叔父のいた山。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 今夜はぼくに変身して虚実寓話をしよう。ご老公様に拝謁し夜も更けたので急ごう。

 叔父が死んだのは、梅の実がふくらみ始めた頃だった。
 今日、いとこから喪中ハガキが届いた。母の兄だけれど、字(あざな)が違うのでぼくは喪に服さなくていいらしい。享年七十九歳、満足の往生だっただろう。
 ぼくの好きな叔父さんだった。
 とりわけ親しくしていたわけではない。遊んでもらった記憶はないし、お菓子をもらったこともない。けれど好感を抱いていた。いや、交感といった方が適切だろうか。
 去年の秋、老親の家へ行くと、ちょうど叔父から宅配便が届いた。
 「ああ、また栗だね」と母が笑って荷を解くと、たしかに中味は、よれよれの紙袋に一杯の栗と、形も色も妖しげな柿が十個ほどだった。
 「またって、前にも送ってきたのか」とぼくが問うと、もう十年も続いていると母。それも、叔父が東京のわが家に最後に姿を現したあの日、もう四十年も前のあの時からずっと、毎年晩秋になると荷が届いていたらしかった。
 「お歳暮のつもりなんだろうかね」
 母はそう言って、色も形も悪い果実を笑みを含んだ目で見た。

 叔父は郷里の小さな山の端の小屋に暮らしていた。
 定職はなかった。遊び人ではないし資産などないし放蕩息子でもない。知的障害を持つといわれていた。家業もないから、風来坊にでもなるしかない。山笑う頃どこかへ出稼ぎにでて、初雪の頃になると故郷へ帰る。そんな暮らし方だった。

 ぼくが五歳か六歳の頃、うちに大変な剣幕で駈け込んできたことがあった。
 たしか、晴れた夏の午後だった。
 縁側に寝そべってぼくが冒険王を見ていると、突如ドタバタと足音が湧き上がり、庭の垣根を乗り越えて叔父が走ってきた。ぼくをまたいで家へ上がると、母を呼びながら--と言うよりも、母の名を叫びながら--台所へ向かった。
 茶の間にいた母は、異変に気づくとすかさず台所へ走り、刃物類を集めて手拭いにくるみ外の洗濯機に放りこんだ。
 茶の間と台所の間で、叔父と母は対峙して口論した。
 なにが起こっているのか、ぼくには知りようもなかった。父は不在だったので怖かった。
 口論するうちに叔父が真っ赤になり、母に掴みかかった。母は馴れているらしくビンタを食らわした。と、そこに一人の青年がやって来て叔父に組み付き、投げ倒した。
 叔父は床に突っ伏して号泣した。
 叔父を倒した青年は、喪中ハガキをくれたいとこだった。ぼくより十五歳年上。親族一の美男で俳優を志望したが、父親に反対されて諦めた。風来坊の叔父は、美男で気っ風も良く喧嘩も強い甥っ子に投げ倒された。
 号泣する叔父、涙目で睨めつける母、仁王立ちするいとこ、茫然と眺めるぼく。血族たちのひとつの真相があった。

 母はぼくに、あんちゃんは病気なのだと教えた。九人兄弟で、そのくらい居ると一人二人は病気になるものだと言った。でも、叔父は普通に会話した。反応は遅かったけれど、それだけのこと。普段は物静かで笑顔も見せた。ただ感情が高ぶると抑えられないだけ。ぼくは思う、叔父は知的障害ではなかった、と。ぼくは早生まれで、幼い頃はなにをやっても鈍臭かった。小学校で知能指数テストをやった後、結果は生徒に知らせないものだが、担任はぼくがふざけてやったと思ったらしく「おまえ、ロドンだったぞ」と告げ頭を小突いた。意味がわからなかったが、誉められたのではないことは感じた。後にぼくは文を書いたりする仕事に就き、高名大卒の人たちから請われ指導したこともある。魯鈍の指導を受けてしまったと知ったなら、彼らは絶望してしまうかもしれない。
 人間の心身の成長は一様ではない。成長の途上、どこかで格差のプレッシャーに潰される人間もいるはず。あるものは悪い世界に足を踏み入れ犯罪に走ることもあるだろう。あるものは非行、不良と呼ばれ、あるものは引きこもりと呼ばれるかもしれない。そんなものは人間に無知なものが作ったレッテルに過ぎない。不良も非行も引きこもりもない。ただ一個の人間がいるだけのこと。

 ぼくが九歳の時、わが家が東京に引っ越すと、叔父は東京へ出稼ぎに来るようになった。
 工事現場を渡り歩き、帰りがけにうちに寄り一泊して帰郷した。所帯もでき娘も生まれ、稼がなければならなかったのだろう。ぼくが小学校に通っている間は、毎年来た。
 叔父の来訪は、楽しみだった。いつもきっと、ひよこ饅頭を土産に持ってきたから。田舎では飴玉ひとつもらったことはないが、ひよこ饅頭を運んでくる人は良い人に違いなかった。
 が、また子どもの目には意味不明な出来事が起きた。
 六年生の秋の暮れ、叔父がふらりと現れた。が、ひよこ饅頭を持っていなかった。ひよこ饅頭を持たない叔父には用はないので、ぼくは隣室でラジオを聞いていた。
 夜更け、突然、父の怒鳴り声が起こった。
 次いで叔父のごめんなさいごめんなさいと啜り泣くような声が聞こえた。
 寝付けずにラジオを聞いていたぼくは聞き耳を立てた。なぜ叔父が怒られているのか、わからなかった。
 叔父はチンピラに誘われて稼いだ金をすべて博奕ですってしまい、父に無心したらしかった。父も貧苦にあったので困惑したらしかった。
 翌日、叔父は母から汽車賃と幾許かの金を受け取って帰省した。「ごめん、ごめん」と呟いて去っていった。
 次の秋から、叔父は東京に来なくなった。北の方に農家の手伝いの口を得たらしかった。ひよこ饅頭の替わりに、毎年秋になると土産を送ってくるようになった。

 叔父からの歳暮を見つめて母が呟いた。
 「昔は馬鈴薯や人参だったけど、この十年ほどは栗や柿だね」
 そして「食べられないと思うけど、いるか?」と、ぼくに問うた。
 食べられない?なぜ?と思いよくよく見ると、栗も柿も虫食いだらけだった。
 たぶん山で拾い集めたものだろう、と母は自分の推理を披露した。
 山を彷徨き、食えそうな木の実や山菜を集める叔父の姿が目に浮かんだ。ぼくは叔父の歳暮をもらって帰った。
 栗は傷みのひどいものを分別すると半分になった。
 柿は見た目は悪いが、虫食いを避ければ美味い柿だった。
 栗は鉄瓶に入れて炒った。ほくほくと旨かった。栗の味は叔父の思いのようで、体中に広がった。違う、そうじゃない、と自分の奥の何かが呟いた。
 ぼくの好きだった叔父さんは、山で木の実を拾って生きて死んだ。