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泥棒を捕獲して上機嫌の支部長殿は、部下に後を任せると被害者を探し、街の人の指す方へ目を向けて驚いた顔をした。
それはそうだ。誰でも顔見知りがそこにいたら驚くだろう。
野次馬たちを騎士団の人が解散させる。
「フィンではないか!・・・顔色が思わしくないようだが如何した。」
荷物を引き渡したチェルシーは青白いフィンの顔を見てそう言った。
フィンは数日ぶり4度目のご対面の騎士をまじまじと(でも無表情に)見つめた。チェルシーが気圧されたように顎を引く。
「な、何だ。」
「何でもありません。」
フィンはスイ、と目を逸らすと荷物を抱えて立ち上がろうとした。戻ってきたメイリオがフィンをじっと見上げている。
「・・・ッ」
石畳に踵を着けると同時に足の裏に刺すような鋭い痛みが走り、顔を顰めてよろめいた。
さっと横から伸びてきた手に肩を支えられて転倒は免れた。子狼が心配そうにウロウロした。
「どうしたのだ。怪我を負ったのではあるまいな。よもやあの盗人共に・・・」
「違います。大丈夫です。ありがとうございました。ではこれで。」
走ったせいで足が痛い、など言えず騎士から体を離したが、しかし数歩歩いてすぐ苦痛に耐えきれず街灯に手をついた。
ああ情けない。
「どこが大丈夫なのだ!」
呆れたような声が届いた後いきなり膝の下を掬われると、身体が浮いていた。否、抱き上げられていた。
「ちょっと・・・!」
「歩けないのであろう。痩せ我慢するでない。家に送り届けてやる。」
間近に碧の瞳があってぎょっとした(それでも無表情)。こんなに近くで人の顔を見たのは何年ぶりか。
「結構です。馬車で来ましたから自分で帰れます。と言うかこの先に馬車があるのでそこまで送って頂けるとありがたいです。」
抑揚の少なく口早に言うと少し落胆したような顔をした(何故?)チェルシーは承知した、と言って歩いて20分も離れたところの本屋の前まで連れて行ってくれた。
素直に聞いてくれる辺り、本当に不思議だ。不思議で仕方ない。
御者台に乗り込んで床に足をつけるだけで痛みが生じるのに大丈夫かな?と思ったが今更前言を翻す訳にもいかない。第一チェルシーは仕事中であって、そこまでしてもらう義理もない。
チェルシーは手綱を取ったフィンを真面目な顔で見ている。
「真に大丈夫なのか。」
フィンは再びチェルシーを見た。直接的視線を受けてチェルシーが少し顔を赤くした。
「い、言いたいことでもあるなら申せば良かろう!」
「・・・あなたは・・」
ポツリと洩らしたフィンはしかし口を閉ざすと「何でもありません」と顔を逸らした。
「な、何なのだ!言い出したことは皆まで言わんか!」
フィンは更に顔を染めた青年騎士を静かに、翳りを帯びた眼差しで見やった。
そしてそれを宙に彷徨わせた後、絞り出すような声で呟いた。
「どうして・・・私に構うんですか。」
その問いにチェルシーは意図が掴めず眉根を寄せた。
「何を言いたいのだ?」
そう問うとフィンは常に無表情を纏っていた顔に、瞳に怒りともとれる激しい感情を宿して騎士を見た。
それに驚き息を呑んだチェルシーにフィンは叫んだ。
「どうして平気な顔してられるの!?本当はっ・・・あなたも私を醜いと思ってるんでしょ!?それとも同情?可哀想で哀れな人間だとでも思ってるの!?」
分からない。この騎士が。
嫌悪も侮蔑も押し付けがましい同情もいらない・・・
何故この騎士は、平気な顔をしてフィンを見れるのだ。本当は心の中では何を思っているのだ。
会ってからずっと表情ひとつ変えず、冷静で落ち着き払っていた少女の、仮面を取り払った下の表情に、暫し唖然としていたチェルシーは、ようやく、悟った。ひとつ息を吸ってから静かに語りかける。
「いつ、我輩がそのようなことをそなたに申したのだ。」
触れれば切れそうな空気を纏っているくせに、大きな傷痕を隠し持つ少女は泣きそうな顔をしていた。
人並みの感情を持っていたのだと、心のどこかで安堵する。
「・・・みんな、そう言う・・・」
怯え、怒り、警戒、闇を含んだ榛の瞳をチェルシーはしっかりと見た。彼女の感情を封じていた目は、その奥にある、大きな見えない傷を隠すためのものだったのだ。
「我輩が、そのような仁義に外れた考えを抱く卑怯者に見えると、そう申すのか。」
「・・・・・」
沈黙を是と受け取った騎士の憮然とした表情をフィンは虚ろな目で見た。
「確かに初はそなたの傷を見、無礼を致した。だが今我輩が見ているはその疵ではない、そなた自身だ。それは許されぬことなのか?
皆がそう告げたといって我輩もそなたを退けねばらなん所以は何処にあるのだ。」
それでも口を開きかけたフィンをチェルシーは手を挙げて制した。
「それ以上語るな。それを越えた言葉は騎士である我輩への侮辱と見なす。」
睨み付けるような強い眼差しを送る騎士はこれまで見た誰とも違かった。
フィンを見て眉を顰めた誰とも、違かった。
強いて言うなら、レイと本部の老師、その2人と同じで“フィン”を真っ直ぐ見ていた。
あの2人はどこか人間離れしたような雰囲気があるから、常人と異なる反応、それも有りかと思っていた。
でも、チェルシーは違う。ちょっとお堅い騎士でも、普通の人だ。カワセミ村やクスノキ村の親切な人さえ、それでもフィンをどこか遠慮したような態度だ。
なのに・・・
俯いたフィンの顔は長い前髪で表情が見えなかった。いつもは歳に似合わずしっかりした華奢な肩が、頼りなく、儚いものに見えた。
その負った傷を理解することは出来ない。チェルシーはフィンと同じ経験はないのだから願っても完全には不可能だ。
それでも、気にかけることは出来る。
暫く黙って亜麻色の頭を見ていたチェルシーはおむろに馬車に乗り込むと手綱を取った。
訝しげな顔をしたフィンに「やはり送って行ってやる。」と言うと馬に鞭を入れる。
がたり、と動き出した馬車にフィンが慌てたように言った。
「帰りはどうする気ですか。」
「おなごの心配する事ではない。婦人に礼を尽くすは騎士の務め。大人しく休んでいるが良い。」
真っ直ぐ前を見る実直そうな碧眼を無言で見つめた後、フィンは前を向くと膝を抱えた。
こっそり靴を脱いでスカートの下に隠した足をさする。
「サー。」
「何だ。」
「騎士が歩いて帰るって格好悪くないですか。」
思わず少女を見た騎士は、そこにいつも少女の表情を見つけ、ふ、と笑った。
「たまには良かろう。脚の鍛錬だ。」
「そうですか。」
淡々とした口調を取り戻したフィンはもう先のことには触れなかった。チェルシーも敢えてそれ以上議論するも機ではないと頭の中から閉め出した。
かぽかぽと輓馬の引く幌無しの荷馬車に揺られ無言で2人(と1匹)は目的地を目指した。
今日は甲冑では無く普通の騎士団の紺色の制服に身を包んだチェルシーが荷馬車を操る・・・似合わなすぎてフィンはこっそり笑った。
「そなた今我輩を見て笑っただろう!」
地獄耳か否か、バレてしまった。
「気のせいでしょう。」
涼しい顔で流すと悔しそうな顔をしてる。
それを見て今度こそ口の端上げて笑ったフィンの満面には程遠いが和んだ表情(注意しなければ分からないかもしれないくらい微々たるものだ)を見て、拍子抜けしたチェルシーはオホン、と咳払いをした。
「あー、そ、そなたはッ笑んでおれば・・・そのう・・・」
どもった青年騎士は、顔を赤くしながら小さく「か、可愛らしい、ぞ。」と呟いた。
「そんなに無理して誉めてくださる必要はありませんが。」
「無理などしておらんッ!」
柴犬ほどの大きさのメイリオを膝に乗せて(重いんだけど)柔らかい毛を撫でながら呆れて見やれば、怒ったような拗ねたような顔をされた。
「我輩に偽りなど忌むべきもの。我輩は真実しか語らん。」
「・・・・・。」
なんか調子狂うな。
向けられた真摯な眼差しに戸惑って、目を逸らした。クスノキ村を過ぎたから、後少しで着く。いやもう何か、早く着いて欲しいな。
と、
突然メイリオが暴れ出した。フィンの腕から逃れるように身を捩らせる。
「・・・メイリオ?」
「何事だ?」
フィンを見上げた、紫かかった青い瞳が何かを訴えるような、張り詰めたような真剣さを帯びていた。メイリオは妖魔だからなのか、普通の犬と違い、よく感情をその目に表す。
「メイリオ、どうしたの?」
フィンが困ったように尋ねると、落ち着きなく前方を見やり、またフィンの顔を見る、を繰り返す。
ますます分からず困惑するフィンを余所に今度はフィンの膝の上からチェルシーの方へジャンプすると、騎士の手袋を銜えて引っ張った。
「こら、何をするか!」
「メイリオ、やめなさい。」
フィンが咎めれば、やめるのだが、再びフィン、そしてチェルシーを見ると苛々したように後足で立ち上がったり前方を見たりする。
何故かそれに、胸騒ぎがした。
「メイリオ、この先に何かあるの?」
フィンが尋ねれば、一声鋭く吼えた。
眉を顰めたフィンは、次に耳に届いたものにバッと顔を上げた。
「何だ、あれは・・・!」
チェルシーの驚愕の声も届かず、フィンは硬直した。
見えてきたカワセミ村、そこに、在るものに。
「妖魔だ―――――!!逃げろ―――――!!」
メイリオが悲痛な目をフィンに向けた。
目の前が、真っ暗になった。
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