読点が多い! | tobiの日本語ブログ それ以上は言葉の神様に訊いてください

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 フリーランスの編集者兼ライターです。
 主として日本語関係のことを書いています。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9060087.html


質問の内容。
==============引用開始

前前から僕が感じていたことなのですが、大学教授、評論家、作家等のプロの文筆家以外で、四十代後半以降の方たちが書く文章は読点が多く、ここはいらないのではと思うようなところにまで打たれていることがあります。これはその当時文部省、現文部科学省の教育課程に関係があるのでしょうか。気になっていたものですから質問いたしました。関係がないとは思いますが、国語の試験科目の現代文を、かつては現代国語と言っていたようです。

==============引用終了

 

No.2ベストアンサー

  • 回答者: 1311tobi
  •  
  • 回答日時:2015/09/05 14:32

年代と読点の数の相関性、という統計があれば何かわかるかもしれません。


 現実にはそういうものは見たことがないので、なんとも言えません。
 ただ、下記のような傾向はあるかも。
1)こむずかしい内容ほど読点が多いほうがいい、という迷信はあるようです(多少は効果があるかも)
2)一文が長いほど読点が多いほうがいい、という迷信はあるようです(これは勘違いでしょう。論理的に説明できます)。実際には、一文が長いときほど、読点を減らさないとわかりにくくなります。新聞記事のリードを見ればわかるはずです。一文が長いため、最小限の読点しか使っていません。あの文章で、読点が多めだと収拾がつかなくなります。

 年齢の高い人のほうが1)2)の傾向が強い気がします(個人差もあるでしょうが)。その結果、質問者のような印象をもつ人は多いかもしれません。これ以上は具体例がないとないとなんとも言えません。
 たとえば、ライトノベルを意識した若い人の書く文章は、極端に読点が多いはずです。
「プロの文筆家以外」の文章を、どんな場で読んでいるかによっても大きくかわってくるでしょう。

 昔の〈文部省、現文部科学省の教育課程に関係〉に関係があるかないか。
 教科書は昭和21年に文部省が発表した「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」http://kokugo.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/ki …を元にしているという説もあります、しかし、この(案)の読点に関する記述はあまりにもホニャララなので、まともな書き手は相手にしていないはずです。どこまで教科書に影響を与えてきたのかも不明です。



 詳しくは下記をご参照ください。
【句読点の打ち方/句読点の付け方──簡略版】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n140029
 以下は一部の抜粋(重言)。
==============引用開始
教科書などは、昭和21年に文部省が発表した「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」を元にしているようですが、これがどれほど非論理的で無意味なものなのか、『日本語の作文技術』が詳しく解説しています。
==============引用終了

http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1253. …
==============引用開始
 改めて本多読本を開いて「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」を確認して意外なことに気づいた。主語のあとに打つ」というルールは見当たらない。「三」の「副詞的語句の前後に打つ」の「附記」のなかに「私は、反対です」などが出てくるだけ(「私は、反対です」のどこが副詞的語句なんだろう)。学校では「主語のあとに打つ」とか教えていると思うけど、何を根拠にしているんだろう。
「主語のあとに打つ」はあまり重要ではないけど、まったくふれない「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」の態度もどうかと思う。
 ちなみに「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」には「シロテン」という奇妙な記号も出てくる。これを採用している公用文や教科書があるのだろうか。
 ということは、「現在でも公用文、学校教育その他で参考にされている」が勘違いなんじゃないか、って気さえする。
 〈これがテンの打ち方における最も重要な、一ばん多く使はれる原則であって、この原則の範囲内で、それぞれの文に従ひ適当に調節するのである〉
 あのー、つまり最も重要な部分の説明はないのね。ムチャすぎる。
 ついでに書くと、解説中にある「最も重要な、一ばん多く」のような読点は相当マズいと思うけど、何かのギャグだろうか。 
==============引用終了

「一文が長いときほど、読点を減らさないとわかりにくく」なる理由は下記をご参照ください。
【第2章 4 句読点の打ち方】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html

 

No.7

  • 回答者: 1311tobi
  •  
  • 回答日時:2015/09/07 20:03

No.2でコメントした者です。


「一文が長いときほど、読点を減らさないとわかりにくくなる」の説明はちょっとわかりにくいですかね。リンク先の後半の〈■個人的な「意見」を少々〉の部分です。
 もう少しわかりやすいものを思い出しました。昔書いた原稿からひきます。


●一文が長くなると、読点は減っていく
 一般に、読点が多いほうが読みやすい文章と考えられています。個人的には異論もありますが、読点が多いほうが読みやすい文章に見えるのは事実なので、妥協するしかありません。本来は不要と思われる「思想の読点」を使っているのは、読みやすい文章にするためのやむをえない処置です。
 論理的に不要な読点を削除すると読みにくい文章になりますが、むやみに読点をふやすと意味がわかりにくくなってしまいます。一文が長くなるほどこの傾向が強くなるので、注意が必要です。具体的な例で考えてみましょう。
 まず、一文が長くて悪い例として取りあげられることが多い新聞記事のリード(記事の冒頭で、内容を簡略にまとめた文)です。

 〈原文1〉
 水産省が発注する軽油や重油などの船舶燃料の入札をめぐり、石油製品の卸売業者ら十数社が全国の受注予定者や受注予定価格を事前に談合で決めていた疑いが強まったとして、公正取引委員会は十四日までに、卸売業者の事務所や石油元売り業者の特約店など十数カ所を独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで立ち入り検査した。この検査は、業者らが東京都中央区内のビルの貸会議室に集まった会議のさなかに実施された。 (「朝日新聞」2000年4月15日)

 はじめの一文がかなり長くなっていますが、新聞記事のリードとしては、そう珍しい例ではありません。最後の部分を「……の疑いで、業者らが東京都中央区内のビルの貸会議室に集まった会議のさなかに立ち入り検査した。」にすれば、2つ目の文を吸収してさらに長い文にできる気もします。〈原文1〉の1つ目の文が長くてもさほどわかりにくくない理由のひとつは、最小限の読点しか使われていないことです。たとえば、最初の文の主語の働きをしている言葉のあとに読点を加えてみます。

 〈書きかえ案1-1〉(主語の役割をしている言葉のあとに読点を加えた例)
 水産省が、発注する軽油や重油などの船舶燃料の入札をめぐり、石油製品の卸売業者ら十数社が、全国の受注予定者や受注予定価格を事前に談合で決めていた疑いが強まったとして、公正取引委員会は、十四日までに、卸売業者の事務所や石油元売り業者の特約店など十数カ所を独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで立ち入り検査した。

〈書きかえ案1-1〉は、よけいな読点が加わったために、〈原文1〉よりもわかりにくくなっています。読みやすさを重視して読点を加えるのなら、その前に文を分割することを考えるべきです。

 〈書きかえ案1-2〉(〈原文1〉の最初の文を2つに分割した例)
 公正取引委員会は十四日までに、石油製品の卸売業者の事務所や石油元売り業者の特約店など十数カ所を、独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで立ち入り検査した。これは、水産省が発注する軽油や重油などの船舶燃料の入札をめぐり、卸売業者ら十数社が全国の受注予定者や受注予定価格を、事前に談合で決めていた疑いが強まったためである。

〈書きかえ案1-3〉(さらに〈書きかえ文1-2〉の最初の文を2つに分割した例)
 公正取引委員会は十四日までに、独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで十数カ所を立ち入り検査した。対象となったのは、石油製品の卸売業者の事務所や石油元売り業者の特約店など。これは、水産省が発注する軽油や重油などの船舶燃料の入札をめぐり、卸売業者ら十数社が全国の受注予定者や受注予定価格を、事前に談合で決めていた疑いが強まったためである。

 このように文を分割したほうが読みやすくはなります。しかし、こう書きかえるほうがよいのかというと、一概にはいえません。新聞記事のリードは、一文で記事の内容が把握できるスタイルをとっていることが多いため、文を分割すればするほどリードらしくなくなってしまう気がします。
 ただ単に長いだけではなく、文の構造が複雑な点も、新聞のリードの特徴です。修飾語と被修飾語が入り組んでいて、単純に分割することはできません。〈原文〉と〈書きかえ案1-2〜3〉を見比べると、分割するために言葉を移動した箇所があることがわかるはずです。
 この形式は新聞記事のリードだから許される特殊なもので、ふつうの文章を書くときのお手本には向きません。無理にマネようとすると、たいてい文法的にヘンなところが出てしまいます。たとえ文法的には問題がなくても、わかりにくくて読みにくくなることが多いはずです。
 別の例で見てみます。次の文は、★ページで取りあげた長い一文です。読点の使い方に注意しながら読んでみてください。

 〈原文2〉
 一文を長くするか短くするかは個人の趣味の問題であり一文が長いと必ず意味がわかりにくくなるわけではないので、極端に長い文章を書けといわれれば書けなくはないのかもしれませんが、いままでにその必要性を感じたことはありませんし、これからも何か特別な理由がない限りあえて書いたりはしないと思います。

 この文が長さの割には意味がわかりにくくないのも、読点の数が少ないからです。基本的なルールである「複文の境界」にも読点がついていないところがあります。すべての「複文の境界」に読点をつけてみましょう。

 〈書きかえ文2〉
 一文を長くするか短くするかは個人の趣味の問題であり、一文が長いと必ず意味がわかりにくくなるわけではないので、極端に長い文章を書けといわれれば書けなくはないのかもしれませんが、いままでにその必要性を感じたことはありませんし、これからも何か特別な理由がない限りあえて書いたりはしない、と思います。

 基本的なルールに従った〈書きかえ文2〉のほうが、〈原文2〉よりもわかりにくくなっていると思いませんか。さらに読点をふやせば、もっとわかりにくくなるはずです。
 一文が長くなればなるほど、読点の数を減らさないとわかりにくい文になってしまいます。その結果、一文が長くても意味がわかりにくくない文章は、読点が少なくて読みにくい文章になってしまうのです。この点が、本書で「3つ以上の単文を結合した複文は避けたほうが無難」と繰り返してきた理由のひとつでもあります。

 

No.8

  • 回答者: 1311tobi
  •  
  • 回答日時:2015/09/09 23:27

No.7でコメントした者です。



 本題からは外れるかもしれませんが……。
 個人的には句読点の話は一文の長さと密接に関わりあっていると思いますが、世間はそうは考えないようです。

>句点で文章を細切れにすると、もの凄く理解しやすい文章になるとは思うのですが、なぜだか幼稚な文になってしまったと感じてしまいます。

 それは当然です。
「短く書け」は「文章読本が説く五大心得」のひとつに数えられるほど重要な心得とされています。
 その一方で〈単文主義で押し通すと、小学生の作文のようになってしまう〉(『「超」文章法』)という指摘もあります。

 詳しくは下記をご参照ください。
【第2章  3 一文の長さ――「短く書け」を徹底すると稚拙な文章になる】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-80.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
==============引用開始
 重要なのは、〈単文主義で押し通すと、小学生の作文のようになってしまう〉ってこと。そんなのは当たり前なんだけど、その当たり前のことを書いてくれている文章読本はめったにない。
 そりゃそうだろう。「短く書け」は、ほとんどの文章読本に共通しているありがたい教えだ。その教えに従って短く書くことを徹底した結果が〈小学生の作文〉じゃ目も当てられないから、簡単に認めることはできない。しかし、〈小学生の作文〉は言葉が過ぎるとしても、ヘンな感じになることが多いのは事実なんだからしかたがない。
==============引用終了

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