1-3-12 | 風の庵

1-3-12

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「ディードはあたしの噂を聞いて駆けつけて、いつの間にか借金も何もかも清算してくれた。しかも“今更嫌とは言わせないぞ。お前は私が買い取ったんだからな”よ。・・・嫌なわけがなかったわ」

 微笑みさえ浮かべて語るローラの懐古する眼差しは穏やかだ。

「あたしは神さまに見放されたわけじゃなかった。ディードという屋根があったから凍る雨も怖れずにすんだ。初めて来た家には先住人がいて・・・」

『ローランド、私の弟子のレイだ。変わり者だが仲良くしてやってくれ』

 それから新しい生活が始まり、忙しなく騒がしい都会の裏街とは天と地ほど違うゆっくりとした時間の中を過ごす日々。魔術師の弟子ともまあまあうまくやっていた。しかし

「夢を見るのよ。血塗れの両親の夢を。あたしが殺した。こわくて、気持ち悪くて、自分がおそろしかった」

 真っ暗な部屋。血糊のついた刃物を手に、事切れた両親を見下ろして立っている。或いは死体に追いかけられる夢。夜中に飛び起きて養父のところへ駆けて行ったことも多々。

 理由など知らない。
 ただ鏡を見るだけで思い出す。成長するごとにあの男に重なる自分。
 思い出す。決して手に入らなかったものを。
 思い出す。呪詛のようなあの名前を声を顔を差しのべられた手を――真っ赤な血に染まった記憶を。
 澱んだ空間。凍った思考。足が竦んでただ死を目の当たりにした時を。朱に彩られた美しさを。

「捨てたかった、“ローランド”を。忌まわしい記憶を切り捨てたかった」

 “ローランド”が嫌いだった。弱くて醜くて哀れな“ローランド”が。作った自分が嫌いだった。
 拭っても拭いきれない記憶が追いたてる。逃げる。追いつかれる。
 絶望に襲われ、悪夢に呑み込まれ、足掻いてそして―――

 そして、見つけた。

「安全のためにローラとして女装してたときね、結構楽しかったのよ。だってそのときはローランドを演じなくて良かったんだもの・・・あら、ヘンね? ローラのほうが演技なはずなのに結構素の自分に近かったのよ」

 何を思い出したのかローラはくすくす笑う。

「レイはかなり嫌がったんだけどね、ディードは笑って後押ししてくれたのよ」

 なりたい自分。悪夢の影に怯えることなく、この足で新しい人生を歩く。

『お前が笑顔で生きて行けるなら、好きなようにするといい。今まで十分我慢してきたんだ』

――どんな姿でもお前がお前らしく在れるなら

「男とか女とか、くくらなくてもいいかな~って思って。そういう街で育ったから男女のアレコレとかもういやってほど見てきてるのよね。それなら男でも女でもない3番目の人種もいいでしょ? 1番あたしがあたしらしく在れるのが今のスタイルなのよ。男も女もどっちでもいいの。あたしはあたしという人間でありさえすれば満足だから」

 琥珀色の綺麗な目がフィンに微笑む。
 その様はどう見てもローランドという男性には見えなかった。
 とっくに涙も乾いていたフィンは妙な感慨深さをもってローラを見つめた。

「きっとあたしより不幸なひとはたくさんいると思うわ。大変だったけど結局、あたしは幸せだと思うの。――今でも、あの日のことは忘れらない」

 ローラはそっと目を伏せた。長い睫毛が影を落とす。そうして再び顔を上げると、フィンをまっすぐに見る。

「夢にも見るわ。泣いて目が覚めたことも数えきれないくらい。まったく昇華できたわけではないのよ。それでもあたしは満足なの・・・フィンには、できれば今のあたしを受け入れてほしい。もちろん、強制はしないわ。変な目で見られるのはよくあることだし」
「・・・・・・・・」
「フィンも、消したい、やり直したい過去があるでしょう。あたしとそれが同じわけがないし、まったく気持ちを理解してあげられるなんて偉そうなことは言わないわ。やっぱり、人それぞれだから。でもね、あたしは、フィンにはもっと前を向いて生きてほしかったの。同じじゃないけれど、あなたは、昔のあたしとすこし似ているから」
「・・・ローラさん」
「ん? なあに?」

 1度視線を落としたフィンはやがて意を決すると口を開いた。

「・・・すみませんでした」
「え? 何が?」
「私・・・」

 短く躊躇い、そして何とか言葉を生む。

「いつの間にか、私こそが偏見に凝り固まっていたのかも、しれません・・・あなたに失礼な態度を」

 そして自分のために辛い過去を話させてしまった。彼――彼女が彼女であることに変わりはないのに。醜くとも自分が自分であるように。
 自分こそが“常識”という枠のために苦い思いをしたのに、ローラに常識の型を宛がおうとした。
 しかし彼女は不快な思い出を曝してまでフィンを正気に戻してくれた。――この話を聞いてまで拒絶できるほど心は死んでいない。
 そもそも考えてみれば分かるはずだった。
 押しが強くて少々変わっているが、はじめからローラはローラで、フィンはいつの間にかその明るい笑顔に背を押されていた――彼女がいるこの数日は楽しかった。それを、否定したのはフィンなのだ。

 しかしローラは少しも気分を害することなく、にっこり笑った。

「あら、大丈夫よう。ふつうの反応だもの。それにこれはあたしのエゴ。あたしがフィンに嫌われたくなくて、打算的に同情買おうとしてるだけ」
「それは・・・そんなこと」

 それから、ローラは床の一点に視線を落とした。

「あたしはまだ完成されてないのかもしれないわ。これからも変わっていくだろうし。年をとればとるほどこのスタイルって風あたり厳しくなるだろうし――」

でも――きっと本質はそう容易く変わらない。

「あのね、いやじゃなければあたしの友だちでいてほしいなーなんて」

 魅力的な笑顔を浮かべて小首を傾げる彼女はとても可愛い。
 ふと、分かった気がした。
 彼――彼女だから、ローラという人間だからこそ、フィンの疵に注意を向けることなどなかったのだ。
 彼女に比べたら自分なのど何て器が小さいのだろう。

「・・・私などで、よろしければ」
「あら! よろしいに決まってるじゃない」

 大輪の花のような笑顔でローラはパッと腕を広げ立ち上がり――かけて動きを止めた。きょとんとするフィンを見て微苦笑を浮かべると腕を下ろす。

「ローラさん?」
「いえね、そちらの可愛いコからものすごい殺気を感じたから」

 目を向けたフィンはすっかり忘れていた存在に、同じく苦笑を洩らした。部屋の隅で物音ひとつ立てなかったメイリオは明白な敵意をローラに向けていた。

「リオ?」
「人間、複雑なものがある。それは譲ってやる。でも!」
「え?」
「だからと言ってフィンに馴れ馴れしく触るなッ! この妖怪! 分かったか!」

 本物の妖に妖怪呼ばわりされたローラはしかし少しも堪えた様子なく「じゃあ」と笑顔で続けた。

「代わりにリオちゃんがあたしと戯れてくれるのね? きゃぁ☆ 楽しそう~! 本当にご主人さま想いのいいコねえ~。ご褒美にたくさん可愛がってあげるわぁ」
「え゛」

 盛大に顔を引き攣らせたメイリオへローラが手をにぎにぎし始めると、途端に子狼はダッシュでフィンの背後に隠れた。目だけ覗かせて「シャーッ」と威嚇する。
(シャーッ、って猫みたい)
 そんなことを思いながらフィンは「大丈夫だから」と、取り敢えず宥めておいた。
 ローラはと言えば「あぁん、ざんねん・・・そんなに怖がらなくてもいいのにぃぃ」と、それは残念そうに指をくわえた。

 とりもなおさず「ローラ騒動」は無事解決の運びとなった。

 少し気まずく(それでも無表情)部屋を出たフィンは、外で待ち構えていた男衆に引いたのだが、(ローラ限定で)ピリピリしているレイや相変わらず熱血漢チェルシー(言いたいだけ言うとルーレックスを引き摺って帰った)から厳しく譴責されたローラはどこまでもにこやかに男たちと盛り上がっていた。

「どうよ。あたしのすごさ認めた?」
「馬鹿ですかお前は。うちの可愛いフィンを傷付けたのはお前なんですから機嫌取るのは当然のことです。と言うよりフィンが許さなければ死罪に値するんですからもっとしおらしくしていなさい」
「やぁだ、ナニソレ。すっごいウザいオヤジぶり~。。心狭いわよお。フィンを見習ったらぁ? “おとーさんクサイ”とか言って煙たがられなさいよ」
「そ、そんなことある筈がありません」
「何動揺しちゃってんの? というか、今も言われてる? うわだっさー」
「失礼な。言われていませんよ」
「でも風呂に入れとは毎日言ってます」

 途中口を挟むと、にたりと笑うローラと顔が引き攣るレイの間に再び火花が散った。

 そんな彼らを尻目にお茶を入れ直しながらフィンはふと気付いた。
 結局終始動揺を見せなかったのはローラだけだ。
 一見軽そうな人間だがこれもまた食えない人間なのだろう。――年齢のせいなのか、性格なのか。

 暫し(多分)大人2人を眺めた後、「お茶です」と声をかけた。



***


強引です



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