天地サンドイッチの具材。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 脱主夫の日なので、終日学習。十二経絡のだいたいの経穴の性質を調査して一覧するメモを作った。たぶん百数十あり、情報集めと分析にかなり苦労した。こういうのは扱う人によってちょっとずつ効果効能の把握が違っていたりするのでややこしい。が、やりたいことの基礎資料はほぼできたから、これからが愉しみになってきた。
 しかし、こんなもの絶対に記憶できないから、施術するにしてもやはりあんちょこ片手にやらざるを得ないだろう。これまで受けた指圧マッサージや鍼灸や整体の人は一切資料など見もせずにやっていたが、すべて記憶しているということなんだろうか?どう考えても、そんなことあり得ないと思うが。また諄いが、今夜もこの系の話になる。
 指圧マッサージは中医学では推拿という手法で、気功と切り離せないものなので、それをやるものは気功の鍛錬を怠ってはならないとされている。が、わが国の国家資格保有者に気功をしっかり練ったものがあるのかどうか、甚だしく疑問を覚える。また整体というのもそもそも推拿なので、同じだが、整体には国家資格はなくあってもいい加減な民間資格だけ。やることは指圧マッサージと変わらない気がするが、無資格でやっても問題はない。よってインチキも罷り通りやすいが、陰陽五行や気功を体得していない国家資格保有者も同様にインチキといって良いという気がする。だいたい陰陽五行論は難解すぎて、というか感覚が重要なはずなので、単に知識があったところで活用不可だろう。となると、わが国のその手の国家資格というのは中医学を舐めていると言えなくもない、という失礼なことになる。
 整体に国家資格がないのは、どうにも指圧マッサージとの分類をつけにくいだろうし、たぶん野口整体は厚労省認可の公益社団にしてしまっているし、いまさら規格統一なんてできないためではないかと思うが、どうなんだろう。あまりにも適当な流派が増えていて、マッサージやカイロプラクティックや柔整との境界すら不分明でわけがわからない。なので国としてもそのうち規格統一に動くことになるのかと思うけど、どうせインチキなやつらは抜け道をするりと通って別の名前で出ていますとかやるのだろう。
 と読んでいるので私は端から整体とは言わず、まったく違うネーミングにすることにしたのである。一部仲間に知らせたところ、すぐに整体みたいなものとわかったから問題は無さそうだ。私がやろうとしているのは整体でもないので、整体が規格統一対象になっても関係ないわけである。のような面もあるが、明らかに違うから。
 みたいな仕掛けを考えるのが愉しいもので、ついつい夢中になってしまう。実際は、かなり本来の推拿に近い手法にするのだけど、経絡使いには独自の視点を持ちこもうと、経穴分析をやっているわけである。こんだけ真剣に独学しているものはそう多くないと感じるが、どうだろうか。

 私は子どものころから莫迦で阿呆だけど、学習は好きで、いつも何か学習している。知識の蓄積に拘りはないけれど、視点の多角化のためにはこれが欠かせないと二十代のころに気がついた。つまり多様なことに関するある程度の造詣がないと、ある物事を別角度からパッと見つめ直すこともやりにくいわけだ。代筆屋に必須の能力がそれで、多角的な視点なしには発想というソリューションはできない。〆切りという限られた時間の中で確実に買ってもらえる答えをだすためには、絶対不可欠なので。故に家中本だらけになったりして困り果てるわけだけど、ブックオフがあるから今はもう大丈夫。
 否、そういう日記ではなかった。経絡経穴のことだった。忘れてしまうところだった。
 つまり、経穴なんて憶えてらんないから、私は経絡という観念によって全体の傾向を把握し、中医学でいう証を明らかにし、さらに経絡をいくつかのブロックに分解して別ブロックとネットワークさせることで、なんかヘンなことをやると良いかもにぇ、と考えているのである。もちろん、これには陰陽論も関係するが、五行はややこしいから無視ね。
 採用しようとしているのは経絡整圧という手法だけど、これは本来の経絡理論とは異なり、経絡には流れがあって、それに沿う施術によって全心身の健康、いわゆるホーリスティックヘルスを実現しようとしたものだろうと思われる。その信憑性は不明だが、長らく利用されてきたのならなにかしら効能があったということだろう。けれど、そんなことをやっていたら何時間もかかってしまうし身が保たないので、経穴の性質と傾向を整理し治し、経絡論を活用しつつもより効率的に目的を達成しようと図っているのが私的分類整理再構築理論なのである。意味不明かな。

 ま、わからなくて良いけれど、これが愉しくてかっぱえびせんなわけである。考えてみれば、合気の研究も柔術が如何にして実戦適応しえるかなんて視点から合気技を分解し、身体の性質を分析し再構築してここまで体現したので、そっくりといっても良さそうな気がしなくもない。それだけで二十年かかったのだから、今やろうとしていることはもっと時間がかかるかも知れないが、大丈夫。私は百十六歳まで生きているので、きっと解明できる。
 目標目的がある人生は、生活苦に陥ってもたぶん愉快なものだろう。ま、あまり苦過ぎては不愉快だろうから、きつそうならなにか非正規ワークもやらざるを得ないと思うけど、可能な限りフリーを貫く。国家もようやくフリーランスの厳しさに気がついたらしく減税するそうだから、頑張らなくっちゃ。とはいっても、所得税よりも、社会保険関係や地方税が異常に重いのだから、そっちをテコ入れしろよッと思うが。健康保険税なんて異常過ぎるだろう。なんで病院に行かないおれがこんな重税を払わなきゃならないんだよッと請求書が来るたびに腹が立つ。公平平等を実現するために、あなたも独自の健康維持活動など止めて病院で健康診断を受け、なにかあればすぐ病院で診断してもらい、大量に薬を飲んで安静にして、寝たきりで健康を維持しましょう、なんて厚労省のボンクラどもは考えているのではないか、なんて思ってしまう。政治行政から欲ボケの莫迦を一掃することこそ、国家の健康を取り戻す最重要案件だろうに。
 あッ、ついまた口が悪くなってしまった。

 このところ寒いが天気が良いので、二階のベランダで一服するのが心地良い。昨日まで今ごろのオリオンは頭上より北にあったけど、今夜はやや南に感じられた。その向こうに南極星が媚を売るかのように燦めき、老眼も乱視もかなり悪化しているわりに四等星くらいまでまだ見えて、美しい冬空である。
 天地人合一、と感じた。全宇宙の気が、ここにある。
 あ、頭がおかしいと思われてしまうかな。
 けれど、吐きだした紫煙と呼気の向こうに燦めく南極星を目にすると、そんな気になるのである。
 厭な時代、厭な社会だけれど、宇宙も大地も美しい。
 天地の間に存在するなにものかだけが、醜悪になっているだけで、世界は今も美しい。
 サンドイッチの具材が腐っているだけで、パンはフレッシュなのだな、なんて思うのだった。