天女 11 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 「なんだこのガキは」と、後席に乗りこんだ若い男がヘルメットを脱ぎ、助手席のヘッドレストにつかまり、少年の頭を小突いた。
 天女は、「ボーイフレンドよ、いいじゃない」とぞんざいな口振りで応えた。
 「ばかやろぉ、遊びじゃねえんだぞ」と男がヘルメットを投げ出し後席の背もたれに倒れた。ヘルメットがドアの内張に当たった響きが車内に籠もった。
 少年が助手席の脇から振り向いて見ると、男の股ぐらに一丁の南部式の銃があった。それはずっと欲しかったモデルガンと同じものだった。足元にはスーパーのビニル袋が転がっていて、わずかに開いた口に茶色いしわくちゃの紙袋が覗いていた。
 「なによ、そんな急にやるからじゃない、人をなんだと思ってんの、このまま警察に行ったって構わないのよ」
 天女が激しい剣幕でいうので、もはや男は天女に口答えできそうになかった。
 「思ったより楽なもんだな、こんなおもちゃでびびっちまって」と股座の銃を横にぽんと放り、腰を折り曲げて紙袋を取りだした。男は「けっこうあるぜ」と踊る声を発した。
 男が静かになると、天女は「この子もなにか役に立つかもしれないし。ねえ、ぼく」とオートマチックのシフトレバーに置いてあった手を少年の膝にまた置いた。
 少年は満足してこくりと頷き、右手一本でステアリングを握る天女の横顔を見つめつつ、ほとんど液体になり手の甲を流れたソフトクリームの滴を舌先で舐め取った。男はそれきり眠ってしまったらしく、死んだもののようにひと言も口を利かなかった。
 少年にはなにが自分の周りで起こっているのかわからなかった。
 都会のビル群が消えると間もなく高速道路を下り、細い道を何度も何度も曲がって走り、再び高速道路に乗った。
 何時間走ったかわからないが、陽が大きく傾いていた。
 次第に高速道路は緑なす山並みに流れ込み、太陽は見えなくなった。しかし、空はまだ青みを失わなかった。天女は次のインターチェンジを認めるとこの辺でいいかと呟いて、ステアリングをくいと回し、また高速道路を下りた。
 そこは人の世と樹木の世界の臨界だったが、まだ天界の入り口ではなかった。料金所を過ぎると男が目を覚まし、お、いいじゃん、と運転席と助手席の合間に首を伸ばし、やっぱキャンプしよぜ、アウトドアライフってやつだと笑う。おまえもこんなでっかい四駆借りちゃって、やってみたかったんだろ、という。
 天女は、機嫌よくなっていた。ちょっと高かったけどね、と応えた。
 「のろまな店員がさ、例の免許出したら、あなたですかっていうの。ばっかじゃないの。男の写真なのに。で、主人が都合悪いので、私が代わりにっていったら、それはちょっとまずいとかいうのよ。私も免許を取るつもりだっていったら、教えて差し上げますよ、だって。わぁ、うれしいっていったら、即オーケー。馬鹿なスケベヤローだよ」
 天女もぺらぺらと喋ってばか笑いしたので、少年も楽しくなり大声で笑った。スケベヤローと天女がいったときなど男は四肢をばたつかせて暴れ、少年の頭を抱え込んで叩いたりもした。しかしそれは親しみのこもった叩き方だったので、少年は男も天界行きの仲間なのだと考えた。うれしいことではなかったが、天女の愛を独り占めするのは許されないのかもしれなかった。
 そうしてまた幾つかの言葉が飛び交っていると、車は辺鄙な町の外れにあった古ぼけたホームセンターの駐車場に滑り込んだ。
 男が紙袋に手を差し込み、引き抜くと札束が出てきた。その内の数十枚だけ丹念に選んでポケットにしまって車を下りた。天女はヒューと戯けた素振りで口笛を吹き車を下り、「ぼくもおいで、お菓子買ってあげる」と少年に微笑みかけた。