1-1-7
「着いたぞ!」
クスノキ村にはあっという間に着いた。やはり馬は便利だ。慣れなくてお尻が痛いが。明日筋肉痛になりそうだ。村人が目を丸くしてフィンと騎士を見ていた。
フィンがこの高い位置からどうやって降りるのかと考えていると、先に難なく下馬した騎士が腕を伸ばして抱き下ろしてくれた。
初めて騎士らしく見えた。ただ大声で喚いて威張るだけではないらしい。少し見直して礼を言った。
「少し待ってて下さい。」
フィンは幾つかの家を回り、掛代金の代わりに物を貰うと、再びチェルシーのところへ向かった。
その時村の子どもが数人通りかかって、フィンを見ると石を投げてきた。
「見ろよーまたあいつだぜ!」
「顔にすっげえ痕があんだってよ!」
「きったねえー!」
いちいち反撃するのも馬鹿らしい。
フィンは顔を背けて騎士の方へ歩いた。すると、肩に投げられた石のひとつがぶつかった。小さめの石ころとは言え、当たれば相当痛い。
「ッつ…!」
肩を押さえて思わず振り返って子どもらを見、顔をしかめた。
「うわ、こっえー」
「おい、呪い殺されちまうぜ!」
誰が・・・と心の中で呆れる。
それを目撃していた騎士が眉をひそめて子どもらを睨んでいる。文句言い出しかねない様子に勘弁してくれ、と思った。
顔を馬鹿にされるのは慣れている、そう自分に言い聞かせる。
一々騒ぎ立てることではないのだ。
その時恰幅の良い中年の女がやって来て、子どもらの頭をぽかりと叩いた。
「いってーおばちゃん何すんだよー」
「お黙り!ワルガキども。後で親に言いつけてやるから覚悟おし!」
げ、とガキんちょたちの顔が強張った。
「マリエラさん・・・いいんですよ。」
「いいものかい。全く、あんたは悪くないんだからちゃんと怒ってやらなきゃ子どもらのためになんないんだからね。」
カワセミ村の人もクスノキ村の人も基本的にいい人たちだ。
それは田舎特有ののんびりした気質と、レイの評判のお陰でもある。
このマリエラと言うおばさんもフィンにも良くしてくれる人だ。
大抵の人はフィンにも好意的だが、勿論気味悪がったり軽蔑する人もいる。
でもそれは仕方ないことなのだ。
フィンの傷痕は大きくてとても醜い。
見る人を不快にさせる。
だから、仕方ないのだ。
「今日はウチに寄っていかないのかい?夕飯をご馳走するよ。」
フィンは首を振った。
「また今度お願いします。今日は師匠がいないので留守番しなければなりません。」
「そうかい・・・そっちの兄さんは何だい?見かけない顔だね。」
「我輩はチェルシー・ロクサス・アルバドレイ!!フェルディナントⅡ世国王陛下の・・・!」
「国王の騎士様だそうです。ベルデーナの平和と安全の為に汗水垂らして働いて下さっているそうです。」
五月蝿い騎士を遮って簡潔にまとめた。マリエラはぷっと笑うとよろしく、と言った。
「娘!人の話を遮るとは無礼極まりな」
「それは失礼致しました。さあ参りましょうか、サー・アルバドレイ。」
無表情にさっさと言うとチェルシーは顔を赤くしたが、黙ってフィンの騎乗を助けた。
チェルシーの前に籠を抱えて横座りに乗る。
速歩で20分ほどで館に着いた。約束なのでフィンは無言でチェルシーを招き入れた。レイはもう発ったはず。
まず台所に行き荷物を片付ける。その後食堂から玄関を見ると、チェルシーが玄関ホールできょろきょろしていた。
フィンはスカートの乱れを直しつつホールに向かった。
「荒屋(あばらや)へようこそ、サー・アルバドレイ。」
嫌味を込めて言うと(無表情だとその効果が更に増すことは実験済み)、チェルシーは顔を赤くした。
「う・・・いや、その」
荒屋どころか、古くとも手入れされた館は普通に貴族の別荘と言っても通用する。無論某人の使用する一室を除いてだが。
フィンはさて、と思い、騎士の顔を見、次いでその視線の先を見、固まった。
階段から<だらしなさは天下一品>魔術師レイその人が降りてくるところだった。
レイは金髪の騎士に気付き、少し驚いたように眉を上げた。フィンは呆れて呟いた。
「まだいたんですか・・・」
「いえ、ちょっと忘れ物をして。ところで、どちら様ですか?」
レイは報告書をぴらぴらと振って見せた。
封筒に入れろよ、と思う。
「我輩はチェルシー・ロクサス・アルバドレイ!!フェルディナントⅡ世陛下の命により王国また人民に悪影響を及ぼしかねない者共を排除すべく参った!!貴様がルエンの妖術師かッ!!」
―――ちなみにルエンとはこの館のある地帯の地名だ。
唾を撒き散らさん勢いで叫ぶ青年にレイはにこにこと言った。
「おやおや、それはご苦労さまです。私は魔術師レイです。
せっかくお越し頂いたのに申し訳ないですが、これからちょっと1日出張なんですよ。
お話は帰ってからゆっくりお聞きしましょう。では、これで失礼・・・」
「待て!!逃げる気か貴様ッ!!」
レイは悠々と階段を下りてフィンに挨拶すると、叫びたてる騎士に目もくれず玄関を出て行った。チェルシーは後を追ったが、しばらくして顔を真っ赤にして戻って来た。
「奴はどこだ!!」
「飛んで行ったんでしょう。サー、お茶はいかがです。」
「ムッ!いかがわしい妖術師の家で出されるものなど口にできるか!!」
ムっとしたが顔には出さず、フィンはさっさと玄関戸を開けて外を指す。
「では、どうぞお帰り下さい。師匠は出かけましたし家も確かめました。もう用はお済みでしょう。」
「いや!まだ館を調べるうちは帰れん!もしかすれば妖術師の悪行の証拠を見出だせるやもしれん!」
悪行?あの部屋を天才的なまでに荒らしてくれていることだろうか?
と言うかまだ居座る気か。
フィンは頭を抱えたくなった。
顔に手を当てた時、前髪が乱れて顔の左側が露になった。騎士の視線に気付いてすぐ直したが、ばっちり目撃したチェルシーは目を見開くとフィンの顔を指差した。
「な、何だソレはッ!!怪しい傷痕、さてはお前も何か怪しい所業を隠しているのではないか!?」
ああ、馬鹿だ。この男は予想以上に馬鹿だ。
お粗末な想像力にかかると傷痕ひとつで(ひとつではないが)悪事を働いたことになるらしい。
心の中で分析して色々突っ込んでると笑い事に思えてくるものだ。
―――そうでもしないと・・・
「・・・・・」
「さては図星かッ!」
ああ・・・どうして胸が苦しいのかな。
こんなのはいつもと同じ、皆と同じ反応。
慣れてる、そうでしょう?
そうだ、大抵の人間は、フィンの傷痕を見ると態度を変えるのだ。
何も驚くことではない。
期待などハナからすべきではない――すべきでは、なかったのだ。
何で目の奥が熱いのかな。
何を思ってた?この騎士なら違うとでも思った?
期待、した?
―――馬鹿だな
「・・・・」
頬を伝うこれは何?
―――ああそうだ、これは・・・涙、だ。
「なっ、何も泣くことはなかろう!」
静かに涙を溢した少女に騎士は先とは打って変わってあからさまに狼狽えた。
「・・・・・」
「い、いやっ・・・その、言い過ぎた!ゆ、故に泣くなと言うのに!」
声を発したら嗚咽が洩れそうで、フィンは涙を荒く拭って台所に避難した。ドアを閉じてもたれかかる。
ああ、ムカつく。
愚かな希望を持った自分が。
そのまま涙に濡れた目が乾くのを待っていると、コンコンとノックがされた。
開けると少し上方にチェルシーの顔があった。
真面目腐った顔で騎士は詫びた。
「あー、その、悪かったっ!だが・・・いや、その、我輩としたことが、婦人に取るべき態度ではなかったっ!つい気が・・・いや言い訳はすまい!非礼を詫びるっ!!」
騎士の真っ直ぐな碧眼を見上げていたフィンはしばしの沈黙の後に言った。
「あなたは・・・嘘つけないほうでしょう。」
無表情に断じた短髪の少女にチェルシーは、うっと詰まった。
どうぞ、と勧められ今度は素直に椅子に掛けた。甲冑がガチャガチャと音を立てた。
フィンは黙ってお湯を沸かした。
沈黙に耐えかねて金髪の騎士は口を開いた。
「そなた・・・フィン、と言ったか。年はいくつなのだ。」
「女性に年齢を訊くなと教わらなかったんですか。」
「む。」
先のお返しにわざと厭味たらしく言ってやった。ただの冗談だが。一々根に持っていたら身が持たない。
「17です。12の時からここにいます。4年半になります。」
「何故そなたのような娘がこのような所にいるのだ。よもやあの妖術使いに拐われ」
「他に、行くところがないからです。」
フィンは手を止めて、騎士の目を見た。実直そうな碧の眼の持ち主はきっと融通も利かないに違いない。
「12の時に故郷が妖魔に襲われて家族は皆死にました。この傷はその時のものです。
この顔のせいで誰も私を受け入れなかった。・・・師匠以外は。」
まるで天気の話をするかのようにフィンは淡々と告げる。
はっと息を呑んだ騎士をフィンは静かに見つめた。
「確かに師匠は怪しいですが、悪人ではありません。ですから信憑性の疑われる噂などの為に師匠を誹謗するのはお止め頂きたい。彼は普通の魔術師です。」
何を以てして普通と言うのかは知らないが。
フィンはお茶を淹れて出した。「ハーブティです。毒は入れてませんよ。」と無表情に付け加える。
チェルシーは少し顔を引き攣らせたが、暫く鶯色の茶を見つめた後、意を決したように飲んだ。
そして驚いたように「うまいな」と呟く。
フィンは思わずくす、と笑った。騎士が驚いたようにフィンを見た。
「何だ、笑えるのではないか。」
フィンはすぐ元の無表情に戻っていた。
冷たいハシバミの瞳を向けて「誰も笑ってなどいません。」と言うと騎士は納得が行かないような顔をして黙った。
「それで、いつお帰り頂けるんでしょうか。夕飯も召し上がりますか。」
「まさか!!妖術師の家で世話になるなど、そのような失態を犯せるか!!」
「そうですか。」
茶は良くて食事は駄目なのか。よく分からない基準だ。
騎士はさっと立ち上がり「馳走になった!」と言うと甲冑をがちゃがちゃ言わせながら帰って行った。
「変な人だこと。」
眉をしかめる。もしかして明日も来るのだろうか。来なきゃいいのに。
一人夕飯を済ませたフィンは3階の自室からテラスに出た。
満天の星空に薄く三日月が浮いている。
瞬く光が無数に散る吸い込まれそうな夜空に、フィンは暫し見惚れた。
今日はレイもいないから、と母に教わった歌を口ずさむ。
愛する人に 見せたいものがある
月のない夜 星屑の街
君の手をとり 輝く星の中歩いてみたい
いつか見たあの笑顔 今どうかまた見せておくれ
愛しいその横顔には 優しい口づけを
遠く故郷で待つ君の元へ 今帰るよ
星の瞬きよりも美しく
どんな花より愛しい君に
星屑のカケラを おみやげに…
こういう1人の夜は、孤独を強く感じてしまう。
歌っているうちに昔幸せだった頃を思い出して涙が溢れてきた。
どんなに願っても、もうあの日々は戻ってこない。
なくしたものは二度と元には戻らない。
1人星空の下 顔を覆って泣いた。