1-2-7 | 風の庵

1-2-7

<BACK   NEXT>



 何においても適当なレイにも2つだけ拘るものがあった。

 ひとつは本。

 読み始めると止まらない。完全マイワールド。
 その間、食事・睡眠等呼吸以外の生理的活動の一切を停止する。
 そして自分の本をフィンが触ろうとするとあからさまに、ものすごく嫌そうな顔をする。

 フィンがレイの部屋を掃除出来ないのはそう言う訳がある。

 ふたつめは刃物。

 包丁だろうと斧だろうと剣だろうと絶対に錆や刃毀れを許さない。
 以前刃毀れしたナイフで果物を剥いたら、一口食べて眉を顰めた後、何故刃物をきちんと研いでおかねばならないかについて刃物の歴史から始まり料理の味、また剣の役割にまで及んで延々と5時間も話を聞かされた。(殆ど聞き流していたのは言うまでもないが)ウンザリしたのであれから3ヶ月に1度家中の刃物を研ぎに出している。自分でやったりもしたが、レイは出来が気に入らなかったらしく、ベルデーナ地方で一番大きな街ブラーク(ここに騎士団支部もある)の鍛冶屋(ご丁寧に職人さんまでご指名と来た)に頼むよう命ぜられた。

 そんな訳でフィンは今ブラークの街中を小さな荷馬車で進んでいた。これはカワセミ村の良き隣人ヘレンから借りてきた。
 流石に幾つもの刃物を持って歩く訳にはいかない。第一重い。
 御者台のフィンの隣には数日前拾った妖狼の子がちょこんと座っている。
 メイリオと名付けた仔狼はどこに行くにもフィンの後を付いて回り、部屋に閉じ込めると悲愴な声で鳴いて訴えるので、心臓が持つ気がしなくて諦めて連れて回ることにした。仕事の邪魔はしないから良しとする。
 あれからたくさん食べてたった数日で二回り大きくなった仔狼は流石妖魔と言うべきか。抱っこするには重い。
 フィンに人懐こくレイに凶暴なのは相変わらず。最初は妖魔、と複雑だったが慣れるとそれも忘れるくらいなので敢えて思い出すこともないかと思う。
 危害を加えなければそれでいい。レイにだって近付かなければ牙は剥かない。フィンがたしなめれば止める。

 鍛冶屋の前で馬を止めるとフィンは荷台から麻袋を取り出した。ずしりと重い。

「ちょっと番をしててね。」

 メイリオは青い瞳を輝かせて頼もしく一声吠えた。
 そのまま馴染みの鍛冶屋に入ると、ムッとするような熱気を感じた。
 作業場の奥の炉の中で赤々と燃え盛る高温の炎が、薄暗い室内で汗をかきながら働く男たちを朱に照らしている。
 鎚を振るい剣身を鍛える甲高い金属音や熱せられた鉄塊を水に突っ込むジュッと言う音が響く。

 フィンは重い麻袋を抱え直してきょろきょろ周りを見回した。そんなフィンに気付いた職人の1人が手拭いで汗を拭いながらやって来た。

「何だ、お嬢ちゃん用でもあるのかい?」

 馴染みと言ってもフィンはここで、いつも頼んでいる職人以外と話したことは殆どない。もっとも1度でも話せば相手はフィンを覚える。見てくれが異様だからだ。
 この鍛冶屋の職人は親方がそうだからなのか、さっぱりしたいい人が多いからあまり構えなくていいのが有難い。
 この男は知らない人間だ。上半身裸の男の筋肉質な胸板は滝のような汗で光っていた。暑苦しいことこの上ない男に思わず一歩後退ったフィンは、本来の目的を思い出して口を開いた。

「あの、研師のロダンさんはいらっしゃいますか。」
「ロダン?ああ、アイツか。今ちっと届けもんに出てっとこだ。研ぎもんでもあるのか?」
「はい。」

 男は麻袋を見て「それか」と言うと、預かって後で渡してくれると言ったので、フィンは袋を渡して名前を伝え、礼を言って外へ出た。
 むんむんと暑い建物からさっさと退散したかったのもある。外へ出ると火照った肌に新鮮な空気が気持ち良かった。

 荷馬車の御者台へ上ると、待ってましたと言わんばかりにメイリオがパタパタ尻尾を降った。頭を撫ぜてから手綱を取って馬車を出した。
 次は食料品店へ行った。大概のものは自家栽培したり下の村で貰ったりしてやりくりしてるが、それでも手に入らないものもある。
 ブラークにはそう頻繁に来る訳ではないので来たときには必要物をまとめて買う。
 その次に本屋へ向かった。レイに頼まれた本を5冊購入した。ここも、何度も使いに来てるので店主は顔馴染みだ。

「毎度ありー」

 重い本を抱えて店を出た時メイリオの吠え声が聞こえて、見れば馬車の所に知らない男が3人いた。
 男たちが荷台の荷物に手を伸ばすのを見てピンときた。

――泥棒だ

「何か御用ですか。」

 鋭い一声にぎょっとした男らはさっきフィンが買った物の袋を掴むとダッと駆け出した。

「あっ・・・もう!」

 思わず声を上げたのはせっかく買った物を盗られたからばかりではない。その後を、馬車から矢のように飛び降りた白い塊が追いかけて行ったからだ。

「あれ!お客さん、泥棒かい?」

 店の中から目撃していたらしい、豊かな白い髭がチャームポイントの店主が出て来た。

 フィンは老人に本と馬車の番を頼むと、泥棒とメイリオの後を追って走った。
 考えれば馬車で追った方が速かったかもしれない。が、今更戻るのもひと手間だ。

 わんわんと通りに声を響かせ駆けて行く白い犬と、それに追いかけられ逃走して行く男が3人、更に遅れてそれを追う少女・・・通りを行く人々が振り返って何事かと見やった。

(ああ、目立つのは嫌いなのにっ・・・)

 走ると髪が乱れて隠していた傷痕が露になる。だから走るのは嫌いなのに。それに息も苦しくなるし。
 心の中で悪態を吐きつつ、どう考えても足はテキの方が上なので仕方なく人海戦術、とフィンは声を張り上げた。

「どろぼう――!!誰か捕まえて下さい!!」

 それを聞いた街の人が動いた。傍観している人もいるが助けてくれる人もいる。街の人間は冷たいとよく言うが、実際はなかなか捨てたものでもない。

 取り敢えず、ズボラな師匠に代わって節約して貯めた貴重なお金で買ったものだ。取り返さなくては夢見が悪い。

 通行人も「ドロボウだ」と口々に叫ぶ。
 余計注目を浴びる逃亡者は逃げ道が断たれていく。1人捕まった。別の2人は人を殴って逃げた。
 ここまで顔を見られたらもう諦めればいいのに、追い詰められた人間の心理と言うものは変な方へ作用するもので、無駄でも足掻こうする。

「ドロボウだとよ!」
「捕まえろ!!」


 フィンは固い石畳を走りすぎて足が痛くなり、息も苦しくて、立ち止まって膝に手をつくとゼエゼエと肩で息をした。

 周りの人間の視線が集まってくるのを感じた。途端に不快感が胸の奥底から湧いてきて気持ち悪くなる。

(う・・・だめ・・・)

 見て、る・・・?
 わたしを、見てるの?

 このキズの醜さヲ見テ・・・

――ミンナ ワタシ ヲ ワラッテ ルンダ

 ふっと頭に浮かんだ考えはむくむくと、夏の入道雲のようにどんどん膨らんで、脳内を侵食しようとした。
 フィンは眉を顰めて石畳を睨む。
 溢れる水のように湧き上がるした焦燥感――恐れ・・・嫌悪・・・

 見ないで・・・
 見ないで!

 走って、酸欠の頭は容易に冷静さを失った。
 視界がぐらぐら揺れた。冷たい灰色の地面に手をついた。

「お、おい。アンタ大丈夫か?」

 誰かが何か言ってるけどぐるぐる回ってる頭は言葉の意味を解析できなかった。
 混乱に狂った脳は不愉快な記憶を呼び起こす。嫌な、映像を。

『見てよ、あの醜いアレ。まるで化け物じゃない?』
『よく平気で歩いてられること。神経疑うわね。』

 フィンを見て誰もが眉を顰めて露骨に不快を表すか、嘲笑を浮かべた。

『公害だな・・・目が腐る。』
『ああ、気分悪い!誰だあんなモノを呼んだのは・・・』


 違う違う違う・・・



 私は何も怖くない・・・!


 何も聞こえない!



――いや、見ないで!

――わたしに構わないで・・・!!



 走れば、走れば、この場から逃げられる。
 視線から逃げられる。
 でも走れば傷痕が露出する。でも・・・




 フラフラ立ち上がって駆け出そうとした時、踵に鋭い痛みが走ってまた地面に膝を着いた。

 足が痛くなる。息も続かない。
 自分の体力の無さを呪った時、

盗みに手を染め、仁義に逆らう不逞の輩は貴様らか―!!

 恥を知れ――――!!!

 遠くから耳に残る大音量が響いた。聞き覚えのあるそれは、鼓膜を震わせて脳内に伝達され、フィンの思考を現実へと引き戻した。
フィンは瞠目して、呆然と通りの向こうを見た。
 遠くに盗人に向かって行く金色の頭が見えた。

街の平和を乱す不心得者共、

 このチェルシー・ロクサス・アルバドレイが成敗してくれるわ――!!


 急に体から力が抜け、その場にペタンと座り込んだ。

 不思議なくらい心が落ち着きを取り戻していた。


 なんでだろう。

 あの大声を聞いたら、何だか一気にみんな、馬鹿馬鹿しくなったかも。



 フィンは妙に安堵している自分が可笑しくて、小さく笑った。





<BACK   NEXT>