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「・・・・・こんにちは」
数秒置いてから返答したフィンを見て女性はくすっと笑った。それは厭味なものではなくただ年長者として微笑ましく見るような暖かいものだった。フィンの愛想の欠片もない態度に気を悪くした風ではない。
「ここにレイ意外の人間がいるのを見るのは何年ぶりかしら。しかも女のコ?他にもいるの?」
他にも・・・それは人間がという意味だろうか。
フィンは妖狼と精霊のコンビを頭に浮かべた。にしてもこの女性、レイの知人だろうか。
(もしかして・・・)
ふっと頭に浮かんだ考えが形になる前に振り払いフィンは表情崩さず口を開いた。
「いえ、私一人です。」
「あら、そうなの」
「・・・あの失礼で」
「にしてもアイツが、どういう風の吹きまわしかしら。あたしに内緒で可愛い女のコ連れ込むなんていい度胸してるわねえ」
フィンの言葉は聞こえてないのか、腕を組むとブツブツと呟きだした。可愛い女のコ、どこに。と思い、どうやら自分のことを指しているらしいと思い至った。
(本気で、誰・・・)
「甲斐性なしのくせに」とか「あのむっつりスケベ」だとか「油断も隙もない」とか色々聞こえてきて、曖昧だった考えがいよいよ現実味を帯びてきた。改めて見ても、綺麗なひとだ。
(恋人・・・とか・・・?)
有り得ない気がしてならないが、並べて見たらお似合いかも・・・と考えたところで突然胃がまたきゅっと縮こまって体の芯が冷たくなった。
つい朝の考えが、現実になるかもしれない・・・?
――居場所が
――所詮お前に安らぎなどない
――1人だけ安息を得ようなど、許さない・・・
頭の中に誰のとも知れない声が響く。それは自分のものにも聞こえ、あるいは両親の、村人の・・・リュミエールのものにも聞こえた。
――リュミエール
「っ」
――忘れないでよ、自分の罪を
お前は命惜しさに実の弟を見捨てて逃げたのだから。
置いて行けばどうなるかなど、分かりきっていたというのに。
――これは罰なのだ・・・生きている限り咎は消えないのだ
『逃げたって無駄だよ、姉さん・・・フィリー』
罪悪感はどこまでもついてまわるから
手足がスッと冷たくなって雲の上に立っているような感覚に襲われた。足元の感覚がふわふわして手摺に掴まらないと転げ落ちそうな気がした。
レイに、師匠に捨てられたら、どこへ行けばいい
どうやって生きればいい
『すみません、あなたの代わりはいますのでもうここにいなくてもいいですよ』
レイがいつもの笑顔でそう言う――
「ちょっと、お嬢さん大丈夫?顔色悪いわよ?」
気が付くと階段のすぐ下まで来ていた女性が怪訝に見上げていた。何だか頭が痛くなってきた。フィンは目を逸らして「大丈夫です」と低く呟いた。
「とてもそうは見えないんだけど」
「師匠にご用でしょうか」
無表情に遮ると話題を変えた。
「師匠?もしかしてお嬢さんはレイの弟子なの?」
「はい」
「弟子ね・・・アイツが師匠・・・うわ、なんて似合わないのかしら――お嬢さん」
「フィンです」
「フィン、可愛い名前ね。あたしはローラよ。ところでアイツ、ちゃんと師匠してる?」
「・・・・・」
(・・・どう答えるべき?)
色々返答に困る。そもそも『ちゃんと』した師匠とは何ぞや。
言い淀んだフィンを見てローラが眉を顰めた。
「こんな若いコをお弟子さんにして、ちゃんと師匠らしく世話してるのかしら・・・って愚問だわね。アイツのことだからどうせ日がな本が恋人よろしくナマケモノみたいにダラッダラしすぎて脳ミソとろけちゃってるんでしょ。ここをキレイにしたのもフィン?」
「はい」
フィンは心の中で拍手を送った。この女性、本当にレイをよく知っている。・・・しかしどういう間柄なんだろう。
「まったく、あたしがひとつビシッと言ってやらないといけないわねえ。お年頃の女のコは色々たいへんなのに、あいつがちゃんと気配りとかできるわけないもの」
真剣な顔で頷いているローラに、フィンは今度こそ問うた。
「失礼ですが、師匠とは・・・?」
「あら、気になる?ふふっ、そうよね、あたしとアイツは」
「赤の他人です」
聞き慣れた低くて静かな、それでいて今は少し不機嫌そうな声が飛んできて、フィンとローラは同時にそちらを向いた。
「あら、いたの」
「フィンが時間に来ないのでどうしたのかと来てみれば・・・こんなど田舎にわざわざ何をしにいらしたんですか」
にこやかなローラに対し、レイは紫苑の瞳を不機嫌に細めてやや棘のある口調で告げた。
「ひっどー。長年の親友にひさしぶりに会ってまず言うのがソレ?」
「親友が聞いて呆れますね。ただの腐れ縁でしょう」
「んまああ、あたし傷付くわよー!ちょっと、フィンどう思う、コレ、この態度!」
「うちのフィンに馴れ馴れしく近付かないで下さい。あなたと違って純粋なんですから汚染しないで下さい」
「ちょっ・・・ヒトをバイキンみたいに」
「大した差はないでしょう」
にっこりと告げる師の笑顔が黒い気がしてならないのは気のせいだろうか。
滅多に、というか先日の妖魔襲来以来の師匠に軽く驚きながら、頭の片隅では確かにレイとこの美女はちかしい仲と見た。誰にでも、たとえ罵られても穏やかさを絶やさない魔術師がこれだけ険悪なのは、それだけ繋がりが深いということだろう。
(これが師匠の素顔・・・?)
しかしいくら知己でも女性に大してバイキン扱いはないのではなかろうか。
「レイがちゃんと生きてるか心配で確認しに来たのに・・・あたしほんとに泣いちゃうかも」
「やめて下さい。やるなら私のいないところでお願いします。気色悪いですから」
「師匠、それは言葉が過ぎるのでは」
ちゃっかりフィンの後ろに回って「そうよそうよ」と頷いているローラを一瞥するとレイはフィンには優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ、フィン。全く問題ありません」
「・・・あらあら、レイったら」
それを見留めてローラがにんまりとした。レイが嫌そうな顔をする。
「何ですか、お前は。もう目的は果たしたでしょう。さっさと帰りなさい」
「そんなつれないこと言わなくてもいいじゃない。あたしだってひさしぶりなんだし、たまには昔を思い出して杯を交わすのも」
「お前に飲ませる酒も貸す布団も存在しません。それよりいつまでフィンに触ってるつもりですか」
何がどうしてそんなにレイはローラを毛嫌いするのだろう。新鮮だ。昼行灯も人並みなところはあったらしい。取り敢えず現恋人説は却下して・・・
「やだあ、妬いてるの?あんまり娘の交友に口出すオヤジは嫌われるわよお?」
いつの間に友達になったんだろうか。
「・・・」
レイが一瞬不安げな目を向けてきたが、フィンは無表情にスルーした。
「ふうん?そういうこと言っちゃっていーのねえ?あーそお・・・ねぇねぇフィン、レイの秘密とか知りたくないかしら?」
「師匠の秘密ですか?」
少し興味をそそられて尋ね返すとローラは魅力的な笑みを浮かべた。低めのハスキーヴォイスと合わせて、不思議なオトナの色香が漂う。並の男ならコロリと行きそうだ。
「そうよ~あたしレイの弱味色々知ってるのよねえ」
ちょっと知りたいかも。
「・・・一晩だけ滞在を許可します」
ややあって絞り出すようにレイは告げた。
あ、目が明後日の方を向いてる。
「きゃっ♪やっぱり持つべきものは友ね」
「変態を友人に持った覚えはありません」
「いやあねえ、心外だわあ。あたしが変態だったら世の中の変態さんたちに失礼じゃない」
「真実を述べたまでです」
(変態って・・・師匠って毒舌だったっけ)
いつも穏やかだから毒舌はフィンの専売特許だと思っていた。
レイはやはり不機嫌だ。新鮮で、面白くてフィンは思わず笑いをもらした。
「あら」
それを見てレイが少し表情を和ませ、ローラは目を輝かせた。
「笑うと可愛さが増すわね?最初見たとき思ったんだけど、せっかく器がいいのに地味な格好はもったいないわ。ね、ちょっとあたしと楽しいコトしない?」
「フィンが可愛いのは当たり前です。それよりフィンを毒さないで頂きたいんですが」
可愛いって、誰が?この人ら頭大丈夫か?
「あらあ、違うわよ。どっかの誰かさんが年頃の女のコだっていうのにきちんと顧みてあげてないみたいだからあたしが女のコの楽しみを教えてあげるのよ」
「ですがお前は」
「どっちにしろあんたには到底無理でしょ」
「・・・・・」
レイが言葉に詰まった。少々心が揺らいでいるようだ。ちらちらとフィンの方を見てくる。
「ね♪」
「・・・私は大丈夫です」
「ええーどうして?遠慮はいらないわよ」
「必要ありませんから」
ローラが驚いたように見てきた。
「何いってるの、必要に決まってるでしょ。女のコはいっぱいオシャレしてキレイにならないと。それに楽しいわよ」
「・・・・・」
「・・・フィン」
この至近距離でこの傷が見えないのだろうか。醜い自分が着飾ったところで滑稽なだけだ。第一この田舎で、お洒落など本当に意味はない。
うっかりすると彼女のペースに乗せられそうだが、心に深く根差したものが押しとどめる。
この人、一体どういうつもりだろうか。
俯いたフィンを、真摯な眼差しでじっと見下ろしていたローラは一瞬レイに避難がましい目をやった。複雑な眼差しで弟子を見ていたレイは、正面からそれを受け入れた。
「・・・色々することがありそうね」
独り言のように呟くとローラは「レイ、ちょっと顔貸しなさいよ」と言いながらズカズカと近付いて自分より背の高いレイの首根っこを掴み、ズルズルと引っ張って応接間の方へ行ってしまった。
その場に取り残されたフィンは、急に心細くなって表情を暗くした。
「フィン?」
幼さの残る声がホールに響いて、顔をあげるとレイが出てきた扉にメイリオがいた。
「魔術師はどうした?フィンを呼びにいったきりどこへ行った」
「お客さんが来たから」
「客?レイの?」
「間違ってもレイにするみたいに喧嘩売っちゃだめだよ」
「・・・うん、フィンに危害加えないヤツならしない」
こちらへ歩きながら頷いたメイリオは、フィンの顔をじっと見つめると「また何かあった?」と言った。「大丈夫」と返そうとすると、「フィンの嘘は分かりやすい。つくだけムダ」と先手を打たれた。
「フィン、最近いつも辛そうな顔してる。私そんなに信用できない?フィンが妖魔嫌いなの、知ってる。フィンは妖魔にふるさととられた。でも私はフィンの力になりたい。フィンは私の恩人、妖狼は受けた恩には必ず報いる。悲しいこと、1人で我慢しなくていい。そうでしょ?」
フィンはメイリオをじっと見たが、何故か段々視界がぼやけて来て、瞬きをしたら頬を熱いものが伝った。
「私のこと嫌いだったら言って、ムリに頼れとはいわないから」
「違う・・・そんな、ことは」
メイリオは妖魔だが、あの日の憎むべき妖魔とは違う。それは知ってる。
「私いつでもフィンの味方、フィンいじめるやつも泣かすやつもぶっ飛ばすし、フィンの望みは何でもするよ、私のマスター」
「うん・・・」
「フィン、独りじゃない。火獣のおっさんも、私も、あの魔術師もいる。私たちの存在、忘れないで。忘れられると、悲しい」
「うん・・・ごめんね」
一生懸命に自分を元気付けようとしてるのが分かって、少し申し訳なく思った。曇りのないメイリオの眼は偽りがない。
そうだった。メイリオも、アルジェンデスもいる。2人は人間ではないが、フィンが離さない限り離れていくことは決してないのだ。
自分よりずっと、この幼い妖魔の方が賢く思えた。恐れに囚われてしまう自分を、敏感に察して連れ戻そうとしてくれる。
妖魔は今でも嫌いだ。だがともすると人間よりずっと、彼らの方が賢く愛情深いのかもしれない。