1-3-2 | 風の庵

1-3-2

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「フィン、玄関掃除おわった。次、何すればいい」

 朝食にホットケーキを焼いていたフィンはできた分を大皿に放り込み、台所の入口に立つプラチナブロンドの少女を見やった。

「もう朝ごはんだから師匠を起こしてきて」

「わかった」と踵を返そうとした少女にふと思い出して「メイリオ」と呼び止める。
 澄んだ青の双眸がこちらを向く。振り返った拍子に肩までの真っ直ぐな髪がサラリと靡いて輝くのを眩しく眺めた。
 ずっと妖狼の姿だったメイリオは、フィンの魔力が目覚め、正式に主従契約を結んでから更に成長した。レイ曰く、契約により繋がりが持たれたことでフィンの魔力の影響を受け、メイリオ自身の魔力の増幅が促されたからなのだという。
 人間に換算すると11、12歳(実年齢が23年と聞いて仰天した。人間より時間をかけて年を取るらしい)のメイリオは両親が美形なため美人だ。時々羨ましくなるくらい容姿が整っている。
 比べると惨めになるので観賞用に楽しむことにしている。可愛いが、見た目に反してクールでさっぱりした性格なのが面白い。家の手伝いも嫌な顔せずやるし、覚えも良い。
 妖魔は力が強ければ強いほど見た目がいいらしい。両親が妖狼族のトップなんだから当然なんだろうと思うが、そんなに強い妖魔を使役する力量が本当に自分にあるのか怪しいと思う。

「何?」
「部屋と備品を壊すのだけは駄目だから」

 念を押すと真面目な顔で少女は「わかった」と頷いた。

 その後ろ姿がドアの向こうに消えてから再び残りの生地をフライパンに流し込んだ。ふんわり焼くコツは蓋をすること。
 待ってる間に食卓を整える。朝一で摘んできたばかりの生野菜を適当に千切って並べた皿にカリカリのベーコンとふわふわのスクランブルエッグを分け、紅茶とホットミルクのカップをそれぞれの席に、蜂蜜とジャムの瓶、ホットケーキが積まれた皿を中央に置く。

 よし。こんなもんでいいだろう。

 上階から「うわあっ」と悲鳴が聞こえた気がしたがきっと気のせいだろう。無表情に頷いて、フィンは2人が降りてくる前に台所へ戻って調理器具を片付けた。
 料理上手は片付け上手、と亡き祖母から教えられた。料理の腕はまだまだ改善の余地があるが、ともかく同時進行で片付ければ後がずっと楽なのだ。

「・・・・・」

 ふと、手を止めた。そして数秒置いて小さく笑う。

 数年前は食事なんかどうでも良かったのに・・・今は作るのも食べるのも当たり前どころか、もっと腕を上げたいとさえ無意識に思っている。

 レイはあれで、味にうるさい。好き嫌いが激しい訳でもなく出したものは残さず食べるが、うるさいのだ。フィン自身がうるさく言われたことはないが(多分作ってもらえなくなるからだろう)余所のご飯にこっそりケチをつけているのは聞く。魔術師連盟本部の食堂がいい例だ。
 メイリオが加わってから彼女の分も用意している。本当は人間の食事など必要ないのだが、何か気に入ったらしい。
 何を対抗しているのかメイリオとレイは食事時、張り合うようにして大袈裟なくらい褒めたり感謝したりする。あんまり鬱陶しいので食事中の無駄話は禁止した。

 きっと、自分がやっていけてるのは、自分のことは何もできない(しない)レイと、そして今や主従というより妹のようなメイリオのお陰だろう。

 1人では生き続ける気力は湧かない。ただ孤児として世話されることも然り。
孤児院に預けられなくて良かったかもしれない。
 必要とされるからこそはじめて、生きることを続けられる。生への執着などないが、それでも役目があるから生きることをやめないでいられる。目的があるから、生きられる。ここに来た4年半前からずっとそうだった。

(別に私じゃなくても良かったんじゃないか)
(はっきり必要だと言われたことなんかない。勝手にそう思い込んでいるだけじゃないか)
(本当は私の世話なんか必要ないのに、同情でできない振りをしているんじゃ――)

 ふとした瞬間にそう、思ってしまう。
 本当は目的など偽りで、本当ははじめからそんなもの存在していなかったとしたら――

 震えそうになる体を両腕で抱き締め俯く。

(私は・・・)

 本当にここにいて、いいの
 本当に、ここに居続けていいの・・・

 震えているのは身体・・・?
違う―――こころ

(考えるまでもない、じゃない)

 首を振ってネガティブに傾く思考を振り払おうとする。
 レイはできない振りをしているのではない。本気でできないのだ。カワセミ村のヘレンだって言っていた。フィンが来てからやっとこの屋敷は人の住む場所になったと。
 だから自分は必要なのだと思いたい――

 家政婦でいい。小間使いでいい。ただここに居続ける理由がありさえすれば。温厚でお人好しで昼行灯で、出来の悪い散らかし魔の魔術師の世話が役目なんだと。

 でもそれは、フィンでなくともできること・・・いつか誰かがこの役目を担うかもしれない。
 レイは見た目はいい。性格も問題ない(面倒臭がりで散らかし魔なところを抜けば)。今までそういう人がいなかったのが不思議なくらいでいつか伴侶を得るかもしれない。そうしたらフィンの居場所はなくなる。

 一番怖いのは、必要とされなくなること―――

 必要とされないことつまり、生きている必要もないということ。
 元々死ぬべき命だった。
 いや、今にでも本当は死ぬべきなのかもしれない。皆と同じ道を辿れば、少なくとも楽にはなれる。悩まなくてすむ。皆と一緒。独りじゃなくなる。
――だがそれでも、
 心のどこかでは死にたくないと叫んでいる・・・生きたい、と、誰かが。

 『弟子』という名の立場。
 それは絶対ではない。いつか、いつかは弟子を『卒業』する時が来る。そうしたら独立しなければならない。ここから出ていかなければならない・・・

――そうしたら、また『独り』?

「っ」

 身体の底から冷たいものがせり上がって来て胃がきゅっと縮んだ。戦慄く体をより強く掻き抱いて息を吐く。

(馬鹿みたいだ・・・矛盾してる)

 死にたいと同時に死にたくないと思い、誰も信じたくないと壁を作りながら独りが嫌だと思う。
 自分の心が矛盾だらけで笑える。何が本当の望みなのか分からない――ううん、分かりたくない。分かってしまうのが怖い。道をひとつに決めるのが。
 自分の将来がはっきりするのが――怖い

 目眩がしてふらついた体を支える手があった。突然現れた気配は綺麗な緋色。

「ア・・・ジェランデス」

 片腕でフィンの肩を包むように支えた深紅の髪と瞳の青年の姿を取った精霊は、深みのある静かな眼差しで見下ろしてきた。
 いつもだが彼の瞳を覗くだけで畏怖に囚われる。これまた契約を結ぶ間柄、どちらが上なのか、分からなくなるほど。本当に、分不相応だと思う。彼を使う力量があるなんてのはアジェランデスの見誤りなのではないかと。

「・・・侮るな。私は古より存在する焔の精、判断に誤りはない」

 深紅の瞳が少し不機嫌になった。思わず見返し、そして気付く。精霊は妖魔と違い契約者の精神状態、心をダイレクトに感じることができると。レイにあの後教わったことだ。ただし感じた心を必ずしも人間のように受け止める訳ではない。

「我が契約者よ、今のそなたは不安定で脆い。今のままであれば私を扱いきるのは不可能だろう」
「・・・ならどうして契約したんですか」
「そなたは我が目に好ましい魂を持つ・・・それを生かすも殺すもそなた次第だ。今のそなたは危うい。失望させるな、幼子よ」

 体を硬くしたフィンを軽く一瞥すると、アジェランデスはそれ以上は何も言わず手を離した。冷たい訳ではない。怒ってる訳でもない。だがその一瞬の眼差しが何か引っかかって、心が波立った。

「フィン、どうした?おっさん、フィンに何した?」

 入口から声が飛び、振り返ったフィンはアジェランデスを睨んでいるメイリオを見留めた。後ろに何故かずぶ濡れのレイが立っている。

「何もされてない。師匠、その格好でウロつかないで下さい。きちんとするまで食事抜きです」
「・・・・・」

 言い捨てると、魔術師とメイリオ2人の視線から逃れるように台所へ通ずる戸へ向かった。
 レイは苦笑すると服を払う真似をした。途端に服も髪も乾く。この間騎士団支部前に飛ばされた時もそうだったがレイは魔術に呪を唱えない。

 いつも思うが、何故できるのならすぐにやらないのか。
 もっとも彼にそれを問うだけ無駄である。
 それで問題が解決するなら世の中の問題の8割はとうに解決してる。

 台所へ入ると戸を閉め、エプロンを外して壁のフックにかけた。
 そのまま壁に額を預ける。

 レイはともかくメイリオには心配をかけてはいけない。
 人外2名と師匠は厄介なことにフィンの変化に目敏い。こんなに無表情で無愛想な自分だというのに、気付かれたくないときに限って気付く。

 余計なことは考えちゃいけない。
 私の心が弱いからくだらない考えに気が向くんだ。

(何で、またこんなこと考えてるんだろう)

 考えたからどうにかなるわけでもないのに。
 突拍子もなく襲ってくる恐れは始まり出すと止まらなくなる。

 きゅっと拳を握って壁から離れた。
 顔を上げてふと目に入った鏡、その中からこちらを見つめる瞳に眉を顰め、顔を背けた。


 大丈夫、私は大丈夫。

 触手を伸ばそうとする闇を無理矢理心の奥底に封じ込めて、心の声にも耳を塞いで、食堂への戸に手をかける。

 そうそう、早くしないと食事が冷めてしまう。



 朝食後もフィンは忙しい。午前いっぱいは館中を走り回っている。今日は館の1階東側の日だ。浴室や図書室、物置部屋、薬部屋がある。この広い屋敷を綺麗に保つのは大変。今はアルジェンデスとメイリオも手伝ってくれるから幾らか忙しさもマシだが。
 この2人(?)は意外に仲が良い。水(風)と火で相性が悪いはずだが、お互いに苦手を補いあって掃除している。例えば、アルジェンデスは水拭きなんかできないからメイリオがやり、火の気配が濃い暖炉はアルジェンデスがやるといった具合だ。
 レイはどこか?かの魔術師なら無論自室にて今日も熱心に引きこもり中だ。どうせまた本を枕にドリームワールドへ飛び立っているのだろう。

 掃除はいい。何もかも忘れて夢中になれる。


 正午に案の定惰眠を貪っていたレイがメイリオの水鉄砲によって叩き起こされ(最近は本を避けてレイをピンポイントで攻撃できるようになった。メイリオの魔力のコントロールのいい練習台になっている)昼食をとってから、午後はレイの授業が始まる。メイリオも一緒で、アルジェンデスは基本呼ばれなければ姿を現さない。神出鬼没な精霊だ。

 そんな訳で図書室で行なわれる授業に向かうべく、魔導書(以前渡された赤い本だ)を取りに行って、階段を下りてきたとき、フィンは玄関ホールに目をやって、下りる足を止めた。

(・・・客?)

 1人の長身の女性が立っていた。波打つ小麦色の髪を背中に垂らし、レースがあしらわれたクリーム色のドレスを身に着け佇むその女性は、貴族然としたオーラを纏っていた。
 ホールを眺めていたその女性がふと、フィンを見た。
 20代にも、ともすれば30代にも見える。明るい琥珀色の瞳。意思の強そうな切れ長の眼――人目を引く美人だ。綺麗に施された化粧が垢抜けた雰囲気を醸し出している。

 女性は一瞬目を見開いたが、首を巡らせたまま真っ直ぐフィンを見ると、ゆっくりと口の端を上げた。

――ザワッ

 何故か肌が粟立った。
 目を逸らせずに固まっているフィンに艶めいた微笑を浮かべたまま女性は口を開いた。

「こんにちは、お嬢さん」

 色気すら感じる低めのハスキーヴォイスがホールに響いた。





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