皆様方御忙しい最中失礼致す
暫し、私の武録に御付合いくだされ
本日も熊本城に御越し下さった御客様、そして我ら熊本城おもてなし武将隊を応援して下さる御客様に感謝して過ごす
本日も多くの御客様が御越し下さった熊本城…
我ら熊本城おもてなし武将隊は長月最後の全員出陣と相成った
此度は演舞にて″梟鳴虎舞″を披露致しました
全員出陣の時でしか披露出来ぬ演舞ということもあり
必然的に熊本城でしか観ること叶わぬ…
此度遠方より御越し下さった方々は如何であったか
明日、私はお暇ということで長月の登城は本日が最後で御座います
次に熊本城で逢うのは″神無月″である
来月も笑顔でいられる日々を過ごして参りましょう
来月も宜しく御頼み申す
今宵も良い夢を…
″ロアッソ熊本″が勝利…
長月最後の戦にて見事に勝利致しました
赤馬武士の勇姿に天晴れである
此の吉報に私も良き夢を視れるであろうか…
おやすみ…
私の武録は以上で御座います
最後の独り言で御座いますが
長月二十九日…
天正二年(一五七四年)…
伊勢国と尾張国の境界付近である″伊勢長島″の地に起きた争い…
″織田信長様″と″一向宗門徒″の蜂起に伴い、大きく分けて三度に渡る激しい合戦が起きた…
此度の戦は″長島一向一揆″と云う
長島一向一揆が起きた経緯としては尾張国主″織田信長様″と第十五代室町幕府将軍となる″足利義昭様″との対立が関係しております
室町幕府再興の為、織田信長様を警護に仕えさせ上洛した″足利義昭様″…
″天下布武″にて天下統一を目指す最中、中央政権に乗り込む絶好の機会として″足利義昭様″を奉じて上洛を果たした織田信長様…
此の頃の御二人の間には御互いの思惑が上手く噛み合っていた状態で御座いました
元亀元年(一五七〇年)…
中央圏を制圧し足利義昭様を新たに十五代将軍として擁立に成功した信長様は自らの名を日ノ本全土知らしめた…
其の後、勢いを増す信長様は足利義昭様の将軍としての権力を制限する為に″掟書″を発令した…
此れにより信長様と足利義昭様との関係は次第に悪化していく…
天下統一へと勢力を拡大する織田信長様に対して周囲は次第に其の勢力を″脅威″と感じたので御座います
信長様を阻止すべく各地の戦国武将や宗教団が動き出した
其の中で″浄土真宗″の総本山″石山本願寺″の呼びかけに各地の″一向宗門徒″が一揆を起こし抵抗の意志を見せた…
此れが″一向一揆″で御座います
そして
″伊勢長島″の地に集結した一向宗門徒たちとの争いを″長島一向一揆″で御座います
此の反乱に信長様は…
″元亀二年″と″天正元年″にて、織田軍は二度に渡って攻撃を仕掛けますが、見事敗退しています
そして
迎えた天正二年…
此れが最後の戦いとなる三度目の長島攻め…
三度目の正直とばかりに入念な計画を企て出兵した織田軍は伊勢湾の海上封鎖を徹底して行い、兵糧が尽きるのを待つ持久作戦…
一方の長島一向一揆勢は、数万人の老若男女が徹底して籠城作戦…
しかし徹底した海上封鎖で、物資の輸送が困難となり兵糧はまたたく間に尽きてしまいます
やがて餓死する状態に陥ったことにより籠っていた人々は全面降伏を申し出た
しかし、信長様は一向一揆の恐ろしさを身をもって痛感していた為に此の全面降伏を認めなかった…
彼らの団結力、集団の力というものは凄まじいものである
故に残った芽を此処で少しでも残した場合、再び最大の抵抗勢力になるに違いないと考えた信長様…
信長様は、此の一揆を徹底的に根絶やしにする為、籠城の外に柵を構築し、鼠一匹通さない状態を作り出した上で四方から火をかけたので御座います
中に残っていた人々は全員が焼き殺される結果となった…
本日は織田信長様に抵抗を続けていた長島一向一揆勢が力尽き、一揆が終結した日で御座います
神仏を恐れぬ信長様の行為により日ノ本の政治が宗教と分離すると云う新しい形が誕生した…
では…
また明日…
黒田官兵衛孝高