1-3-13
「ねーえ」
しーん。
「ねーったら」
し―――ん。
「・・・シカトこいてんじゃねェぞ妖怪干物ジジイ」
「私はピチピチの24歳です」
「オトコ24をピチピチとは言わないわよお。ていうかアンタきこえてるんじゃないの」
やーね、とにっこり満面の笑顔で首を傾げたローラに対し、本から顔を上げた妖怪干物ジジイこと魔術師レイは腐ったチーズでも食べたような顔をした。
「ちょっと、ナニそのカオ」
「・・・いつまでここに居座る気ですか」
読書を妨げるように机に両手をついて身を乗り出したローラを、魔術師は煩そうにねめつける。
「いつまでいてほしい?」
「今この瞬間から消えて頂きたいです」
「そういえばレイの恥ずかしい失恋話、フィンに教えてあげる約束をしてたんだったわあ」
「そんな話は事実無根です。余計なことを吹き込まないで下さい」
「ふふっ、そんなこわいカオしなくてもいーじゃない~。フィンが見たら引くわよお」
ハッとして両手で顔を押さえた魔術師を、ローラは声に出して笑う。睨まれても堪えない。
「まあまあ、いい傾向なのよ。アンタがひとに関心を持つってのは」
「ヒトをダメ人間かナニかのように言わないで下さい」
「あら、違ったの?」
「・・・・・・」
黙りこんだレイに対し(一応自覚はあった模様)、ローラは琥珀の目を細めると、小さく息をついた。
とん、と机についていた手を離して上体を起こす。
「・・・本当に変わったわね」
ぐしゃぐしゃな金髪の魔術師が訝しげに目を上げる。ローラは寂しげに微笑んだ。
「みんな変わっちゃうのよねえ。あたしも歳とるわけだわ。――あーあ! 心配して損した。いいわね、そのトシで若いコと戯れるなんて。あたしなんかむっさいオトコばっかでやんなっちゃうっていうのに。しかもおとーさん役はまっちゃってるし。もうこの際、いっぱい生気をいただくといいのよ」
「あなたであるまいし、気色の悪いことを言わないで下さい」
「ふふふ。ていうかいつからそんな喋り方になったのアンタ。フィンの手前黙ってたけど最初サムイボたったわよ。ま、猫かぶりもアンタのことだからそのうち皮剥がれちゃうだろうけどー」
「相変わらず失礼な人間ですねえ」
「いやん。本当のことよう」
「・・・私とて努力しているんです」
ふい、と魔術師は紫の眼を逸らした。
「別にぃ悪いとはぁ言ってないわよぉ?」
「その言い方が非常にムカつくんですが」
「ふふふっ。かつて小バカにしてた人間からイジられる気分はどう? ―――それにしても、アンタみたいな人間を見捨てないで居続けてくれるなんて、フィンは本当に出来たコよねえ。いっそお嫁に来てもらえばあ? なーんてね」
「・・・・・」
魔術師は俯くと何事かを呟いた。しかしローラが「え? なに?」と聞き返すと何でもありませんよ、と曖昧な笑みが返った。
「あのさあ、フィンってあたしに似てものすごく繊細でしょ」
「・・・一部訂正を要求します」
「うるさいわね。いいから黙って聞きなさいよ。あの子、ものすごく強迫観念がつよいというか、加害妄想はいってるでしょ。アンタの方から心開いてちゃんと包んであげないと安定しないと思う」
「今のままでも十分落ち着いてきています。はじめの頃に比べればかなりの進歩です」
アンタの放置プレイのおかげじゃなくてあのコ自身の努力でしょ。
呆れ顔のローラを無視してレイは続けた。
「―――それにフィンの傍にいるのは私だけではありませんよ。元々気立ての良い子ですから、いつの間にかあの子の周りは色々集まっています。アルジェンデスが気に入るくらいですし」
「分かってないわねえ。アンタだからこそ理解できると思ったけど。精霊や妖魔なんていくら仲良くなっても人間と完全に相入れることなんかないじゃない」
「それは偏見ですよ。ならばどうして半妖が生まれるんですか。人と妖が心を通わせることは可能です。友情に種族は関係ありません」
「なんか違う気がするけど。アンタ本当にそう思ってるの」
「何が言いたいんですか」
「・・・もういい。後で後悔してもしーらない」
「いちいちムカつく男ですねあなたは」
「やだあ。だからあ、乙女にそれは禁句よう」
「いちいち腹立つ野郎ですねあなたは」
「言い方かえればいいってもんじゃないわよう」
「・・・・・・・・」
魔術師は眉間を押さえた。
「もう本当に、つまらない意地はって傷つけちゃだめよ」
「余計なお世話です。お前に言われるまでも、ありません」
レイは眉間から手を離すと、不快そうに柳眉をひそめて目を逸らした。
ならいいけど、と呟いたローラは机から離れ、肘かけ椅子にどかっと腰を下ろした。
「何にしても、あたしはもうお役目御免ね」
フィンがいるからあたしが世話焼かなくていいみたいだし、と呟く。
「平気で何年も顔を見せない人間がよく言います」
「手紙とか出してたでしょー。ディードから・・・あたしアンタのこと頼まれてたんだから。任務が忙しかったから生存確認程度しかできなかったけど、一応心配してあげてたんだから感謝しなさい。このぬらりひょん」
「・・・・・そう簡単に死ねません、私は」
トーンの落ちた声が硬質に響いた。
「知ってる。でも一応ね」
そのまま宙を見上げ黙りこんだローラに、数分経過してからようやく本を閉じたレイは、静かなアメジストを向けた。
「・・・次はどこへ」
「・・・・・」
「・・・本当はそのために帰って来たのでしょう」
少しの沈黙の後、淡々と答えが返る。
「メルバ」
常より低い声は静かな部屋に淡雪のように消えた。
ゆっくり手を組み顎を載せた魔術師はそうですか、と小さく息をついた。
「フィンには、話したんですか」
「言わないわよ。知らなくていいことでしょ?」
「・・・まあ、私としてはお前の存在自体知らないでいて欲しかったですが」
途端にガバッと身を起こして抗議の声を上げる。
「ちょっとひっどい! 誰のお陰でフィンは元気になったのかしらっ」
「あの子を落ち込ませたのもお前だということを忘れないで下さい」
「ばか。それ以前の問題よ。あたしのだけが原因じゃないでしょ」
これだからオトコってヤツは・・・などと呟くローラに、魔術師はお前も男だろと言いかけてやめた。代わりに。
「何を言おうが言うまいが勝手ですが、これだけは言っておきます」
アメジストが琥珀を捉え、冷徹な光を帯びる。
「うちの娘を弄んだら、たとえお前だろうと容赦しない」
数瞬張りつめた空気が漂う。やがてローラはフ、と口角を上げた。
「アンタって、フィンに恋人ができたら絶対目を合わせた瞬間ぶん殴るタイプね」
「そ、そんなことはっ・・・」
否定しながらも自信はないらしい。目が泳ぐ。
「うわ超挙動不審」
「・・・・・」
それからひとつ息を吸うと、あのね、とローラは呟いた。
「あたしたちは―――」
しかし目を落とすと口を噤む。問うような目を向けたレイに、にかっと笑うと「やっぱりなんでもないわあ」と明るく告げ、立ち上がった。
「実はどっかのだれかさんと違って、いうほど暇じゃないのよねあたし。お望み通りそろそろ行くわ」
扉へ向かう背へ「ローランド・デンダール」と声がかかった。
足を止めたローラは振り返らない。
しかし魔術師は気に留めず続けた。
「必ず生きて帰りなさい」
微かに動いた首。
揺れた淡い亜麻色の髪。
「ろくでもない人間に育ったお前でも一応は家族です。それにフィンを泣かすことは許しませんので」
フッと笑いが洩れた。一緒に呟きも。
「ったりめーだ、じじい」
ああ、それから。
「あそこまで言うなら徹底して保護者になりなさいよ~。アンタって中途半端。男らしくない!」
「お前にだけは言われたくありません」
「それと帰り転移してね、よろしくう」
微笑んだ魔術師はもう引き留めなかった。
荷物を詰め終わったローラはふううと息をついた。最後にドレスをたくしあげ、太股のホルダーに短剣を射す。
「あーあ、束の間の平安てとこね」
あたしの職業なんてまだまだフィンには言えないわねえ。
女装美人は身なりを整えながらぼやいた。
そしてここから見えるはずのない少女を頭に浮かべて窓の外に目を移した。
「フィン、か・・・どうしてレイのやつ、傷治してやんないのかね。あいつには造作もないだろうに。――――ま、見当つかないでもないけど」
次回ここへ来るときが楽しみだ。
ふっと笑みを浮かべ、ローラは大荷物を両手に軽々と持ち部屋を出た。
やっぱり挨拶くらいしてかなきゃねーと零しながら。