1-2-2 | 風の庵

1-2-2

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 チェルシー・ロクサス・アルバドレイはフィンを追うべきか否か迷って腰を浮かせたままだった。

 大人びた口調の物怖じしない、悪く言えば生意気な少女は、昨日もそうだが沈着冷静で淡々とした言葉の時々に闇を含むような暗さがあった。

 元来頭よりは体を使う方を得手とするチェルシーは昨日も、考えるより先にの原理で失言をし、その折に傷負いの少女が垣間見せた動揺から余程の経験をしたのだろう、と思った。
 あの傷である。人を見かけのみで評価することはフェアではないし、また身分の貴賤に関わらず公平であることが己の職務全うには必要であると考えているチェルシーでさえ、驚くほどの傷痕だった。
 しかしそれ以上のことに思案を巡らせられるほど彼は切れ者ではない。よって理解は出来ない。

 元々は美人の範疇に入ると思われる造作は、左半分を容赦なく縦断する3本の細長い傷痕により大幅にその価値が損なわれていた。加えてあの能面の如し無表情。
 女は顔が命だ、と昔従妹が言っていた気がする。

 あの無表情のせいで(実質は他者を警戒しているせいなのだが)近寄りがたさを感じるが、無口と言うわけでもなくむしろ口は達者な娘だ。
 そう言えば昨日1度微笑んだ時はそれなりに可愛く・・・・・ではなく!

 恐らく、彼女は「無害」だと思われる。態度はともかく割合思考はまともな方だろう。

 問題はもう1人・・・

「おや、こんにちはー。」

 やや間延びした耳辺りよい穏やかな声が後ろから飛んできた。

 ぎょっとしたチェルシーはさっと振り向き戦闘態勢に入った。

「むッ、貴様!出たなッいかがわしい妖術師め!!」

 こやつ、気配が無かった・・・!

 チェルシーとてそれなりに場数を踏んだ軍人である。気配には敏感だ。
 だが、この魔術師が声をかけるまで近付いてきたことすら気付かなかったのだ。

 警戒心丸出しで怒鳴る騎士に動じる風もなく、いつ現れたのかも怪しい<昼行灯>レイは、人の好い笑顔を貼り付かせたまますすす、とヤカンに近付きコップにお茶を注ぎ始めた。

「くおらッ!!無視をするでない!この無礼者―――――!!!」

 ぐいーっとイッキ飲みした金髪(鳥の巣は変わらず)の魔術師はのほほんとした笑顔で「まあまあ」と宥めた。

「さてさて・・・あれ、うちのフィンを知りませんかねえ?いつもならすぐ来るはずなのですが・・・」

 ふと気付いたようにレイはきょろきょろし始めた。

 チェルシーは少し気まずく思いつつ、それでも律儀に「外へ行ったぞ。」と告げた。
 レイは「おや、そうですかー」と言い、チェルシーに「ま、どうぞお座り下さい。」と椅子を示した。

 弟子からただの場所塞ぎ人間呼ばわりされているレイも一応それくらいは普通に気を利かせられるらしい。
 これでも一応それなりに歳月を生きてきた大人である。やって出来ないことはないのである。

「昨日はすみませんでしたね。今日もわざわざお待ち頂いたようで・・・」
「だっ誰が貴様のような怪しい輩を待ったりなどするかっ!!このような人気のない処にか弱き婦人が1人でいるのは危ぶまれるため念の為様子を見に来たのだ!」

 何か違う。まあ、アレだ。俗に言う照れ隠しだ。いやそれも少し違うか。

 唾を撒き散らし怒鳴るチェルシーにレイはにっこり笑った。魔術師は元々が美形なためチェルシーは一瞬固まり、そしてすぐに僅かでも―それも同性だと言うのに―見惚れた自身を強く恥じた。

「あの子を気にかけて下さったんですね。ありがとうございます。
私も出来るだけ早く帰るようにはしていますがいくらしっかりしているとはいえ、流石に1人きりにするのは心配なものでして。でもチェルシーさんが来て下さったなら安心です。」

 穏やかな菫色の目を和ませて素直に感謝されチェルシーは怯んだ。

「だっ・・・ぜ、善人ぶって騙そうとしても無駄だぞ!貴様の妖術などこのチェルシー・ロクサス・アルバドレイには通用せんからな!!」
「いえいえ、本当に。あの子はご覧の通りですし、大丈夫そうに見えてまだまだ不安定です。
この辺の人でも今だに偏見を持ってフィンを見る人がいますから、これからも気にかけて頂けると助かります。」

 な、何だ、まともな事を言うではないか!とチェルシーは脳内で叫んだ。
 これでは普通に家族もとい弟子の心配をする良い師匠ではないか。

 ちょいと予想に反してびっくりタジタジ困っちゃう。おや、もしかすると実はいい人か?いやいや、見てくれに騙されてはならないぞっ!と忙しく思念が駆け巡って行ったり行かなかったり。


「・・・昨日も子どもに石を投げられていたぞ。」

 すると端正で柔和な魔術師の顔が一瞬、ほんの一瞬だけ険しくなった。そして小さく息をつく。

「とっとにかく貴様はここから出て行くが良い!!怪しい魔術師め!」

 少々言い分に無理があるのも感じ勢いをなくしつつも、お決まりの攻撃を放つ。

「いやあ、そうも行かないんですよねー・・・私だけならいいんですが・・・」

 あくまでもマイペースな魔術師は大きく伸びをして頭の後ろで手を組んだ。

「フィンがいるのでね、新しい土地へ行くわけには行かないんですよ。」
「私が、何か?」

 裏口から相変わらず無表情のフィンが入ってきた。先に出ていった時に浮かんでいた陰は引っ込んでいる。手に小さなスミレの花を持っていた。

「フィン、ただいま帰りましたよ。スミレですか、いいですね。」

 レイがにこやかに挨拶すると、フィンは師匠の頭の天辺から爪先まで見、眉をしかめた。

「おかえりなさい、師匠。ところで新しいローブを出して置きましたからそのボロいの脱いで下さい。後で繕っておきますから。頭もちゃんととかしてください。だらしないです。」

 ぴしゃりと言われ、レイは「はいはい・・・」と笑った。
 全く堪えてないようだ。フィンの顔が僅かに引き攣った。

 チェルシーは2人を見比べて妙に納得した。
 確かに恋人同士の甘やかな雰囲気ではなく、兄妹のような様子だった。


 フィンは深いはしばみ色の目をチェルシーに向けると、「まだいらっしゃったんですか」と無愛想な口調で言った。

 チェルシーは真っ赤になって立ち上がると、「今日のところはこれで勘弁しておいてやるッ!」とレイに捨て台詞を吐き、言われたレイは「はい、また今度。」と笑顔でひらひら手を振った。


 金髪の騎士が出ていくと、レイは「何だか面倒臭いことになりましたねえ。」と呟いた。

 いつもの台詞にもはや呆れてやる気さえもない弟子は適当に聞き流した。
 面倒臭い事態なのは事実だが。

 明日もまた来たら煩いな。
 そんなことを思う。でも多分来るだろうと思った。

 五月蝿いが、初めより悪印象を持っていない自分がいる。可笑しいな、まだ会って2日だと言うのに。



 スミレを小さな硝子瓶に挿しと卓上に飾ったフィンは、「お腹すいた~」とボヤく師匠にため息をついて、昼の残りを出してやった。

 うまうま、と子どものようににこにこしながら食す師匠を冷めた目で観察・・・否、監視する。食べこぼしに服やテーブルを汚されないよう注意するためである。

「本部で食べてこなかったんですか。」

 蜂蜜を塗ったパンケーキにかぶり付いていたレイはきょとん、とするともぐもぐしながら言った。

「ふぁえふぁんへふへろ、ふぁっふぇり・・・」
「食べるか喋るかどちらかにして下さい。行儀が悪いです。」

 冷ややかな弟子の言葉に師匠は喋るのをやめて取り敢えず飲み込むことに専念した。

「・・・ふう。ええと、食べたんですけど、やっぱり家のゴハンが一番じゃないですか。フィンの料理は本部の食堂より美味しいですよ。」
「我儘言わないで下さい。食べられるだけ幸せだと思って下さい。それに本部の料理人の方に失礼です。」

 にこやかに誉めたてても表情を変えない弟子に叱られてお師匠様はちょっと悲しそうだ。

 あまり苛めると後で拗ねて面倒なため(ああ、この辺の思考が誰かに似てきて不快だ)デザートにタルトの残りを出してやると大喜びしていた。

 ふ、他愛ない。



 食器を下げた時、フィンは台所テーブルの上に見覚えのない皮の手袋が一組あるのに気付いた。

「おや、チェルシーさんの忘れ物でしょうかね。」

 レイが手を伸ばして手袋を調べた。
 上質の牛革の使い込まれたそれはC・L・Aとイニシャルが入っていた。

「騎士に手袋は欠かせないものですが、余程忙しいでいたんでしょうかねー」
「届けてきます。」

 フィンが申し出るとレイは少し驚いた目で見た。

「師匠が行ったら揉めるでしょうから。」

 フィンの言葉に苦笑する。

「人の多いところは苦手じゃなかったんですか・・・ま、いい心がけですね。
騎士団支部は歩いて行ったら半日かかります。送ってあげましょう。」

 場所、知ってるのか。


 フィンの心の呟きに気付かないレイはにこにこして立ち上がると、おもむろに空中から杖を取り出した。




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