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次の日の朝、フィンは軽い朝食を摂ってから、欠伸を噛み殺しつつ日課である牛の搾乳と家畜たちの餌やり、小屋の掃除を済ませた。
髪が邪魔なので今日はカワセミ村のヘレンがくれたリボンでひとくくりにまとめていた。
日が大分昇り、辺りが午前の爽やかな陽光に照らされ、金色の光が落ちて草木が萌黄色に輝く頃。
畑に水をやっていると馬の蹄の音がした。続いてうんざりする大音量。
「妖術師はいるか―――――――!!!」
フィンは水桶と柄杓を置いて、館の裏から玄関へ回った。そしてそこにはやはり昨日の騎士、チェルシー・ロクサス・アルバドレイがいて、フィンを見つけると口を開きかけたのでその前に先手を打つ。
「残念ながら師匠はまだ帰っていません。昼には戻ると思われます。朝っぱらから仕事熱心で素晴らしいものですね。」
抑揚のあまりない声で無表情で淀みなく一気にそう言うと金髪碧眼の騎士は少し嫌そうな顔をした。
ふ、わざとに決まっているだろう。
「何!?昼だと?己、このチェルシー・ロクサス・アルバドレイを待たせるとは―――!!」
フィンはやっぱり無表情にため息をつくと、腰に手を当てた。
「私も忙しいのでこれで失礼します。」
仕事の客でもなければ世話になっている村人でもない。わざわざこの騎士の為に貴重な朝の時間を無駄にする気はない。
「待て!どこへ行く!」
畑へ戻ろうとすると追って来た。フィンは振り返った。ごく近い距離まで来た騎士は立ち止まり息を呑んだ。
まじまじと見つめられて、ああ、と思い出すとフィンはリボンを取り、左半分を隠した。
「や、別にそなたの傷に驚いた訳ではない、ぞ!」
「痩せ我慢しなくていいですよ。見て楽しいものではないですから。気持ち悪ければそう仰って下さい。本当のことですから。」
無感動に言い置いてフィンは水桶の水を柄杓で畑に撒いた。青年騎士は複雑そうな顔でフィンの手元を見ていた。
「・・・呪い師は農作業もするものなのか。」
柵に手を置いて騎士が呟いた。
「私は見習いです。」
まだ術のひとつも使えないが。
「私たちは霞を食べて生きている訳ではありませんから、普通の村人と同じ生活をしています。もっとも高貴な騎士様にとっては賎しい仕事でしょうけど。」
「そのようなことは言っておらんぞ。」
憮然とチェルシーは言った。口調がアレなので年寄り臭いが、拗ねたように不機嫌な様子は少し彼を年相応に若く見せた。
フィンは井戸の側に桶を置き、騎士を押し退けて柵の戸を閉めた。
「我々貴族とてやはり農作業の賜物である食物を食すのだ。人の命を長らえさせる仕事が賎しい筈がなかろう。」
フィンは驚いて(それでも悲しいことに表情には表れないのだが)傍らに立つ青年を見上げた。改めて見ると師匠と大して変わらないくらい背が高い。いや師匠の方がデカイか。そんなことはどうでもいいのだが。
「な、何だ。」
人形の如く感情のない目にじいっと見つめられて騎士は狼狽えたようだ。
「いいえ、別に。ただ、そんなことを言う貴族もいるのかと驚いただけで・・・」
そして少し考えてから、提案する。
「私はこれから昼食ですが、あなたも食べますか?」
「いや、我輩は・・・・・いや、頂こう。」
パンケーキを焼いて自家製バターと蜂蜜、ジャムつけて食べた。鍋に残っていたスープとクランベリーソースをかけた兎肉の燻製、サラダも出す。
遠慮はいらないと言ったら、チェルシーはパンケーキを6枚平らげた。まあ、相手は体育会系だし、これくらい見かけに反して大食らいな師匠と大して変わらないので驚くに値しない。
「うむ、馳走になった。」
昨日は世話になるは恥だとか言っていたような気がしたな、と思いつつお茶のおかわりをカップに注ぐ。大方、フィンに同情して気を許したとかそんな所だろうが、実に意味不明な騎士だ。レイといい勝負かもしれない。
「サー・アルバドレイはお幾つなんですか?」
「・・・今年25になった。」
25か。それで支部長とはなかなかの出世ではないのか。
「しかし・・・こうして見れば呪い師の塒と言うのも普通であるな。」
「どういう意味ですか。」
「もっとこう・・・」
「天井から怪しい植物がぶら下がっていたり、壁に怪しい骨が並べてあったり怪しい薬を似ていたり、とか?」
「うむうっ・・・」
馬鹿馬鹿しい、とフィンは呟いた。変な児童書の読みすぎではないか。
カップを手に金髪の騎士は俯いて赤くなった。そして咳払いをすると顔を上げ、打って変わって大真面目な顔で言った。
「他の処へ行こうとは思わぬのか。何故このような処で妖術師の弟子など物好きなことをするのだ。
街へ行けばもう幾らかまともの仕事があろう。そなたほどの年になれば・・・」
「昨日私が言ったこと聞いてましたか?他に行くところはありません。それと妖術師ではなく魔術師です。
物好きで悪かったですね。でも私のこの顔で一体どんな仕事があると言うのか是非ともお教え頂きたい限りです。嫁の貰い手すらありませんよ。」
チェルシーは、う。と言って一瞬黙ったが、ぼそぼそと続けた。
「・・・傷が見えなければなかなか悪くない顔だと思うが。」
「慰めは必要ありません。」
一瞬動きが止まり、感情の籠らない声で返すと、チェルシーは困った顔をし、そして声を潜めて切り出した。
「他の村や町で流れる噂を知っているか。」
フィンは少し考えて首を横に振った。そもそも不必要な人付き合いはしない為噂など耳にすることもそうそうない。
「そなたと、そなたの師匠の間柄を・・・その・・・まことに師弟なのかと。」
フィンは紅茶を一口飲んで首をを傾げた。
成る程、確かに師弟らしくない。どちらかと言うと頼りない家主とその使用人もしくは秘書(身分ある人の仕事の手伝いや身辺の世話をするのだと聞いたことがある)と言うような感じだ。
しかし金髪の騎士は顔を赤くしながら言った。
「顔のいい年齢、出身不詳の男とうら若い乙女が、2人きりでいる、と・・・その・・・」
フィンは危うく口に含んでいた茶を噴きそうになった。何とか苦労して嚥下する。
「私と師匠が恋仲だとでも?」
「あー・・・恋仲、と申すか・・・いや、まあそのようなところだ。」
「馬鹿馬鹿しすぎて笑う気力も起きませんね。」
騎士の何か言いたげな目付きにムっとした。フィンは食器を下げた。
「そんな甲斐性が師匠にあった私は何にも苦労しませんね。毎日食事をしたかどうかとか服は着替えたかとか、毎朝いちいち叩き起こしたりとか素晴らしいまでに荒らしてくれた書類や本の整理とか、仕事はちゃんとやったかとか家の管理とか、何から何まで監督しなくていいんでしょうね。
食事時に部屋から引きずり出される時以外は自室に朝から晩まで引き篭って自分の世界に浸っているような人間ですよ。色気なんか欠片さえないし、まるで私は出来の悪い弟を世話するか老人介護してる気分で毎日過ごしていますよ、サー・アルバドレイ?」
一気にそう言うと腰に手を当てて冷ややかにチェルシーを見下ろしてやった。呆気にとられたようにこちらを見ている。
「全くもって有り得ないですし、下らないです。」
「ううむ・・・」
「それにアレは見た目通りの歳ではないと思われます。倍は年食ってるんじゃないですか。」
「ば、倍だと?化け物か・・・!」
「魔術師は皆そう言うものらしいです。本部のお偉方には数百才の人もいるそうですから。そう言う人から見たら私なんてヒヨコ同然じゃないんですか。」
「むう・・・そう言うものか・・・」
フィンは少し窓の外に視線を移して呟いた。
「師匠は・・・恋愛対象とかそう言うものよりは・・・兄とか、親とか、家族のようなものです。」
手がかかる自己管理能力ゼロの魔術師に自分が持ってる感情はきっとそう言うものだ。
それに・・・
「あなたもそう思うでしょう。私のような人間に本気で好意を持つ人間がいると思いますか。こんな醜い人間に。それこそ太陽が西から昇るのと同じことです。」
自嘲気味に言い放った。
この廃れた心に、恋愛?
無理だ。到底無理だ。
心から人を信じられないのに
心から自分を好きになれないのに
果たして他人を愛するなど出来るのか
「・・・確かに多少外的要素も要因のひとつとはなろうが・・・人が人を愛するのは最終的にその心ではないのか?」
返してきたチェルシーは大真面目な顔でそう言った。
「・・・意外にロマンチストですか?」
「な、何おうッ!!」
思わず中腰になった騎士に囁くように告げる。
「・・・大丈夫、私は心も醜いから。」
そのまま踵を返して裏口から外に出た。
私は外も内も醜いから
誰も私を好きになるわけがないから
リー・・・リュミエールと違って私は狡いし臆病で
―――醜い
ずんずん歩きながら自分に言い聞かせるように頭の中で繰り返し呟く。
わすれないように深くナイフを突き刺しなおす。
そうしないと、何かが自分に起きそうで、怖かった。