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その時の皆の顔と言ったら思い出すだけで笑いが込み上げる、とはメイリオの言葉だ。
***
「ローランド・デンダール」
レイの言葉を理解するのにしばらく時間がかかった。それは2人の騎士も同じらしく、ポカンと間が抜けた顔をしていた。
「やめてよ、あたしはローラだってば」
「こちらがやめてほしいですね。いい歳をした男が女言葉で、昨日から消えないサムイボをどうしてくれるんですか」
「なによぉ、男が女になっちゃいけないなんて法律あるの?」
「男・・・・・・?」
チェルシーの小さな呟きにフィンたちはようやく事実を飲み込み始めた。事実に色男ルーレックスはピシリと石化した。恐らく元に戻るのに時間がかかるだろう。
「なんだ、やはりそうか。私の勘、外れてなかった。ニオイがおかしいと思ってた」
メイリオが納得したように頷いた。
「おとこ・・・」
ローラが、男性?だが、どこからどう見ても女性で――いや、確かに声は女性にしては低めだし、背も高いし、ややしっかりした体格だが、女性にもそういう人はいて――それに手とか肌もすごく綺麗だし家事もうまくて美人だし・・・やっぱり女性にしか―――
動揺しすぎて考えが口に出ていたらしい。レイは顔が引き攣っている弟子に残酷な現実を説明した。
「フィン、間違いなく彼は男性です。それも女装癖のある男です。10年一緒にいた私が言うんですから間違いありません。家事ができるのはここに住んでいた時にそれが彼の役割だったからです。男性でも手入れをしていれば肌は綺麗になります。昔はまともな男でしたのに、ある日を境にこんなことに」
「ちょっと、それ、まるであたしがまともじゃないみたい」
ローラが憤慨した。
「違うんですか」
「あんたねー!それをいうならあんただって、今はとりすましちゃってるみたいだけど、昔はスゴかったくせに!フィンにみんなバラすわよ!」
「失敬な。私は昔からまともですし普通で常識人です」
いや、それは違う。間違いなく違う。天に誓って違うと断言できる。
「心外ですね・・・そんな風に私を見ていたんですか」
傷付いた顔でこちらを見てくる魔術師に師の威厳もへったくれもない。心外どころか真実じゃないか―――じゃ、なくて。
「ローラさんが本当はローランド・・・?男性――なんて冗談、ですよね・・・?」
未だ信じきれないソレを確認のように、縋るように向けられた視線を、ローラはばつの悪そうな顔で受け止めた。
「えっと・・・騙すとかそういうつもりじゃなかったんだけど・・・一応女だとはっきり言ったことはないわよ」
普通いちいち相手に「アナタは男性ですか女性ですか」と尋ねはしない。何故なら尋ねるまでもなく外見で判断できるからだ。誰も女と思って蓋を開けたら男でした、なんて現実は想定していない。
フィンはふっと遠い目をした。ルーレックスが壁に向かって「おとこ・・・」と呟いているのは誰も気にかけないと言うか構ってられない。
「・・・・・・・・」
ああそうか、男か。男ね。なるほど、おと―――――・・・ん?
無表情に動揺していたフィンの思考はナニかから逃避したがっていたが、如何せん目を背けられないもうひとつの事実があった。
「・・・・・・・・」
昨日、何したっけ。
あーそうそう、ドレスのサイズ調整に部屋で2人きりで衣装合わせをして、女性だから別にいいかって服脱いだんだよね。そしてああそう、ローラさんが細いのなんだの肌がどうのこうのって身体にペタペタ触って、抱きつかれて、胸が―――――――
思考が止まった。
少し不安げにこちらを見る彼女――いや彼の琥珀色の瞳と目が合う。目が合って―――
「っ、――――――!!」
事態の深刻さに気付くと同時に身体中の血がさあぁっと引いて行き、次いで血液が沸騰しそうなほどカッと熱くなった。顔に火がついたようだ。というかついていたかもしれない。
(み、み、見られッ!?)
「フィンッどうしたッ」
血圧が急上昇、ふらっと立ち眩みを起こしたフィンを慌ててメイリオが支える。
「フィン?――って、え」
顔をこれ以上ないほど赤くし、ぶるぶる震えているフィンに問うたレイ、いやフィン以外の5人は皆今にも泣き出しそうに目を潤ませているフィンに驚いた。
「ちょっ・・・フィン、大丈夫!?そんなにショックだったの!?」
「当たり前です、お前は!ただでさえ繊細な子なのに全く」
「あれがおとこ・・・おとこ相手に僕は・・・」
「えーいッ情けないッ!いつまで壁に向かって語りかけてるつもりかッ!」
「あッフィン!」
大人たちが揉めてる隙にダッと駆け出したフィンは一目散にホールへ行くと階段を駆け上がって行った。後を慌てて追いかけるメイリオに、何故かルーレックス除く大人たちも続いて。
これ以上ないほどのスピードで3階へ駆け上がったフィンは後ろの面々の声も耳に入らず自室に飛び込むと、バァンッと盛大に扉を閉めた。
「フィンッ、フィンッ」
「フィン、ごめんねー!そんなにショック受けると思わなかったのよ~」
「だからお前はその喋り方をやめなさい」
「ええぇ、無理よお。今ごろ変えたら読者さまが混乱するでしょお」
「貴様それでも男か―――!!」
睨み合う大人3人。
「フィン~ッ」
扉の向こうへ呼びかけるも返事はない。
「もしかして、アレのせいかしらぁ」
「アレ・・・?アレとは何ですか。お前はフィンに一体何をしたんですか」
いつも穏やかな声が低く剣呑になったレイにローラは「ええっと」と目を泳がせた。す、とレイが半眼になる。
「私に言えないようなことをしたんですか。そうなんですね?え?」
「言えないっていうか・・・あたしはべつに気にしないんだけどぉ・・・ちょっと昨日、衣装あわせをしたのよぉ。肌を見られたのがショックだったのかしらぁ」
というかそれ以外にないだろう。
「「はだ・・・?」」
チェルシーとレイの声がハモった。次いで、同じタイミングで2人の男を取り巻く空気が凍る。
「お前は・・・少し目を離せばうちのフィンに何を!!」
「貴様、うら若きご婦人に何と言う無礼を――――!!人を謀るその腐った性根、この我輩がたたっ斬ってやるわッ!」
「えぇ?やだぁ、物騒なものはしまってよ。あたし別にやましいことはしてないわよ」
くるりと目を回してすっとぼけるローラ。2人の男から立ち上るどす黒いオーラにも動じない。大嘘だ。
「そんなに死にたかったとは知りませんでした」
「男の癖に女の振りをしてみたり、挙げ句には挙げ句にはッ・・・ええいッ恥知らを知れぇッ!!」
しかしローラは少し表情を引き締めると自分より長身の男たちに向き直った。
「悪いけど、あたし下心なんてないから。卑しい山猿と一緒にしないでくれるかしら」
「この期に及んでそれを言うかッこの女男ッ!」
「あらぁ、もしかして騎士さま、うらやましいとかぁ?」
「ばッ・・・たわけがッ!その気色悪い話し方をやめんかッ」
「いやぁよ!これがあたしなんだからッ」
「お前に悪意があろうとなかろうとフィンを傷付けたのは真実ですから、それだけで万死に値しますね」
埒があかない言い合いの間にメイリオがフィンを説得して部屋に入って行ったことなど彼らは知るよしもない。
「あんたがソレを言うわけ?すこしも保護者らしいことしないでぐうたらしてるくせに、フィンを不安にさせてるのはあんたの方でしょ。あたしのこととやかく言えないわよ。
あんたがもっと構ってあげてればフィンはもっと笑うようになるのに。あの子に必要なものちゃんと与えてないくせにね」
「わ、私ですか」
正面から魔術師を見据えるとローラは続けた。
「あんなに寂しい目をしてるの、わからない?あんたはやってるつもりでしょうけど、全然たりてないわよ。あたしは一目でわかったもの。
あの子はあたしに似てる。だからたくさん構ってあげたかった。それが裏目にでたのは、失敗だけど・・・」
段々語尾が弱くなり、視線を落としたローラを、口を噤んだレイが見下ろした。
「それと貴様が腑抜けの恥知らずであることとは別であろうが!」
「あたしは腑抜けじゃないし恥知らずでもないわよ。ちょっと標準より逸れてるってだけ」
しばらく思案するように黙って目を伏せていたレイは目を上げると何を考えているのか分からない表情で静かに尋ねた。
「お前の言葉はともかく、現実フィンはこの通りです。どうするつもりですか」
「フィンはあたしと似て繊細だけど・・・ちょっとそこ、何よその目は。まぁいいわ。優しいし、頭がいいから話せば分かる子よ。あたしに任せて」
ちょっと嫌そうな顔をしたレイにローラは不敵に笑う。
「悪いけどあんたよかあたしの方が人間関係のごたごたには慣れてるのよ」
「せめて女装をやめる気はないんですか」
「分かってないわね。女装をやめるってことは自己否定とおなじよ。それに男のかっこはフィンを怯えさせるだけよ」
「もし傷を深くしたら今度こそ簀巻きにして海に沈めますからね」
「上等。じゃ、成功したらひとつあたしの言うこと聞きなさいよ」
「何故私が」
「いいからいいから・・・フィ~ン~?ちょっとお話しない~?ほらぁ、あたしたちちょっとした誤解がありそうだからまずは相互理解から、ねー?入れてくれる?」
「さっきの今で・・・馬鹿ですか」
ローラは声を落としてニヤリッと笑った。
「大丈夫よ」
わざと言い合いを聞かせることで少し心動かそうと言うひとつの作戦だ。
「・・・その妙な確信はどこから来るんですか」
「オンナの勘舐めないで?――フィン、なんだったらあたしをぶん殴ってもいいわよぉ?」
そもそもオンナじゃないだろ、とか無理だろ、と首を振った外野だったが――――奇跡か何か、カチャリ、と小さくドアが開いた。顔を出したのはメイリオ。
「話くらいは聞いてやる。でもフィン、まだショック受けてる。もしまた泣かしたら、永久凍土に埋めてやるから覚悟しとけ」
「ありがと~」
にっこりと、やはりどう見ても美女にしか見えない笑顔でローラは入室した。
入るのは2度目のフィンの部屋は、はっきり言って質素すぎて女の子らしいものではない。
その部屋の中央、備え付けの天蓋付きベッドの上に、今朝ローラが選んだ紺色のドレスを着たフィンが座っていた。泣いていたのか、頬が光っている。少し胸が痛んだ。
「ちょっと借りるわよ」
断ると、ローラは魔導書らしきものが数冊置かれた壁際の机から椅子を拝借して座った。足を揃え裾を整えるとローラはフィンに目を向けた。
「さてと、あたしの話聞いてくれる?」
感情の浮かばない、ただ涙に光るだけの眸はただ床を見つめていた。
「あのね、昨日ので傷付けちゃったならごめんね。あたし確かに生物学上は男だけど、でもあたしは男としてフィンを見たことはないわ。
だから昨日のも・・・ちょっと可愛くてからかったのは確かなんだけど、下心はないのよぉ。あ、フィンを飾って遊びたいって下心はあったわね。なんだかねぇ・・・妹ができたお姉さんの気分なのよ」
「・・・・・・・・」
「フィンにはあたしのこと、男の“ローランド”じゃなくて“ローラ”として見てほしい。うーん、ちょっと違うのかしら?“ローラ”でも“ローランド”でもいいけどあたしは今のあたしが本当なのよ」
はしばみ色の瞳がローラを向いた。
「って言ってもいきなりは無理よねぇ?だから、どうしてあたしがこんな風になったのか、それを話すわ。あたしが男なのに男じゃない理由。あんまりいい話じゃないから聞きたくなかったら言って?」
ローラがフィンと自分が似ていると言った理由。ローラ、いやローラになる前のローランドの過去。
返事はせずただ彼を見つめるフィンに淡く微笑むと、ローラは窓の外に目をやりながら語りだした。