降雪の二面性。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 昏い明時の裏道を気鬱を抱えて走りつつ、どうにか休む手口はないかと考えていた。いかにも雪が降りだしそうな空だった。降りだせば二時間ほどで積もりだすのではないかと思った。少々雪が積もっても、ゆるやかな地形であれば四駆で何とか動けるが、家のある山上の町では、チェーン無しでは身動きできなくなる。ウインタースポーツに興味の無い私にはチェーンなど無用なので持っていない。もちろんスタッドレスも履かない。年に二日ばかりの降雪のためそんなものを用意する気はさらさら無い。であるから、積雪してしまえば、帰宅困難に陥ること必至である。
 今月度は売り上げも低迷しているから、できればいつも通り営業したいが、帰宅困難ではさらに睡眠不足になるので、なんとかそういう事態を回避したい。となれば、売り上げは捨ててサボるより他に道は無い。私の道は、サボりの道なのだ。ただ一途にサボらなくてはならない。それが私の生きる道。
 とか思いつつ走っていると、ピーンッと平目いた。いや、閃いたのだ。
 そうたいッ、それがあった。そうたい、そうたい、そうでごわしたッ。まったく頭に浮かばなかったとは情けない、そうたい、そうたい、そうですたい、そうでごわした。その手があったでごんざれすッ。
 ここまで書けばバレバレだろう。そうである、早退という簡単な妙手があったと思いだした。というか思い寄らなかったなんて、なんという阿呆なんだッと我ながら呆れたが、積もりそうになったら、さっさと早退してしまえば良いのだと気がついた。
 それでも断りもなくいきなり早退するのはなんなので、朝の点呼番の人に「雪が降ったら早退しますから、よろしく」と伝えた。
 すると点呼番さんは、「そうたいですか」と応えた。
 「そうですたい」
 「そうですか」
 「そうたい」
 いや、終わりにくくなるから止めておこう。
 で、午後四時ころ、雪が積もりそうな気配になってきたので、とっとと早退したのだった。

 久しぶりの雪見酒は、旨かった。
 ちらほらと綻んだ白梅の枝葉の雪化粧も楚々として、良い風情である。帰路のスーパーで半額投げ売りされていた鮪と鯛のお造りをつまみつつ嘗める安焼酎の味わいも一入で、車夫としてはいとわしい冬景色を愛でて私は「そうたい、そうたい、これでよかとですたい」と呟いていた。
 売り上げは車夫史上最悪を更新したが、雪見酒の余録はこのさもしい胸の内を喜ばせた。
 のんびり晩酌しながら一日を振り返った。
 雪の日は忙しくなる、と研修では聞かされた。だから、積雪しても走るべきだと。けれど、今日は朝からヒマでヒマで、乗り場に付けても客はなく、無線もほとんど舞いこまなかった。大きな駅にある四ヶ所の乗り場には長い車列ができていた。一時間は待たされそうなので、周辺の待機場を徘徊すると、意外に待ち時間無しに客が釣れたが、いずれも短距離。それでも駅でじっと待ち続けているよりはマシではある。平素の三分の二度しか労働できなかったが、たぶん駅でジッとしていた車夫よりは売れただろうと思う。けれど、それでも、午後四時で終いにしたので惨憺たる結果となった。
 面白かったのは、営業基地に戻り車を拭いていると、日勤の女性が戻ってきて、チラッと話したら、彼女は三十回くらい営業したと言った。私はわずか十四回だけだった。売り上げ数値はあまり変わらないようだったが、この女性は私と同じくらいの労働時間なのに、倍も熟したのかと驚いた。今日の状況を思うと、三十回なんてあり得ないとしか思えなかったが、現にやった生きものが目の前にいるのであり得るのである。約十時間の営業なので、彼女は一時間に三回やったことになる。私は一・五回ほどと少ないが、あのヒマすぎる状況で、どうしたら一時間に三回もできるのか、不思議でならなかった。なにか秘訣があるのだろうか。どう考えても、無理としか思えないが、現にやった人がいるから、できるには違いない。
 こういう謎に出会うと私はムラムラして謎解きしたくなってしまうので、そのうち調査したい。今は寒くて嫌なのでやらないけど。

 焼酎を嘗めていて、そういえば土曜日はたいていヒマだったなと思いだした。
 普通の感覚では、土曜日の車夫は忙しそうに思われそうだけど、けっこうヒマである。日曜は当たり外れがあるが、ヒマなことが多い。金曜も忙しそうに思えるが、さほどではない。
 やっていて意外なのは、木曜日が、なぜか忙しいこと。私だけかも知れないが、どうしたわけか、木曜日は平均して回数も売り上げも高い。売り上げだけ見ると、やはり上がりやすいのは金曜と日曜で、特に金曜の夜は長いのが舞いこんだりする。回数は少なくヒマだけど、距離で稼げる。日曜も同じだが、金曜は夜に長いのが多く、日曜は午前に多い。これを取り逃すと、その日は悲惨な状況になる。
 経験というのは、こういうことがわかってくると面白くなり、だんだんソリューション遊びのネタができてくる。そうなると仕事というのは面白くなってきて、謎が解けるごとに経験値が上がり、スキルの質も上がっていく。
 私は今でもほとんどの場合、客に道案内させているが、案内させるテクニックは格段に向上している。以前は、新入りで道を知らないから教えてケロとやっていたが、今は「そこを左に行くとあれでしょ、とすると右の方が近いかな」とかそれとなく客に問いかけるようになった。すると、客が勝手に「はい、右へ行って、二つ目を左で、するとあそこに出ますでしょ。そっちでお願いします」と勝手に道案内してくれることが増えた。誘導尋問式セールストークが上手くなってきたわけだ。そろそろ一人前の車夫に近づいてきたのかも知れない。
 この仕事はたいして魅力は無いが、客との接触はやはり面白く、捨てがたい面もある。ほんとうに気の良い人が多く、接して不快な人間はかなり少ない。もちろん不快なやつはいて、相手をしたくないものもあり無視することもあるが、ほんのわずかに過ぎない。ほとんどの客は会話して愉しく、善良な性質だと感じる。私は人間嫌いの方だと思うが、そう思うくらい、善良な人が多い。
 こんなに良い人だらけなのに、なんで、この世はこんなに不快なのだろうか?と悩んだりする。
 降雪も、のんびり酒を舐めつつ眺めれば快いが、車夫などやっていると疎ましい事態になる。
 そういう物事の二面性とは、結局のところ自分のとらえ方が作りだすものだから、自分の二面性がそれらに写り込んでいるということか、とも思われる。
 己の思いが、すべてに写り込み、反射して、また己の思いを為す。とすると、この世を創出しているのは、鏡面反射した己なのか。
 うーん、ややこしくなってきたから、そろそろ止めよう。
 営業日に記録したのは車夫史上初だったろうか。
 とすれば、これも降雪による早退の賜。物事なんでも悪いばかりではなく、きっと違った一面がある。背反する性質がひとつの物事にあるけれど、すべてが真実である。どちらかが真ではなく、どちらも真なのだろう。
 冬のクライマックスを無理やり報せるかのような雪の日、そんなことを考えたのだった。