1-3-14
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「フィーンっ!」
フィンは呼び声にスコップを置くと首を巡らせた。
見るとローラが手を振りながら向かって来る。
ローラは畝を踏まないように慎重な足取りで近づいてくるとにっこり笑った。
「精が出るわねえ。あのナマケモノ、少しは見倣うといいのに」
フィンは無表情のまま同意のしるしに頷いた。
それから再びスコップを持ち、浅く種を埋め始める。
ローラはフィンの後ろに立ったまま「あのねー」と始めた。
「あたし今日発つことにしたわ」
ハスキーヴォイスはまるで「今日はいい天気ねー」と言うかのように、あっさりと。
フィンは再び振り返った。
能面のような表情の中に僅かな驚愕を見出だしローラは微笑んだ。
「今日ですか」
「うん、フィンに挨拶したら行こうと思ってたの」
「今の時間だと作業時間なので村の人に馬を出してもらえません。街までは遠いですよ」
「だいじょうぶ。レイに送らせるから」
ああ、その手があったかとフィンは無表情に頷いた。
「お気をつけて」
ただ一言そう告げた少女にローラは苦笑した。
「何処へ」も「何故」も「次はいつ来るの」もない。
根掘り葉掘り聞くタイプではないと思っていたが、実際何も聞かれないといささか寂しさを覚えるものだ。
「ちょっとちょっと~他になにか言ってくれないのぉ? 寂しいわ行かないでっ、とかとか」
ローラが口を尖らせて文句垂れてみせると、チラリと目を寄越したフィンは、無表情のまま再び作業に戻った。
「静かになりますね」
「……悪意を感じるのは気のせいかしら」
「そう思うのはご自分に後ろ暗いところがあるからでしょう」
「んもう、やあね。そういうとこまであのバカに似なくていいのにっ。みんなであたしを嫌ってるのねっ。泣いちゃうわよっ」
大袈裟に嘆いてみせると、小さく息をつく音が聞こえた。笑ったのだと気づくのにそう時間はかからなかった。
せっせと種を埋め続ける小さな背中を暫く見つめた後、ローラは組んでいた腕をほどいてよく手入れされた畑を見回した。
「——フィン、お願いをしてもいい?」
この言葉にあまり良い前例がないため、一瞬断りそうな気配を見せた少女はしかし、思いの外真面目な表情の客人を見、「内容によります」と答えた。
「簡単なことなの。…あのね、レイを見捨てないで。ずっと、味方でいて」
「——どういう意味ですか」
「そのままの意味よ。いずれ、あなたも分かる」
フィンは冷たいハシバミの瞳に訝しげな色を浮かべた。琥珀の意思を捉えようと、眼差しは鋭さが増す。
——見捨てる?
——誰が、誰を
彼女が見上げたローラは、遠くに目を向けていた。
通った鼻筋。長いまつ毛に縁取られたアーモンド型の眼。
おどけた人懐こい笑みを取り払えば、意外に凛々しく優美な横顔。
美しく飾ったこの人を男だと思う人間はいないだろう。
柔らかい風が枯れ草色の長い髪を乱す。
琥珀の双眸はゆっくりと瞬き、やがて少女に焦点を戻した。
「もし——余裕ができたらでいい。そうしたら」
フィンは作業を止めてローラの言葉に耳を傾けた。
「少し、のぞきこんでみて。そうすれば世界が広がって、寂しがり屋さんも空を見上げる気になるかもしれない」
「………え?」
意味が分からず眉を寄せたフィンにローラは再び微笑みかけた。
そうして風に載せて小さく囁く。
もう動いても、いいはずなんだ。
誰かがネジを巻いて、そして
壊れかけた時計が再び時を刻むとき
その時、何が生まれるのだろう。
「あたしの希望を言うと、ずっとここにいて欲しいのよ。ホラさ、何だかんだいってもココはやっぱりあたしの故郷なわけだから心配なのよね。でもフィンがいてくれるとメンテとかも色々安心だし」
「というより他に行ける場所がないのですが」
淡々とした返答の中でローラは自嘲が含まれてはいないかと注意を向けたが、温度のないハシバミはどこまでも透明だった。
「師匠の気が変わるまではここにいるしかありません」
帰るべき故郷は人の住まない地と化したから、と。
厄介な子、とローラは胸のうちで呟き、苦い笑みを浮かべ、「ちがうわよ」と聞こえないほど小さく囁いた。
ひとは理由を作り、そして選ぶ。
この傷だらけの少女も違わない。
選ばなければならなくなる。
「あたしもいつまでもレイを見てられないから、弟子のあなたに監督権を譲りたいのよ」
「——いえ何かもう今更ですが」
「まあまあ、細かいこと気にしたらいけないわ」
「・・・はあ」
「——レイってね、昔は今みたいな人間じゃなかった。あたしもたかだか20年の付きあいだから、全部を知ってる訳じゃないけど。すっごく感じ悪くてどこのマフィアよって感じで、国魔連の人間とは相当揉めたらしいし」
だから国際魔術師連盟本部への出張をひどく嫌がるのだ。というより師匠の実年齢が激しく気になる。
「ディードが死ぬまでは本当にいやぁな人間だったのよう」
「・・・・・・・・」
フィンは静かな驚きを示した。しかしいくら驚いてもやはり無表情なのでよくよく見なければ違いは分からないのだが。
今のへたれ魔術師を見て柄の悪い様を想像するのは困難である。
何せとろとろのシチューのようにへらへら笑って、ふやけたパンのように掴みどころなくぐだぐだしているのだ。
しかしよくよく考えれば分からなくもないような気がするようなしないような。
例えば妖魔襲撃事件(実際ばっちり目撃したりしてるのだが)とかとか。
「フィン、ひどい言い方するとね、大変なのはあなただけじゃないの。外の世界はもっともっとひどい。そして過去に苦しむのはみんな同じだってこと、知っておいてね」
本を片手に虚空を見つめる魔術師。
窓から空を見上げ溜め息をついた妖魔。
大声で同僚を怒鳴る騎士。
長い髪を風に遊ばれる畑の中の麗人。
——この地に生きる誰もが
風が吹く。
——どこかに見えない傷を抱えている
雲が流れる。
——笑顔の下に隠して
時間は誰にも平等に訪れる?
違う。
選んだものだけが手にできる。
選ばないものは永久に置き去りにされたまま。
「心の傷に必要なことって知ってる?」
無表情にローラを見つめていたフィンが、やがてふるふると首を振ると、ローラはにやりと笑った。
「他人の世話を焼くことよ。自分のことばかり考えると周りが見えなくなって悪い方向にしか行けなくなるの」
フィンはもうしてるわね、と穏やかに笑う。
次いで真顔になる。
「フィン、あなたの傷はかすり傷で済むようなものじゃないと思う。でも傷のせいで盲目になるのを許すのはただの怠慢」
ふっと少女の顔が曇った。
「……………私は」
「違う? 違わないでしょう?」
あなたに何が分かる、とフィンは言えなかった。
形こそ違えども、等しい時を過ごした人間だからこそ。
ローラは——迷いなくフィンの領域に踏み込んでくる。それに対処する方法をフィンは知らない。
ただ心の揺らぎに戸惑う。
「…………………」
「フィン、あなたは聡い子だもの分からないはずはないわ」
与えて。気付いて。
そして、拓けたら次は、選ぶ。道を。
少女はこの日常が当然のものではないと知っている。そして喪う恐怖を知っている。
そんな彼女だからこそ、ローラは可能性を託す気になった。
全てを語るにはまだ時は熟していない。だがきっとこの少女なら逃げずに受け入れると、切なる望みを抱く。
無言で地面を見つめるフィンの傍ら、自ら落とした空気を変えるように急に表情を明るくすると、ローラは笑った。
「それからね」
悪巧みをする子どものような顔。
「次会うときまで、あと5キロ体重増やしておいてね~。じゃないとあたしが楽しくないからぁ。もちろん今のままでも十分可愛いけどね」
一体何を企んでいるのか、想像に難くない。
フィンは相変わらずの無表情でローラを見上げた。
「・・・・・それに応える義務はないように思えます」
「ふふ~ん。き、こ、え、な~いっ」
零れた小さなため息は呆れか、可笑しさか。
それを見てローラは満足そうに笑った。
「ふふ。いろいろうるさいこと言ってごめんね? でもね、意地悪したいわけじゃないの。あたしはただフィンに笑ってほしいだけなのよ。だってまだ17歳でしょ? 女の子は幸せに笑ってるべきなのよ」
「……ええ」
分かっています、と少女は応える。
いつもの淡々とした口調。
手にはスコップ。
土に汚れた細い指。
それに目を落としていたローラは「冷静ねーつまんない」と、なんとも反応に困る呟きを零してくれた。
だからフィンは聞こえないふりをした。
そしてローラは「また遊びにくるから~」と一方的に告げると、畑を後にした。
嵐のような人だと、いくらかの疲労感と共に考えたフィンは再び畑仕事に戻った。
まだ彼女は何も知らない——知らされない。
それでも、そう遠くない未来に再び彼、又は彼女とまみえる、そんな予感に包まれていた。
***
「忘れ物はないですか」
「ないわよん。ちゃちゃっとやっちゃってちょうだい」
およそ外見にそぐわない大荷物を抱えた旧友に苦笑を浮かべた魔術師は、どこからともなく白杖を取り出した。
「ローランド」
「ん~? なあに別れが惜しくなった?」
「馬鹿は休み休み言いなさい」
世話をする少女がいくら口煩く言い続けても鳥の巣頭のくたびれた姿を改める気配がない美貌の魔術師は、呆れたため息を溢した。
いくら造型が良くともこんな浮浪者のような人間に嘆息されてムカつかない人間はいない。
「バカにバカと言われたくないわよ。晴れの出立にあんまり手間取らせないで。なんか縁起わるーい」
半眼で睨むローラを華麗に無視したレイは、表情を改めると静かなアメジストを向けた。
「ひとつだけ訊ねます。お前は幸福ですか」
「……どういう意味」
対するローラも普段の軽さからは想像もつかない厳峻を面に顕した。
「正直、何故お前がこの生き方を選んだのかは私にはどうでも良いことです。しかしディードがお前を引き取ったのは、無意な生き方をさせるためではない」
ローラは荷を下ろすと微笑んで、魔術師へと手を伸ばした。
「……たしかに、あまり栄えある仕事じゃないわ。でも」
ローラはレイの鬱陶しい前髪を払い、端整なかんばせを見上げ、男にしては滑らかな頬を撫でた。
魔術師は拒まない。静穏な紫苑が旧友を見つめる。
「これが一番、俺の性に合ってる。生まれついての人殺しの俺には——血の色が一番映えるんだよ。結構、楽しい」
「ローランド、」
続く言葉は唇の中に閉じ込めた。
短くて長い、僅か時が止まる錯覚。
やがて顔を離したローラが艶やかに笑うと、レイは苦虫を噛み潰したような顔でローラを見下ろした。
「殴らないなんて成長したわね」
「………これくらいでいちいち騒ぎ立てる程、青くないものでして」
「あらん。その割には額に青筋」
ホラホラと楽しげに指差す手を振り払い、魔術師は一瞬白杖で撲殺しようかと本気で悩んだ。
改めて床に描かれた転移陣に立ったローラはいつもと変わりなく、明るく笑った。
「あのねぇ、耄碌した妖怪ジジイは大事なこと忘れてるようだけど、あたしはもう無力なこどもじゃないのよ!」
「———」
「傭兵ギルドの斬り込み隊長はイリシュタッドのローラ、なめんなよ」
「……舐めませんよ、汚い」
「……あのねえ」
「転移します」
白杖を構えれば微かな風が起こる。杖を中心に目映い光の帯が溢れ出、陣を囲むように渦巻く。
仕事柄魔術師と組むことも少なくないローラは、無詠唱で大抵の魔術を完遂するレイに対し素直に賞賛を抱いた。
「レイ」
「はい」
「またね」
「ええ」
それを機に光が弾け、枯れ草色の髪の麗人は転移陣上から姿を消した。
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