「いびつな絆 関東連合の真実」はなぜ売れるのか?  その2 | a.k.a.“工藤明男” プロデュース「不良の花道 ~ワルバナ~」運営事務局






ここで編集者として難しいのが、トラブル覚悟で本を出すかどうかの決断を下さなければならない事である。ノンフィクションは、「十を取材したら五を書く位が丁度良い」という人もいる。この本は十を知って十を書いている気がする。であるならば刺激的な内容になるに違いない。が、その分リスクも大きい。出版後の周囲の対応も視野に入れながらゴーサインを出さなければいけないのがプロの編集者だと僕は思う。出版後の対応を予想する、あるいは覚悟を決めて編集・発行するという事だ。
 そして、案の定、この本はヒットはしたが、トラブルの種となってしまった。実名は当然の事ながらアルファベットでも表記された暴力団は激昂しているという話も聞く。》


私は記者ではなく。当事者として拙著を刊行したため、「十を取材したら五を書く位が丁度良い」という久田氏の判断にはなんら共感できない。久田氏の元に原稿を持ち込む予定はさらさらなかったが、改めて今の編集者と巡り会えて良かったと思っている次第だ。


 拙著でも述べているが、拙著は事件の記録と関東連合の実態解明を目的に執筆したものだ。それが結果的に出版業界のノンフィクションの分野として扱われているだけで、「ノンフィクションを書きたい」と思って書いたのではない。私は本を出す目的について、拙著の中でこう説明した。


「本書は事件の解明と、これからの刑事裁判で争われるであろう、見立君の捻じ曲がった“方針”に対抗するために執筆した。刑事裁判を意識して刑事裁判を意識して、私に立証責任が負える範囲でしか書いていない。すなわち私の上梓した本書が、そのまま刑事裁判における参考人調書となるように執筆したつもりだ。私が刑事裁判で証言を求められれば、そのまま証言できる内容になっている」(「いびつな絆 関東連合の真実」より)


 ページ数という物理的な制限によって、細かく書ききれない分野や、本書でそこまで広げるべきではないという判断で触れていないテーマもあるが、本書で取り上げるべき内容について、私自身が制約を加えたり、事実を十のうち五だけ書くなどということは、そもそもできなかった。なぜなら、六本木クラブ襲撃事件の裁判で、事実が捻じ曲げられてはならないと思って書いたからだ。

 

 このような拙著に対して、久田氏はなぜか「十を取材したら五を書く位が丁度良い」と書いている。


《そして、案の定、この本はヒットはしたが、トラブルの種となってしまった。実名は当然の事ながらアルファベットでも表記された暴力団は激昂しているという話も聞く。》


拙著の担当編集者は、久田氏の記事を読んでこんな感想を伝えてくれた。


「十を取材して五を書くくらいがちょうどよいというけど、久田さんがそれを実践してきたとしたら、話のつじつまがあわないです。だって、これまで久田さんが五だけを出してきたとしても、ヘタ打ってるでしょ? 何度もトラブルに巻き込まれてるでしょ? 自分でもそれをネタにして「トラブルなう」なんていう本まで出してるんですから。暴力団が本に対して激昂しているという話も初耳


そもそもこの久田氏は編集者を名乗っているが、本当に編集者なのだろうか? 実話ナックルズという雑誌の名前は、すなわち「実話を扱っている雑誌」という意味なのだろうが、〝末席を汚させて頂いている編集者として(WEBRONZA引用)〟は残念な人ではないか。

 

 暴力団の激昂を恐れて活字にしないのであれば、それはすなわちジャーナリズムの敗北である。これがジャーナリズムの世界に携わっている編集者の意見かと思うと、暗い気分に陥る。未来を憂うばかりである。


つづく



WEBRONZA




「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島社)




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