昨日の日曜日、川口君に遅れること一週間、行って来ましたヤギヤスオ個展。
僕は普段はメンドウくさくて、展覧会、ギャラリーなどはなかなか行かないクチなのだけど、こりゃ行って良かった。川口君同様、おすすめです。
どこがどういいか、とかはうまいこと伝えられないのだけど、とにかくヤギさんの原画の素晴らしさ。迫力とか発色とか、情報量とか。印刷物とは別物なんだなあ、あれは。
展示のムードが少しわかるかなー。下のファイルにも濃密な情報が。
で、前に川口君が撮った「泰安洋行」の画像。
再UPさせてもらいまいした。
「であってますか?」とあったけど、
だいたいあってますが、正確に言うと、左がラフスケッチで、右がその版下だと思います。
「版下」。いつのころからか、パソコンでデザイン→入稿、が当たり前になって、すっかりそれに慣れてたもんだから、コレ見て「版下」って言葉を久しぶりに思い出した。
これぞ「専門職」「ザ・手仕事」って感じで、写植を切り抜いたものがていねいにペーパーセメント(糊)で貼られ、原画にかけたトレーシングペーパーの上に赤エンピツで細か~く色指定がされ、わぁデザインって細かいし手も汚れるし何てメンドくさい!!!
これ見て、いろんな事を山ほど考えてしまった。便利な世の中になってその恩恵を自分もものすごく受けているのだが、はて……なんて。
さておき、川口君書いてるように。こりゃとにかく貴重なもの(ヤギさん、良くこんなんとっといてたね!と思わず言うが、ヤギさんはモノも多いが整理整頓がうまい)であり、
ジャケットの現物を持って行って、この版下と比較すると面白いかも知れない。
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ビリケンギャラリー 18日まで
久しぶりにヤギさんとも会え、ライターの今井智子さん(初対面ですが、こちらは存じ上げておりました)らと雑談していると、知久君がやって来た。丸一年以上は会ってなかった気がするが、知久君は栗コーダーカルテットの生みの親みたいな存在で最重要人物、かつ仲の良い音楽友達で、これはラッキー。
知久君、前歯の抜けを活かしてるね。
これは芳名帳の1ページ。
ほぼ読めないぞ。
拡
大
し
て
補
正
も
か
け
て
み
た
あ
こ
れ
は
!
本人曰く、名前が並んだのでつい書いてしまった、と。いや、久しぶりにいいものを見た。ちょっとスリムかも知れないが、さすがに原作者、線が決まってる。
ご存知の方もおられましょうが、栗コーダーのキャラクターは、じつに知久君の絵が元になっている。94年7月の初ライブ「知久寿焼と栗コーダーカルテット」のフライヤーに書かれた「ばか、りこう」。皆さんがジャケットや譜面集などでよく見かけるのは、これをもとに、3D化して4体に増殖させたものなのです。「ばか、りこう」正式な呼び名を特にないのですが、結成当初からずーっと使わせてもらっているキャラクターです。ありがたいことです。
以下、余談
さてこの後、ヤギさん、知久君、初対面のヒビキラー氏(レゲエDJ)と四人で西荻窪に移動。ちなみに西荻窪は栗コーダー誕生の相談が行われた場所で、聖地と言ってもいい。そこで、夜更けまでじっくり飲んでしゃべって過ごす。いいものだ(オレは下戸ですが。確認まで)。
店も閉まるのでそろそろお開き、と外へ出ると、知り合いの一行にばったり出会い、さらに明け方まで飲んでしゃべって過ごす。これまたいいものだ。この一行は、SAKE ROCKの浜野謙太氏=ハマケン、田中氏、それと野々歩ちゃんらから成る。
ヤギさんといっしょにいると、何でだろう、こういうことが起こりやすい気がする。西荻だってこともあるのかな。端折って書かねばならないのが惜しい、そういう一日……ん、ギャラリーに行ったのが午後6時30分ごろだから、たった12時間か、つまりそんな半日であったのです。
そして朝帰り。気ままな朝帰り。
補足:野々歩ちゃんと会うのは十何年ぶりか。彼女は何をかくそう、ロバの音楽座主宰の松本雅隆さんの娘さんだ。前に会った時は小学生だったのに、今は二十歳すぎのべっぴんさんだ、全然わかんなかったよ!びっくりだ。バンドで、個人で、勢力的に音楽活動をしてるみたい。
(ちなみに松本雅隆さんはこの道の大先輩であり、あれこれお世話になっているが、ぼくが使っているアンデス25、これは松本さんから譲り受けたものなのです!えへん。)
ここんとこ毎日書いてないから、書くのに時間が……。いかんねえ。
栗原