玉子たち。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 目的地まで一キロを切ったとき、ズボンのポケットの携帯電話が震えた。五回震えて止まった。メールだとわかったが、すぐに確かめることはできなかった。背後の女性はなにかの書類に見入っていて、私がステアリングから手を放し、携帯電話の画面を覗いても気がつかないと思われたが、間もなくその女性は数千円を払って消えていく。今はその時まで自分の仕事に専念しなくてはならないと考えた。メールの内容は想像できた。
 ほぼ間違いなく、吉報に違いないと感じた。慌てることはない。数分遅く祝福されるべき事実を知ったところで、自分の状況はなにも変わらないし、誰一人不幸になることもない。自分がやるべきことは、背後で、きっと小難しい顔つきで文書を睨んでいるのであろう女性を不幸にしないように、細心の注意を払って目的地へ運び届け、少しは解けた表情になってここから消えていってくれるようにすることだけだ。
 二十代前半であろう女性は、大きな駅のある町の有名な女子学生寮から乗った。無線を受けて私が迎えに行った。ブリテン・コッツワールドの風情を彷彿とさせる煉瓦造りの建物で、その町では若者も老人たちも名を知っている。私はまったく知らなかったが、そちらへ向かうものの多くが、その女子学生寮の名を口にした。噂では名門に通学する良家の子女が入居しているのだという。
 女性が告げた目的地を耳にしたとき、なるほど、噂通りなのかも知れない、と思った。
 「K大学のSSSキャンパスへお願いします」
 K大学は高名な医学博士が興した医科大学で、付属の病院は大規模で、一階にはコンビニやカフェや書店、それに花屋や衣料品店まである、ちょっとした町というほどで、毎日あらゆる方角から人々がやってきて、一日の大半をそこで過ごしている。私の姉もそこで息をひきとったし、母も目の手術をしたり、何度も訪れたことがある。いつも病人か死人の親族としてだったが、今は車夫として、多くの場合、病人たちを運んでいる。が、背後の女性は病人ではなく、そこの大学に通う学生らしかった。つまり、医師のタマゴ、だろう。
 タマゴか、と思うと、脳裡に例の言葉がポッと湧きだし、急速に膨張し、瞬く間に頭の中を埋めてしまった。
 医者のタマゴか、ふん、煮玉子の方が美味いぜ。えッ、煮たまご?煮た孫、じゃないかッ!二番目だからな、二た孫だ。茹でた孫だけでも手にあまるのに、煮た孫までできてしまっては、多孫になっちゃうじゃないか。まいったな。この客、さっさと下りないかな。もうこの辺で停めてください、とか言わないか、こら、さっさと停めろッ。
 そんな車夫の内心など知る由もなく、たぶん良家の子女の医者のタマゴであろう女性は、たぶん小難しい顔のままなにかの文書を睨めつけているに違いなかった。もしかするとドイツ語など見ていたのかもしれない。
 ようやくSSSキャンパスに着け、女性は笑顔になって下りた。「実はちょっと急いでたんです。早く着いて良かった。ありがとうございました」と会釈した。
 私も会釈を返したが、内心はもはや上の空で、とにかく一刻も早くその場を去り、街道沿いのコンビニででも一服しつつメールを確かめたかった。女性が背を向けると、即座に車を切り返し、来た道へ走らせた。
 ほど近いコンビニに車を止め、喫煙スペースで煙草をくわえた。
 くっきり晴れた空で、空気が暖かかった。一気に春が来たかのようだった。頬をかすめる風も快く、煙草に火を点ける前に、春の太陽をたっぷり含んだ陽気を、深呼吸した。快かった。私は春になった。ほっと安堵し、体の力が抜けた。思いがけず、体が緊張していたらしい。ああ、良かったと思った。もしかすると、この後、CR方面へ行きたいという客が来るかも知れない、とも思った。CRへ向かう途中に次女が入院している産院がある。そういう客が来たならば、ついでに新しい孫を煮ることができるかも知れない。
 きっと来る、と私は思った。思ってしまうといても立ってもいられず、煙草を揉み消し、営業を再開した。数秒後にはそういう物好きなやつが、街道筋で手を上げているかも知れない。車を停めて後席のドアを開けると間抜け面して乗りこみ、こう言う。「CRの方へ。あ、A産院の角を通ってください」と。そうなればこちらのものだ。
 「オッケー、任せておきなさい。A産院ならおれの馴染みだ。最初の孫を茹でたのもA産院ですからね。今日のあなたはついてるね。次の孫を煮る儀式につきあえるなんて、本当にラッキーな人だ。何なら料金を半額にしてあげても良いですよ。いや、あなたの方がラッキーなんだから、料金を倍にしましょうか。そうだ、そうしよう。さあ、準備は良いかいベイビー。A産院へかっ飛ばすぜッ」
 そんなセールストークを頭の中で反芻しつつ、私は大きな駅へ戻っていった。
 しかし、世の中は冷たい。CRへ行きたがる客は、ついに無かった。おまけに、一服しつつメールを見るのを忘れてしまい、三つ目の赤信号で停まったときに思いだし、急いで確認して返信した。内容は想像通り、煮た孫生誕の報とポートレートだった。

 というわけで、今夜、ついさっきだが、仕事帰りの妻を小さな駅で拾って、煮た孫を食べに行った。すると、茹でた孫が大騒ぎした。妻が言うには、茹で玉子は煮玉子に、焼き餅を焼いているとのことだった。玉子がなぜ餅を焼くのかわからないが、そういうこともあるかも知れない。
 が、そんなこともどうでも良い。私が煮た孫を抱くと、煮た孫がニターとした。三キロ超の小さな人体は、三キロのダンベルを遙かに超える重さだった。
 いつも休日は午後四時前から焼酎漬けになる習慣なのに、その重さを感じられただけで、我慢して行った甲斐があった。
 茹でた孫は確かに、煮た孫に向かう気を自分へ引き戻そうとするかのように、お婆さんとお爺さんにプリキュアがいかにエキサイティングなものであるかプレゼンテーションした。私はなぜかプリキュアの髪切り屋さんということになっていた。良くわからなかったが、煮た孫の髪を切ってやった。
 新しい孫を煮た産院でのひと時は、シュールだった。

 昨日は、朝から玉子尽くしの一日だった。
 今日も、玉子尽くしなので、夜食べた特製広東麺には玉子を使わなかった。いつも中華麺類は午に食べるが、午は洋物パスタにしたくなり変わり種ミートソースにしたので、今夜は一人だけだから広東麺にしたのだった。玉子抜きでも、手は抜かず、豚肉やバイナメ海老も野菜も油通しして拵えた。スープは手抜きのウエイパーだが大蒜と生姜をガツッと利かせ、癖になりそうな味にした。これが、美味かった。
 広東麺は玉子がなくても美味いが、人の生と死の間には、孫がなくては味わえないことがある。ということを、齢六十近くにして感知している今日この頃である。これは、ありふれたことだけれど、味わいたくても味わえない人もいる。味わえるのは、実に幸運なのだと思うべきだろう。麻生くんみたいな鈍感ではわからないと思うが、味わえる悦びを知るならば、味わえない寂しみくらいは想像できるもので、ああいう失言もしないだろう。思いを遣る精神構造が破壊されたのは、たぶんああいう無神経が伸している戦後政治のせいだなと実感される。右も左も関係なく、政治屋は無神経でいけない。というか不感というべきか。
 感性とか感受性というが、それは誰にでも備わっていて、不感ということはないはずだが、それらにも個性差があり、どれが良くてどれが良くないということもない。すべて良い、あるいはすべて悪いのである。つまり、良いも悪いもメェーッとなる。
 なにもかも、良くも悪くもある。私が孫を茹でたり煮たりすれば、なんてことをするッと叱責する人もあるだろうし、笑って眺めている人もいるかも知れない。どちらが善か悪かなどということは、神のみぞ知ることである。ま、孫を茹でたり煮たりするとDVで逮捕されるからしない方が良いが、口先だけならしても良いのである。
 まて、なにを書いていたのか、また忘れてしまった。
 年には勝てない。
 負けて、このくらいにして、思いだしたら、また明日。