上善は水の如し…休日の一言 | 熊本城おもてなし武将隊武録ー雲外蒼天ー

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皆様方御忙しい最中失礼致す

暫し、私の武録に御付合いくだされ

本日も熊本城に御越し下さった御客様、そして我ら熊本城おもてなし武将隊を応援して下さる御客様に感謝して過ごす

此度は長月最終日で御座います

明日からは暦が神無月へと移る…

皆様は神無月への準備は万端であろうか…

私としては

とりあえず洗濯…

そして掃除…

更には籠手の修繕…

最後には残っている陣羽織の修繕…


………うむ

もう夕刻である…

一日が過ぎるのは早い…

しかし

神無月への準備が出来たということで良しとしよう…

本日は早めに寝床に就く予定である

今宵も良い夢を…

おやすみなさい

私の武録は以上で御座います


最後の独り言で御座いますが

長月三十日…

天正六年(一五七八年)…

摂津と和泉の国境は″堺″の地…

織田軍の最新軍事船が入港した…

此度は織田軍が誇った″鉄甲船″である

″天下統一″を目指す信長様に対して″脅威″を抱いた室町幕府十五代将軍″足利義昭様″の声掛けにより″信長包囲網″が発動された

甲斐の虎で知られる無敵″武田信玄公″…

越後の龍で知られる軍神″上杉謙信公″…

比叡山延暦寺と協力する越前″朝倉義景殿″と近江″浅井長政殿″の連合軍…

大坂″石山本願寺″ 第11代法主″顕如″ そして全国各地の本願寺信徒…

信長様の周囲は完全に″織田全滅″に動き出したので御座います


信長様は一刻も早く現状を打破する為、

先ずは天正四年の天王寺合戦に敗退した石山本願寺を攻めた…

石山本願寺の周囲を完全包囲し籠城する本願寺方の補給路を断つ作戦…

しかし、ここで西国の毛利軍から″小早川水軍″そして″村上水軍″さらには紀州の″雑賀水軍″を加えた船団が、兵糧を積載した船と共に大坂湾に進入…

それを阻止すべく立ちはだかった″織田水軍″…

此れにより開戦したのが″第一次木津川口海戦″で御座います

結果は敵水軍の陣形による連携に翻弄され″敗戦″した織田軍…

此の結果に信長様は″九鬼水軍″頭領である″九鬼嘉隆殿″に対して

″鉄甲船″の建造を命令したので御座います

″九鬼一族″は南北朝時代から伊勢志摩を中心として名を馳せた″海賊″であり、″伊勢長島一向一揆″の際に信長様の傘下として功績を挙げて織田水軍の一角を担っておりました

九鬼嘉隆殿と織田信長様は前回の木津川口海戦にて、敵水軍の放つ″焙烙(ほうろく)″という手榴弾のような武器によって″木製の船″がことごとく燃やされた為に″鉄製の船″を考案…

そして此の鉄甲船の凄さは此の戦いのみに製造されたことである

重厚な鉄板では海上で小回りは愚か速く走ることは当時の技術では困難…

海水よって晒された鉄板は錆びてしまう為に長持ち出来ない…

しかし信長様にとって最優先する点は其所では無い…

どんなに機能的に使い勝手が悪く、長持ちしない船であろうと、″敵船の進入阻止″が出来ればそれで良いのである

相手を蹴散らして″制海権″を握れば、二度と使えなくても良いのある

一度きりの作戦の為に膨大な金を惜しみなく投資する…

正に莫大な軍事費を擁する信長様だからこそ出来る代物である

そして鉄板の加重により転覆しやすくなる船体をいかに安定させ、損なわれる機動力を出来るだけ最小限にして信長様の考えを現実にした″九鬼嘉隆殿″そして九鬼嘉隆殿が召し抱えていた″伊勢大湊″の造船技術に長けた職人集団の功績は素晴らしいもので御座います

こうして九鬼嘉隆殿が完成させた″六隻″の鉄甲船は熊野浦を経て大坂湾の堺の港へ堂々の入港を果たし、決戦前に″観艦式″が執り行われ、完成した姿を信長様の前で披露した…


本日は堺に入港していた鉄甲船の観艦式が開催され、信長様が其の鉄甲船を直に視察した日で御座います


其の観艦式には″公家″や″有力な大名と商人″そして″宣教師″らが鉄甲船を観に集まった…

ポルトガル船に匹敵するような″大きさ″と″華麗さ″…

船内には強力な″大砲″と大量の″長銃″が搭載され…

外装は黒光りの威風を放ち、色とりどりの幟や指物で飾りつけられていた鉄甲船の姿に周囲は驚愕した…

大々的に開催された此の華麗なる観艦式は織田信長様の権力を周囲に見せつける結果となったので御座います

そして、鉄甲船を率いる織田水軍は再び石山本願寺へと向かう…

″第二次木津川口の海戦″の始まりである…


では…


黒田官兵衛孝高