「被災地のヨタ話」~その2 | 世直し「クモスケ」のブログ

世直し「クモスケ」のブログ

ブログの説明を入力します。

オイラは、首都直下型大地震・富士山噴火が間近に迫って恐ろしくなり、東京都M市から逃げてきた「ホテルマンセブン」

通称「クモスケ」という



「俺はあの時、人前で初めて大声を出して泣いてしまったんだ……絶対泣くと分かっていたから親父には来るなと言った……親父にだけは泣く姿を見せたくなかったよ」

オイラが勤めているホテルの番頭さんが、被災後の悲惨な状況について静かに語り始めた



東日本大震災の当日、番頭さんは出張で山形まで行っていたそうだ
女川町の自宅が被災したことを知ると、山道などの裏道を通りながら、なんとかホテルまでは辿りついたという


ホテルから自宅までの道路が全面通行止めになっていたため、番頭さんは歩きながら自宅のあった場所まで行ったのだが、自宅は津波で既に流されてしまっていたため、両親の安否が気になった番頭さんはすぐに避難先である女川町の体育館まで行ったところ、お父さんの無事が確認できた



しかし、番頭さんのお母さんは避難する途中、首まで冷たい水に浸かったことが原因で体育館に避難した直後、低体温症により亡くなってし

まったと聞かされた


それで、冒頭に記載したとおり番頭さんがお母さんのご遺体を確認する

ため遺体安置所に行ったところ、お母さんはブルーのビニールシーツに無造作に包まれて横たわっていたという


311では、女川町の多くの住民がこのような体験をしている

番頭さんもそうだが、多くの被災者は当時の状況を語りたがらない

当然だろうな……



あの日から4年経過したが、番頭さんは今ではホテルの「大黒柱」である
この人がいなければ、このホテルの運営も成り立たない


人は苦境に立たされたり艱難に遭遇した時、「神・仏」に成る人もいれば、逆に「悪魔」に豹変してしまう人もいることを、ここに来て初めて知った



番頭さんは明らかに前者だ
風来坊でよそ者のオイラには、番頭さんは神様のような存在に思えてしまう

オイラのブログの趣旨から、悪魔についてはノーコメントだぜ


「あれは、どこの学生だんべ?」

「東京から修学旅行に来たんですよ」



「東京? いつまでも被災地の視察はねえべや。ぎゃくに、あっちの方が今では危ねえのになあ」

今夜、顔なじみ客との会話だった
オイラのホテルに今夜、東京の某市内から中学生たちが被災地の視察を兼ねて修学旅行に来ていて騒然としていた


しかし、お得意さんの仰るとおり女川町の現地ではもう、被災者の心の復興は終わっているようだ


それより、今は「首都直下型大地震」「富士山噴火」「東南海大地震」を心配したほうがいいぜ