日米戦争の基本知識 | 気になる映画とドラマノート

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日本の戦争の基本知識
1.アメリカの基本方針は、戦争の最終目標は、ドイツに対しても、日本に対しても、「途中講和」を考慮していなかった。すなわち、終戦時に、アメリカの判断次第で、憲法を変更しようと、天皇の地位を解消しようとしなかろうと、どうにでもできる状態にまでもっていくこと。これが、目標であり、その目標をあきらめれば、人命が救われるということは、戦略的に、退けられた。これは、アメリカの歴史家の常識である。

2.日本の場合の戦争勝利とは、戦後「想像を上回る国力差だった」と表明しはしたものの、国力差がないと考えたわけではない。「アメリカを屈服させる」とか「アメリカの大統領制をなくしてしまう」などということができるとは思っていなかった。」闇雲だったかと言えば、一応、次のように考えていた。

 当時東南アジアにあった石油、鉄を日本に持ち帰り、戦争を持久する。持久するうちに、ドイツがヨーロッパで、英国を制圧すれば、アメリカは、日本に講和を申し入れるはず。」と、こう考えた。

 この時の日本側の失策は、アメリカが、他国の政体を変更するまで、毛頭「講和」する気が無いとは、想像していなかったことである。戦後まもなく、日本の戦争指導者たちは、世界に向けて、われわれは、アメリカの国力を見誤った、と声明を出したが、本音は、「まるで講和を勘定にいれない国だとは想像外だった」と思っていたろう。

3.日本に大本営陸軍参謀本部、大本営海軍軍令部はあったが、両方を統括する組織はなかった。
 この結果、陸軍の将校には、当初、海軍が進出を立案したガダルカナル島がどこにあるか、かなり長い間知らなかった。

 4.日本にとって、アメリカの行動が意外だったのは、アメリカが、予想以上に「国際法を無視する国だった」ことである。東南アジアから資源を日本本土に輸送するという構想は、アメリカが国際法を遵守するならば、という条件付だった。日本が少しばかり、国際法違反をしても、アメリカは、対外的にも国際法を遵守しながら、攻撃する大国なのだろう、と考えていた。

 ところが、事実は、次のようなものである。
 開戦の直前の11月26日の段階で、アメリカ海軍は、アジア太平洋周辺にある51隻のアメリカの潜水艦に、「開戦後は、日本の武装しない商船、民間船も含めて、警告なしに、撃沈してよい」という国際法違反の命令を発していた。これを「無制限潜水艦作戦」指令という。

 アメリカは、戦争突入前から冷徹に「国際法」違反の民間人犠牲をいとわぬ作戦をすでに命令していた。

 日本は、ハワイなどにいるアメリカ人民間人を殺害する場面など夢想だにしなかった。講和が目的だったからである。

 アメリカの目的は、相手国の政体変更というこれまた、国際法で想定しない構想だったから、沖縄、そして日本本土上陸の過程で日本の民間人が死ぬこともまた当然ありうることと考えていた。

 その前に、各地の都市が空爆され、原爆が投下されたことはいうまでもない。

 敗戦した日本は、「馬鹿だ」「無謀だ」ということになったが、勝利した国の「民間人の犠牲をいとわない国際法違反の作戦」は、戦後、誰も非難することができなかった。

 ただ、戦後、日本に米軍基地を配置したことは、非難するものはいたが、日米戦争のなかで、アメリカが、人道に反する戦争の仕方をしたことは、まず、朝日新聞もNHKも強調しないできた。


 5.東條英機は、総理大臣であり、行政府の長であったから、陸軍の予算要求を否定した。
 国家予算全体のバランスが極度にいびつになれば、国民生活自体がなりたたなくなるからである。
 そこで、陸軍の田中新一作戦課長は、総理大臣東條英機にバカやろう、と怒鳴ったことは有名である。こういう国をファシズムとはいわない。

 また、東條英機が、総理だから、軍国主義だというなら、アイゼンハワー大統領は直前に陸軍参謀長だった。
 このやりとりの後、陸軍が政府の抵抗を押し切って、軍事予算の拡張を勝ち取る。これをNHKは、日本は、国民の生活をないがしろにした、という。

 しかし、アメリカの指導層内部では、原爆を日本の都市に投下するか、いや、太平洋のどこかで、日本に通告した上で投下して見せて、降伏を勧告すべきだという見解が対立していた。その結果、アメリカのとった結論は、直接の都市への投下であり、民間人犠牲もいとわない、というものだった。

 日本が原爆を持ったとして、アメリカの都市に果たして、投下しただろうか。

 どこか、無人島に落として見せる方法を取ったのではないか。

 こうした、解釈において、戦後日本のジャーナリズムは、人類の戦争に関わる倫理において、鈍感とアノミー(価値感の崩壊)に陥って行ったことは、まちがいない。

 勝てば何をしても、不問に付してよいことになるはずがない。

アメリカ軍は、日本が米不足から、アジアから購入した穀物を木造船で、日本本土に運んでいると、木造船を砲撃して、穀物を皆、海に捨ててしまった。兵糧攻めである。

 アメリカは、ベトナム人が餓死に直面しても、助けようともしなかった。
 ベトナム人が餓死に直面して、それは日本だけのせいなのかね?
 アメリカが人道国家なら、ベトナム人を助けたはずである。
 また、その時点まで、ベトナムは、フランスの植民地であり、フランス人はベトナム人の教育になんら関心を持たなかった。
 これらも、価値感の狂った戦後日本のジャーナリズムは、日本がすべて悪かったように解釈する。

 敗戦時に日本の「アジア解放の夢が崩れ去った」、というなら、アメリカの「民間人の人権。幸福を追求する権利を尊重する国家」という理想も、日米戦争の過程でついえさっていた。