天女 12 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 店はだだっ広い中に大人の背丈ほどの陳列棚が何列も並び、食品だの日用雑貨だの家電品だのレジャー用品から園芸用品、工具などが混沌として並べられたり積み上げられたりしていたが、頭上に大きく空が開けていてまるで伽藍洞のようだった。日暮れ時というのに、客はまばらで、農家の人らしい恰好の老婆がぽつぽつと見かけられるばかりだった。
 ついさっきまで罵り合ったり非難し合ったりしていたくせに、男と天女はぺちゃくちゃ喋り、キャンプ用品がごたごたと積み上げられた一角を行ったり来たりした。
 少年は手持ち無沙汰で二人の大人の尻を追った。
 男と天女はいろいろ相談しながら、黄緑色のナイロンでできた小型のドームテントと三つの寝袋とガスバーナーがついたコンロとランプと燃料のボンベを五つ選んだ。それから家電品に小型のCDラジカセを見つけてそれも取った。ついでに男は電池の棚から単二電池を一掴みするとジーンズのポケットに突っ込んだ。天女は食品の棚で肉や野菜を選び、肉は奮発していちばん高いのを食べようと叫び、茄子や玉葱を選び、それから少年の手を引いて園芸用の堆肥や鶏糞が並んだ脇の菓子売場で籠に手当たり次第に箱や袋を山盛りして少年にもたせ、さあ、ぼくが好きなだけ選んでいいよ、と新しい籠を渡した。
 少年は買い物が楽しくて楽しくて、時々母につれられて行ったスーパーマーケットやデパートでの買い物は禅寺の修行のように我慢を強いるばかりだったが、欲しくもないものまで次から次と籠に放り込みレジ打ちのおばさんが目を回しそうなほどの品々をカウンターに放りだし、男が鼻紙みたいに次から次と万札を使い捨てるのが小気味よくてならなかった。
 それは男も天女も同様で、げらげら笑いながら狂気じみて買い物に走り回った。そのうちレジのおばさんが訝しげな眼差しをくれるようになると男と天女ははっと我に返ったようで、ショッピングゲームをやめた。
 男がレジでおばさんに「こんなド田舎にしちゃ、いろいろ揃ってるんだね」と誉めると、「うちには生きるために要るものはなんだって揃ってますよ」と不機嫌に応えた。
 男はポケットから札を一枚一枚取り出して清算した。レジのおばさんが訝しげに電池で膨らんだ反対のポケットを覗き込んだが無視していた。「うちの息子がね、十九の時に生まれたんだけど、喘息もちで。空気がいいとこで遊ばせてやろうと思ってさ」男は、陽気に自分の人生をでっち上げたりした。それにはおばさんも破顔して「ああ、大変だね。喘息は、つらいね」と同情した。
 三人は三度、陳列棚、キャッシュレジスター、車のあいだを往復し観音開きのテールゲートに獲物をぼんぼん放り込んで、荷室を満杯にした。再び車に乗り込んだときには、そろそろ辺りに薄闇が下りていた。今度は男が運転席に座り、緑なす山の奥を目がけて走りだした。
 「十九の時の、喘息の子だって。まじい」
 車が動きだすなり、天女が笑いだし、つられて男も「可哀想なのは、この子でござい」とばか笑いした。少年にはわけがわからなかったが、なんとなく楽しくて、いっしょに笑った。ひとしきり狂気じみて笑うとにわかにしんとなった。
 「あのおばさん、感づいたんじゃない」
 「わかりゃしないよ。どっかの成金の馬鹿息子だと思ってるさ」
 男はまだへらへら笑いの余韻を残したまま自信たっぷりだったが、天女は不安そうだった。
 「調子乗り過ぎたんじゃない」
 「大丈夫だって、いざとなりゃ、そいつに守ってもらえる」
 天女はちらりと少年の表情を窺ったが、すぐに窓の外を向いた。
 「そりゃ、あたしも考えたけど、どっかで降ろした方がいいんじゃないの」
 少年は、反射的に「降りない」と宣言した。
 少年の意見には、男が賛成した。こんな森の中では可哀想だし、いまさらどこかの駅など探していては、かえってやばいという。せっかく成功は目前なのに、引き返してもろくなことはない。
 「な、ぼうず。男はまっすぐだよな」
 男と少年は目配せして笑顔を交わした。天女は、ばーか、と呆れ顔を窓外へ向けた。
 路面は進むほどに荒れてきた。荒れて車がバウンドするたびに、男はフェーだのヒョーだの呻り声をあげ、シフトレバーをせわしなく操作して遊んだ。少年の足下でヘルメットがゴンゴン鳴いた。男はわざわざ路を外してダートに乗り入れ、生い茂った木々の小枝をはじき飛ばした。
 「さすが、四駆はおもしろいや。なあ、クライスラーのでっかいジープ買って、どっかインドネシアあたりのジャングルに住むってのもいいんじゃねぇか。ブルドーザーも買って、ばさばさ木をなぎ倒して家を建てるんだ、気分いいぜ。でっかいログハウスはどうだ。きっとメイドだって雇えるな」
 「あんた、お母さんどうすんのよ」と天女が問うと、男は「後で報せりゃいい」という。
 天女は「あたしは帰るわよ」と応えた。