ハン・ソッキュ「二重スパイ」(2004年韓国映画) | 気になる映画とドラマノート

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 ハン・ソッキュの映画「二重スパイ」は、チョン・ドファン軍事政権時代の北朝鮮からの二重スパイがテーマになっている。

 この映画は後半10分くらいまでは、あれよあれよというまに注視して観ていたが、最後は文字通りに「竜頭蛇尾」というにふさわしい、意味稀薄なラストだった。

 二重スパイが韓国から逃れて、ブラジルのリオで第二の人生を送るのだが、ハン・ソッキュのスパイを捕縛出来なかった韓国諜報機関がハン・ソッキュを暗殺するラストが不可解かつ不自然である。まず、韓国諜報機関がリオ・デジャネイロで生活するハン・ソッキュのスパイを見つけることが出来たという必然性がない。

 北朝鮮は韓国にスパイを送り込む場合、情報収集が成功した後、ブラジルのリオのような場所で暮らさせるものだろうか。趣向は、北朝鮮が自国のスパイを口封じのために殺したのか、韓国が報復のために殺したのかわからないという部分にあることは明らかだが、リオで働く彼が韓国からの逃亡者だと、北であるか韓国であるかはともかく、察知でしうるきっかけが暗示されないのであれば、納得しうるには足りないストーリーで、だから、どうしてもラストは唐突になるのである。

 なお、井筒和幸監督はテレビの対談で「北朝鮮という国名はない。朝鮮民主主義共和国だ」と言ったことがあるが、この韓国映画「二重スパイ」のなかのセリフに、「ノースコリアからの犯罪者」というのがある。

 たとえば、イギリスは正式国名ではないし、アメリカもロシアもイランも正式国名ではない。世界は韓国をリパブリックオブコリアか、もしくはサースコリアという。そこに、大という意味はない。つまり外国がある国を呼ぶときは、みな通称なのだ。ジャパンがそうではないか。日本人はジャパンと呼ばれてもなんとも思わないし、北朝鮮と言って、名前自体は侮辱の意味はない。にもかかわらず、「パッチギ」の井筒監督は「北朝鮮」と呼ぶべきではない、と言っていたのがわたしには印象的だった。