1-2-3 | 風の庵

1-2-3

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 フィンは驚いて師匠を見た。

 実は今まで師匠が魔法を使うのを実際に見たことが無かった。4年もいると言うのに。


 レイは台所の床にあっという間に魔法陣を描き、フィンを手招きした。
 フィンはエプロンを取り、手袋を持って淡く金色に光る陣の真ん中に立った。緊張して心拍数が上がる。


 レイは不安そうな弟子に微笑みかけて「行ってらっしゃい」と一言言った。
 その瞬間魔法陣は目映いばかりの光を放って、フィンは思わず目をつぶった。
 少し平衡感覚が乱れ、足元がふらっとして転びそうになり慌てて目を開け・・・息を呑んだ。



 フィンは慣れ親しんだ台所ではなく、街の中に立っていた。
 ここどこ・・・と思い、すぐ騎士団の支部と思い至る。

 灰色の石造りの三階建ての建物は周囲をフィンよりずっと背の高い壁に囲まれていて、小規模な城館のようだ。敷地内をチェルシーと同じような恰好の男たちが歩いていた。
 正門の左右には赤い上衣の騎士が4人、鉄棒を持って立っていた。

 暫くぼーっと門の前で突っ立っていると、後ろから蹄の音がして、「何をしている!邪魔だ!」と怒鳴られた。慌てて横に飛び退くと、その騎士はフィンを馬上から睨み付けて門の中へと入って行った。

 気を取り直して、手袋を握りしめるとフィンは門兵に近付いた。

「すみませんが、チェルシー・ロクサス・アルバドレイと言う人はいますか。」

 鳶色の髪の門兵が胡散臭そうにフィンを見下ろした。

「お前は誰だ。支部長に何の用だ。」

 そう言えば忘れていたがあの騎士は支部長などと言う大層なご身分だった。
 他の門兵がフィンを見て眉をひそめたり、何か言いたげに目で合図し合っていたのは見えなかった振りをした。

「私はフィンと申します。支部長殿の手袋を届けに来ました。」

 門兵たちは顔を見合わせ、先に話した1人が手袋を確認した。

「確かに支部長のものだ。支部長は今ご不在だ。これは我々が預か」
「やあやあ、一体門の前でどうしたんだい、アーサーにヘンリーたち?」

 門兵の言葉を遮るかのように右の方から陽気な声と共に騎士が近付いてきた。
 鹿毛に跨がる明るい茶髪に碧の目の男がすぐ側までやって来ると、門兵たちは居住まいを正して敬礼した。

「ルーレックス副支部長!」

 ルーレックスと呼ばれた男はそれに軽く手を挙げて応え、ひらりと馬から降りると、フィンを見、目を丸くした。



 ああ、どうせまたいつもの反応だろう。
 この門兵たちのように嫌な顔をして気持ち悪がられ、最後は罵られ追い払われるのだ。きっとそうなのだ。

―――大丈夫、慣れてる。平気だ。


 フィンが来たるべきものに身構えていると、ルーレックスはフィンの方へつかつかとやって来ると突然、フィンの手を取りそれは優雅にフィンの足元に跪き・・・・・手の甲に接吻した。


 一瞬、本気で、本当に、思考が停止した。



 男、ルーレックスは緑の目をきらきらと輝かせていた。色男に分類されるだろう、甘いマスクの男だった。そして――・・・

「おお、麗しのレディ。このような処で貴女のように可憐な乙女に出会えた今日と言う日は何と素晴らしきものなのだろうか!天よ、このルーレックス・ヴァン・ロークベルン、感謝致します。ああ、その澄んだはしばみの瞳、知性と――」
ル―――――レックスッッ!!!

 淀みなく流れる美辞麗句にフリーズしていた脳は、聞き覚えのある大音量によって思考を取り戻した。

 フィンは今だに自分の手を取ったままの男のツムジを見下ろした。


 ・・・・・・・・何。


「ルーレックス・ヴァン・ロークベルン!!貴様このような所でまた何をしておるか!!」
「やぁ、我らが支部長おかえり!何って、美しいご婦人に遭遇したからこうやって挨拶を、ほら。」

 馬から降り、顔を赤くし肩を怒らせているチェルシーにルーレックスはにこやかに告げた。

そのような事を申しているのではない!!公衆の面前でよくも恥ずかしげもなくぬくぬけと・・・」

 しかし飄々とした垂れ目の色男は少しも悪びれない。

「何を言ってるんだい、チェルシー君。これは騎士としてご婦人方に対する当然の礼儀だよ。ほら君の大声でこちらの可憐なお嬢さんが怯えてしまうじゃないか。――大丈夫ですよ、レディ。こちらの紳士は声は大きいがいい奴ですから。」

 フィンの手を握ったまま立ち上がったルーレックスは気障にもウィンクして見せた。


 可憐。お嬢さん。レディ。
 単語の意味を忘れた。



 呆然と(しかし無表情に)見返した。するとフィンの顔を見たチェルシー<これでも支部長>が(今更)目を丸くした。

「フィンではないか!そなた、先まで・・・・一体どうやってここへ!!」
「おや、こちらのレディはフィンと仰るのかな。ああなんて可愛らしい響き!まるで妖精のようだ・・・」

―――もしもし、頭の具合はいかがですか


 そう聞きたい衝動を抑え、どうリアクションしたものかと困ってチェルシーに目顔(でも無表情)で助けを求めた。

「ルーレックス・ヴァン・ロークベルン、いい加減にせんか!!いつまでそうしているつもりかこの痴れ者め!」
「おっと、失礼。あまりに可愛らしいのでつい僕としたことが。」

 茶髪の騎士は色目を寄越して、手を離した。
 フィンは無表情にルーレックスのウィンクの意味を考えた。
 先からこの男の言うことがよく理解できないのだが理解する必要は果たしてあるのだろうか。

 ・・・何なのかこの男は。いやそれより。

「サー・アルバドレイ。手袋をお忘れになりましたのでお持ちしました。」

 フィンはチェルシーに手袋を差し出した。
 チェルシーは目を見開いて(今頃気付いたらしい)受け取った。
 横に並んだルーレックスの方が背が高い。2メートル近くありそうだ。明るい茶髪の騎士は眉をひそめた。

「チェルシー支部長殿、女性に使い走らせるなんて紳士のする事ではないね。」
「私が自分で勝手に来たんです、サー・ロークベルン。」

 師匠が来たら揉めるから、と言う言葉は飲み込んだ。

「サー・ロークベルンだなんて!どうぞルーレックスとお呼びください、レディ。貴女にならルーレックもしくはレックスと呼ばれても構わない・・・!」

 大仰な仕草で片膝付き胸に手をあて1人で盛り上がってる男を見、フィンは目で尋ねた。
 気付いたその当人の若い上司はため息をついた。

「こやつは常にこうなのだ。気にするな。女と見ればすぐこれだ。」
「ああ・・・何て言い方をするんだい、チェルシー!僕はただ世の中全ての女性に然るべき敬意と愛を捧げているだけだと言うのに・・・!どうせならフェミニストと言ってくれたまえよ。いいかい?女性は偉大なのだよ、まさに神秘!そこに存在するだけで崇敬に値するんだ。
君こそ水臭いじゃないかい?堅物の振りしてこんな愛らしいレディの家に通って愛を深めていたなんて。」

 愛を深め・・・・・誰が誰と・・・?

 フィンは頭に疑問符を浮かべた。どうも話が飛躍している模様だ。先からキラキラと目を輝かせながら熱く語る色男に圧倒されて頭がうまく働かない。

「馬鹿者!!貴様であるまいし、そのような節操のない真似を職務中にするかッ!!!」

 後ろの門兵を見ると、彼らも苦笑を浮かべて見守っていた。この光景もいつもの事なのだ。
 フィンは取り敢えず用は果たされたな、と考えて言い争う(チェルシーが一方的に)2人の男を放置し踵を返した。



「おやレディ!妖精さん、どこへ行かれるんです!まだ出会ったばかりだと言うのにもう別れなんてあんまりだ!」

 こいつ眼医者行った方がいんじゃねぇのか的事を考えつつ

「当初の目的は果たされたので後は帰るのみです。」

 と淡々と告げると、茶髪の騎士は大袈裟な身振りでフィンを驚かせた。

「何てことだ!チェルシー、遥々君のようなムサい男のために来てくれたのにお茶も出さず帰すのかい?」
「ムサいは余計だ。・・・それもそうだが、どうするか?茶菓子ぐらいならばあるはずだが・・・」

 ルーレックスの言葉にムッとしながらもチェルシーはフィンに尋ねた。
 黙っていれば不味くない顔なのに、ムサいは少々可哀想な表現だと思いつつフィンは答えた。

「いいえ。お気遣いなく。家の仕事が残っていますから。」
「そ、そうか。」
「それは残念だ!ですが次の機会には必ずお茶しましょう、ね!
ところでお家はどこでしょう?送って行きますよ。レディを歩かせるなど僕のプライドが許」
「お前に行かせるくらいであれば我輩が行く!」

 また睨み合い始めた2人に呆れつつフィンは辞退した。

「せっかくですが結構です。私はレディではありません、サー。ただのしがない田舎者です。高貴な騎士様に気にかけて頂くほどの者ではありません。歩くのにも慣れています。サー・アルバドレイも今お帰りになったばかりなのに二度手間になるでしょう。」
「女性は皆レディですよ!彼のせいで貴女に足を運ばせてしまったんですから遠慮は不要です。女性に尽くしてこその騎士なんですから。」
「こいつの言うことはともかく、歩いて帰れば日が暮れるであろう。女性の一人歩きは勧められたものではない。」

 少女から老女までオトすと言われる取って置きの微笑を浮かべたルーレックスにチェルシーは妙な危機感を持って、押しやった。
 フィンの方をちらりと見ると、彼女はいつもの感情に欠けた顔に明らかに困惑した表情を浮かべていた。そうするとやけに大人びていた顔にも幾らか年相応な少女らしさが現れる。


 傷痕残る顔の半分は隠されているため右側だけ見れば、美人、だ。肌は日焼けしているが滑らかで、睫毛は長く、小さいが形の良い鼻に柔らかそうな唇・・・とそこまで思い浮かべ、チェルシーは何を考えている!!と己を叱咤した。
 顔が熱くなった。



「それでは・・・サー・アルバドレイ、お願いします。」

 考えた末にフィンは無表情に告げた。

 どうやらルーレックスの<女殺し>は効かなかったらしい。
 少しほっとして、またそこで何故安堵するのだ!と心の中で突っ込んだ。

「チェルシー?顔が赤いようだが。」
「サー、やはり迷惑でしたか。」
「な、何も問題ないッ」

 馬鹿一匹と少女に怪訝な顔で見られてチェルシーは慌てて愛馬<疾風>の手綱を引いた。フィンの騎乗を補助する。

 改めて気付くと馬上に引き上げた腕は細く、鍛え上げた己のものと比べ、すぐに折れそうだった。片腕を回して支えた胴もまた恐いくらい細い。ふわふわ揺れる肩までの亜麻色の癖毛から仄かに花の香りがした。
 しかしまたはっとして、手綱を握り直すと馬首を返し道を行くことに専念する。



 下らないことに気が行くのは弛んでいる証拠。

帰ったらいつもの3倍のメニューでウェイトトレーニングしよう、と心に決める。



 曲がったことがキライな根っからの筋肉人間であった。




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