1-3-1 | 風の庵

1-3-1

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 ―昔語りの吟遊詩人の唄

  おまえたちは知っているか

  この世界で竜たちがまだ神であったころ
  聖なる言葉を人間がまだ話していた時のこと
  人と妖がかつてとなりびとであったころ

  暗闇につながれた ひとつの魂を

  大罪を身に背負い
  孤独と狂気に囚われた
  猛り荒ぶるあわれな魂を

  なにより気高く賢くまた、美しく
  その力強さにより竜をさえしたがえた

  怒りと憎しみに心を喰われ
  おそれとかなしみに囚われて
  赦されぬ罪を犯した、ひとりの男を


  今となっては唄のなかにだけ生きるその男を人は

  “魔王”と、よんだ・・・――


* * *


「こんにちは、可憐なお嬢さん!何か僕にお手伝いできることはありますか?」

 朗らかなテノールに呼び止められ振り返ると、タレ目の色男が愛想の良い笑みを浮かべていた。自分もそんなに小柄な方ではないがそれでも男はさらに背が高い。
 服装からして王国騎士団の人間、それも士官クラス。
 恐らく自分よりひとつふたつ歳下だろう。さっと観察し、愛想よく笑って断る。

「いいえ、だいじょうぶよ」
「遠慮はいりませんよ。このルーレックス・ヴァン・ロークベルン、貴女のように天上の神々が羨むほどお美しいご婦人のためなら助力を惜しみません。お一人でそんなにたくさん持つのは大変でしょう!ご旅行ですかな?良ければ案内もしますよ」

 騎士は胸に手を当て素早く身を屈めると、芝居がかった仕草で跪いてきた。

 王国騎士団ベルデーナ支部副支部長ルーレックス・ヴァン・ロークベルン、25歳。
 今日も元気に女性たちを讃えていた。

 慣用句のような臭いセリフを吐く騎士は周りにキラキラと星が飛んでいそうだ。
 綺麗な緑の瞳が期待と自信に輝いている――どこにでもいる女好きだ。

「ありがとう。でもほんとうにだいじょうぶよ。あたしこう見えても力持ちだし、元々ここの人間だから」

 実際これくらい苦ではなかった。普通女性ならば到底持てない量の荷物だが問題はない。見た目とのギャップで驚かれるが。
 たまに大丈夫でも見かけに騙された親切で―下心もある―男に持たせる時もある。しかし今は遊んでいる時間はあまりない。

「この街に?貴女ほどの素晴らしい声をお持ちの女性に気付かなかったとは、僕としたことが何たる失態・・・!
 もっと早くお目にかかれなかったことが悔やまれますよ、お嬢さん」

 大袈裟な身振りで天を仰ぐ色男に苦笑する。どこにでもいるのだ、こういう男は。
 しかしこういう男には慣れている。背筋が寒くなるような美辞麗句を並べ立てられたとしても年頃の乙女のように恥じらうことはない。心牽かれることも決してない。残念ながら。

「あたしはお嬢さんなんてトシじゃないわ、騎士様。それに知らなくて当然よ。若い頃住んでただけでもう10年以上離れていたから」

 騎士が目を丸くした。年より若く見られることはよくあるので驚きはしない。実際はもう次の往代に乗りかけている。
 しかし茶髪の騎士はすぐに首を横に振ると自然に歩み寄り、気が付くと手をとられていた。

「いいえ、女性は幾つであろうとお嬢さんですよ。少なくとも僕からすれば」
「あらまあ、面白いぼうやね」

 わざとそう告げれば、自信に満ちた強い光を湛えた目を穏やかに微笑ませる。
 きっと普通の女性ならこれに一発でやられるのだろう。長身で恵まれた体格にも関わらず威圧感を与えず、むしろ親しみ深さを感じさせるのは自身の魅力をよく理解した者の余裕だ。
 面白く感じながら興味深く見やった。

「貴女こそ率直で賢く――素敵な方です。ますます貴女のことを知りたくなる・・・どうです、まるで今日は僕らの出会いを祝福しているかのような美しい空だと思いませんか。これを機にもう少しお近づきに・・・」

 騎士は蒼天に手を掲げている。道行く人々が妙なものをみる目を向けるのも気に留めないようである。
 確かに、本日は気持ちよく晴れた春の良い日だ。
 いつもならこう言う軽い男を誘って遊び歩くところだが、今日は少し訳が違う。

 いかにも女性に好かれそうな甘いマスクの見目麗しい男を名残惜しく思う。
 彼は本当のことを知ったときどんな顔をするだろうか・・・
 からかって遊びたい衝動に強く駆られたが、しかし先へ行かねばと色男から目的のものへ思いを馳せる。

 どう断ろうかと思い巡らしていたところ、

「ル―――レックス!貴様そこにいたか―――!!」

 威勢の良い大声が近付いてきた。見れば、金髪碧眼の―これもまた堅そうで味があるかもしれない―騎士が肩をいからせてやって来るところだった。

「おや、親愛なるチェルシー君。そんなに恐い顔をしてどうしたね?」

 能天気な笑顔で手を振る男に金髪の騎士の顔がヒクリ、と引き攣った。

「こ、こ、この、痴れ者め!すっとぼけるでない!!今日は地方巡回だと言うのに出発前から少し目を離せばちょこまかちょこまかとッ!
 放置された部下の身にもならんか!ようやく探し当てればまた女か!貴様の脳ミソはピンクかッ!」
「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえよ、チェルシー。僕はただ善良な市民を助けようとしていただけだというのに、ねえ、レディ?」

 肩を竦めて同意を求めてくる。わざとらしい粗野な仕草さえも彼が本当の貴族であるゆえに許されるのだ。

「さあ、どうかしら?」

 愛想よくと首を傾げると、色男は少々傷付いた顔をし金髪の騎士は半眼になった。

「やはり貴様は――!来い!その腐りきった根性叩き直してくれるッ!!――レディ、迷惑をかけ申し訳ない」

「いいえ」と、とっておきの笑顔で微笑みかけると、金髪の騎士は僅かに頬を染めた。

 首根っこ掴まれ引き摺られていく――それでも性懲りなしに「またお会いしましょう、レディ!」と叫んでいる――色男と「黙らんかッ!」と怒鳴る騎士を苦笑して見送り、踵を返す。

「面白い子たち、また機会あればお会いしましょ」

 ルーレックスに誉められた低いハスキーヴォイスで小さく呟く。

「変なところで道草食っちゃったわ」

 ブラークの街を出、街道を進み、途中通りかかった荷馬車に乗せてもらう。

「こん先は山と畑ばっかのど田舎だべ。あんたさんみてえなきれいなベベさ着た娘っこが、何の用さあんだべか?」

 麦わら帽子を被った農夫に首を傾げられて、ドレスの裾を整えていたがすぐ顔をあげ微笑む。

「人に会いに行くのよ」

 長閑な田園風景に琥珀色の目を細めてのんびり眺める。遠くには高い山々が青く空に溶けている。

 懐かしい地。

 この先には

「大切なひとがいるの」
「なんだあ、ねえちゃんのコレかい?」
「まあ、そんなもんよ」

 春の柔らかい風に枯草色の髪が乱される。

 10年ぶりの景色は少しも変わっていなかった。
 彼もきっと、少しも変わっていないのだろう。
 彼は決して変わらない――昔から

 懐かしい人間の不思議な色の瞳を思い浮かべ、口元を緩ませた。

「さぁて、どうやって遊ぼうかしら♪」

 聞こえないほど小さく小さく呟いてほくそ笑む。


 ルエンの白亜の館はもう、すぐそこ。




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