調べればすぐわかるが、元の意は立派な体躯の男のことで、「やあ、お子さんは大丈夫だねぇ」みたいに使われていた気がするが、やがて、オッケーとか問題ないみたいな使われ方になってきた。それは良いけれど、「この辺で良いですか?」と問われたなら、普通の感覚だと、「ええ、この辺で良いです」と応える気がするが、多くの人が「大丈夫です」と応えるので戸惑っていたのだった。
 車内の空調も気になり、乗ってきた客に寒くないかとか暑くないかと訊ねることも多いが、たいてい「大丈夫」と応える。こんなのはわかりやすいので、問題なしだなと了解するが、停止位置などに使われると、どうも違和感があり、未だに馴染めない。
 もしかして、大丈夫って、現代最強の便利語になったのかな、と感じる。

 丈夫というのは、丈(背丈)のある夫(男)だが、背丈と言っても背がやたら高いわけではなく、しっかりした身の丈に育ったという程度のもので、昔の健康優良児くらいの感じだろう。ま、昔のはやや肥満だった気がするけど。それでも並ではなく、ちょっと抜きんでた肉体を指したわけで、故に非常に強い、ガッシリしているとか、健康そのものという印象を表す言葉として用いられた。それが転じて、問題ない、適切であるみたいな意味にされてきたわけだ。
 ちょっと考えると、大丈夫という表現は、男女格差に基づく差別語と言える。そもそも男を評価する言葉なので。
 「あら、丈夫な娘さんね」というような用法は、実はヘンなわけだ。「奥さん、ほんとに御丈夫でいいわねぇ」なんてのは莫迦にしている表現であると言えなくもない。あまつさえ、生きものでもない停止位置について「大丈夫」などと用いるべきものであろうか。
 なんてことは思いはしないけど、インテリ層でもけっこう平気でそんな使い方をしている。このインテリは阿呆なのか、と思うこともある。
 私もたまに使ってしまうが、そう多くは使わず、特に会話の時は、使わないようにしている。書き言葉の場合、変化させたいときは使うけど、あまり多用はしないと思う。
 が、乗客たちは、ニコッと微笑み、「大丈夫です」と多用する。
 車夫にも優しい善良な人なんだな、と感じるが、どうも違和感がある。

 昨日も成績が悪くなかった。今月に入ってから営業アプローチをちょっとずつ変化させてきて、狙い通りの成果を上げている。先月が酷すぎたから少しマジに分析したおかげである。もっとも、この手の営業は計画的に成果を上げるのは難しく、クジ運や時の運に左右される。それでも、自分が狙うレベル程度まではもう少しで到達しそうで、前々回から最低ノルマを引き上げた。あと千円くらいで中堅クラス同等になる。それなのに給金が低くて驚いているが、そこは皆同条件だから目を瞑ろう。代筆業に較べてきつい割りに低収入すぎるな、と激しく実感しているのは事実で、これが業界の将来的大問題になるのは間違いない。経営思想が低次元なのだろうと感じる。だから人材が育たないわけで、延々堂々巡りを続けざるを得ない。、それも無視して大丈夫かな。

 なんて書いて、大丈夫だろうか、と思うので止めにして、もっと大丈夫そうなことに変えようと思ったが、もう眠くなってきたからこんくらいにしておいても大丈夫かな。
 うん、きっと大丈夫。梅子は激痩せで不健康だけど、大丈夫よ。どんなにアル中だって、まだアルコールチェックに引っかかってないから、きっと大丈夫。そうよ、絶対大丈夫ッ。だって、梅子ってスレンダーなのに車灼けした小麦色よりちょっと濃い茶色のまるで日焼けサロンのお得意さんみたいな感じの溺れやすいサーファーみたいだから大丈夫よ。と、思うのだ。
 そう。大丈夫だぁである。なにが大丈夫なのかわからなくなってきたが、大丈夫。
 とにかく、大丈夫と言えば、大丈夫なのである、世の中は。
 明日も、大丈夫。明後日も、大丈夫。
 なんて考えていると、大丈夫かなぁ、なんて不安なるが、ま、大丈夫だろう。梅子って紫外線対策もしないし、小柄の激痩せで、アル中でニコ中の上に花粉症にもならない野蛮人だけど、内臓は大丈夫だから。
 もう、床入りしても大丈夫。寝汗やいびきをかいても大丈夫。お尻を搔いたって大丈夫。寝過ごしたって大丈夫。最近起きられなくて毎日遅刻気味だけど、大丈夫。だって、夜の閉店が早いから大丈夫。なにもかも、大丈夫。
 や、そうか。己を誤魔化す用語として現代人の魂に馴染んでいるのが「大丈夫」という言葉なのかも知れない。折れそうな、くじけそうな自分を励ます言霊として、用いやすいのか。そういう歴史がありそうでもある。もう眠いからこのくらいで大丈夫にしておくが、そのうち思いだしたら掘ってみれば大丈夫かも知れない。
 きっと、大丈夫だろう。