いくつかのクッション考。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 悩み迷い続ける年の瀬で、今日はクッション問題に苦悶した。というのは、施術室に早めに来てしまった人のために座って待てる場所を用意しなければならないが、私が所有する椅子類はたぶんご高齢の方々には快適ではないはずなので、座面高がやや低いベンチを作ることにした。ベンチといっても、以前私の寝床の台座にしていた木箱をふたつ並べ、上に四十五×百二十センチの板を渡し、その上にクッションを置こうというだけだが。
 が、わが家には座布団やその手のクッションの類は多々あるけれど、みんな汚らしい。叩けば私みたいにいくらでも埃がでる。施術室であるからには衛生清潔第一なので、埃っぽいのはいただけない。となると、やはりクッションを新調せざるを得ない。もうコストをかけたくないが、仕方ない。ということで、本日はホームセンター巡りの旅に出た。

 三つのホームセンターを駈け巡ったが、これだというものはなかった。デザインも酷いし、機能的にも話にならないものばかりで、ゲロゲロパーであった。唯一使っても良いかなと思ったのは、シマホで目にした低反発ウレタンフォームを使った四十センチ角のやつだけ。一枚千二百円弱だが、ネットで買っても変わらないので、それを二枚仕入れることにした。ただ気に食わないのが、カバーがベロアで、汚れが目立ちやすそうな点。綿か合皮のカバーにしたかったが、そういう製品はなかった。いや、高額品にはなくもなかったが、欲しいのは廉価品だったので。
 ポンコで行ったためクッションを前カゴにも後ろの荷台にも搭載できず、足元に置いて恐る恐る運搬してきた。おまけにガス欠になりかけたので、スタンドに寄ったりして、なかなか苦労の多い旅だった。

 作ったベンチに二枚の低反発ウレタンクッションを置くと、なかなか良い感じになった。
 試しに座ると、ムニーッと尻が沈むが、底当たり感はなく、尻心地が良い。すぐ左後方にペコギをぶら下げてあるので、手にしてスターダストを肉弾いた。良い座面高だった。並の椅子の座面高だと高すぎてギターの肉弾きに向かないが、このベンチの高さは素晴らしく快適で、肉弾きベンチと命名しても良いと感じた。ギタリストの独奏など見ると、足置きに足を乗せて爪弾いているだろう。あれがないと、どうも爪先立ってしまうからである。私もいつも肉弾いていると爪先立ってしまうが、無理やり反対の足を爪先立った下脚に絡めて誤魔化す。いや、こんな記述は書いてもほとんどわかる人はないだろうか。が、爪先立った足の下脚に反対の足を絡めると、なんとなく落ち着くのである。わかんないかなぁ。わかるわけないか。
 座面高四十三センチほどだろうか。これが、私の短い足に最適なギター肉弾きポジションだと判明しただけでも、クッション探しの旅に出た甲斐があった。お爺さんやお婆さんを座らせるのはもったいない気がしてきた。私が独占したい。
 しかし、早めに来てしまった人のためのベンチなので、そうもいかない。
 もっとも、誰かが来るという保証はないので私専用にできる可能性はかなりあるが、それでは生活できなくなるから、必ず誰かに座ってもらわなければならない。厳しい戦いである。

 たまには世の中のことにも触れようかな。かなり不快なことがあったから。
 例の普天間のそばにある保育園に誹謗中傷が殺到しているという件。ウチナンチューの実に醜い性質がくっきり出ていて、うんざりする。そんなこと自作自演なんてするわけないだろうに、同国民である沖縄の人々を批難するなんて、人間のクズといって良い。こういうクズだらけなのが現代日本なのだとしたら、恥ずかしいにもほどがある。自民党政権が営々と築き上げてきた国家そのものと言って良いだろうか。
 もちろん、日本は米国の軍事力なしには生きていけないので、米軍の加護を大事にせざるを得ないわけだけど、なぜ大事にすべきかとなると、国民を守るためというわけで、国民に害が及ぶようなやり方では片手落ちということになる。保育園になんか危ないものが落下するというのが事実であれば、そういう問題を排除するのが国の仕事なわけであり、国民に対する安全保障としての最低限の役割といって良い。誹謗中傷しているやつらは、もしも自作自演でなかったとしたら、どのように自分の愚かな行為言動の始末をつけるのだろうか。謝罪でもするのだろうか。滓だから、そんなことはしないだろう。ただ、何も無かったふりをしてシラを切るだけだろう。心底恥知らずなやつらだということになる。自作自演なのかどうかわからないが、まさかわざわざそんなことはしないだろう、どう考えても。ならば、誹謗中傷などすべきではなく、事実が判明するのを黙って待つのがマトモな生きもののやり方ではないか。
 どうも、日本はそのような醜悪な生きものだらけになってしまったようで、中韓とか北朝批判のやつらもそうだが、たいへん醜い。というか、みっともないというか、愛国ぶった言動をするくせに不様極まりない己の実態にはまったく気がつかないというか。感情に動かされる性質だとどうしてもそうなるということだろう。
 そういうのは、中医学的に見ると、未病のギリギリ寸前だから、プチッとなると病に陥る。精神の病ね。愛国も程々でないと、傍迷惑なばかりか、己も傷めつけかねないわけだ。

 そこでクッションという緩衝材の重要性がはっきりするのである。硬い板に直接座っては、尻が痛むのである。で、なにか柔らかい物をあいだに挟みたくなる。つまり、クッションというのは、尻と硬い板との仲を取り持つ仲人さんなのだ。そこらの揉めごとに首を突っこむ仲裁役といっても良いかな。
 となれば、熊さん八つあんのことが気になってしようがない、貧乏長屋の大家さんである、ということになる。
 なんと、クッションは、大家さんだったのだ。尻に敷かれる存在のクセに。
 ただ尻の下に敷く物だからといって、舐めてはいけないという現実が判明したのである。
 この世を、本質的に統べるのは、緩衝材であるクッションなのである。現実政治的に表現すれば、官房長官という感じかな。という点では安倍くんは管くんをかなり買っているが、管くんは高反発クッションであり、ムニーッとなる低反発ではないだろう。彼の人相を目にしただけで感じられる。だいぶ鬱屈した少年期を過ごした人に見える。良い人なんだろうと思うけど、ちょっと危険な感じは否めない。注意深く細心という性質は、いかなる経験がもたらすか、くらいのことは想像したいところではある。まだ麻生さんなどの方がわかりやすいのだから。

 この世から良いクッション材が消えてしまったのだろうか、なんてことまで思われてきたりする。小渕さんが大宰相として期待されていた時代くらいまでは、クッション材感覚が政治の世界にもあったのかもしれない。
 けれど、もうなくなった。
 しかし、まだ、われらの尻は、低反発ウレタンフォームを歓迎する。
 ムニーッと沈んで、良い感じだからだろう。
 ムニーッと沈める政治家は、どこかに居るだろうか。
 この尻をやんわりムニーッと受け入れ得る政治、というのがいつか実現するだろうか。
 今回の増税は悪くないと思うが、亀さんは噛みついたそうで、噛みつき亀も程々にしとかないとにぇと思ったのだった。せっかく累進税の見直しに着手する丹所になることなんだから、大歓迎しないと。これこそ、いくらか貧富格差を和らげる緩衝材たるクッションとして機能させ得るひとつの方策の入り口なんだから。亀さんも耄碌したのだろうか。古の高度成長幻想をまだ抱いているということかな。