普通の風景。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 てっきり平日だと思って仕事を始めようとすると、次女とシーザーが部屋に侵入してきて、町へ買い物に行くけどなにか欲しいものはあるか?と聞く。こいつ女子高生のくせに学校をさぼるとは怪しからんと説教したら、今日は勤労感謝の日だと叱られた。
 そう言うことなら、とさっそく勤労は止め、自分に感謝した。

 午、外を見ると雲がきれいに棚引いていたので、カメラを持ってリハビリがてら軽く散歩した。もう、腰はほぼ快復した。さすが勤労感謝の日だ、とまた感謝した。
 食後、営利仕事以外の仕事を片付けシーザーの自然食を仕込むと暇になったので、また嘘を書いた。嘘と言ってもあながち嘘でもない。現世の真実ではないと言うだけのことで、ひとつの真実ではある。嘘と実の境界線上に漂う言葉の固まり。ちょっと気に入ったが、少し陰気臭いのでアップは引っ張り、これの直前に放りこんだ。

 良い雲だった。

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 遠い山並みは、丹沢。太平洋プレートが伊豆にめりこむので今も年に何センチか背が伸び続けていると言うのはほんとうだろうか。この十年に数十センチも伸びたか、いつも気にしてみているがわからない。

 夕方、いきなり店に呼び出された。
 意匠監督さんのアポなし訪問だった。店に行くと、画家さんと一緒に品を検分していた。さすがに目利きさん方らしく、喜んでいた。近くのギャラリーで知人の個展をやるというので、一緒に覗いた。私は純粋なアートというのにはあまり興味がない。よくわからないからだ。これが芸術です、と差しだされてもチンプンカンプン。アートよりも、かっぱえびせんの方が好きだ。関係ないけど。
 でも、生活はアート的なもので満ちている。
 なにも崇高なアートなど必要ない。私にしてみれば、シーザーの行動言動すらアートだし、キャベツもアートだし白菜もアート。あーっと、キクラゲも忘れちゃいけない。湯麺に入れて美味なる存在はすべからくアートである。
 梅干しもアートだし、塩昆布もアートだし、蓮根もアート、筍もアート、酒もアートなら煙草もアート、何でもかんでもアート。あーと言えばアートなのだ。

 普通の風景が、いちばん良い。奇を衒ったものなど要らない。

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