筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

           旧国鉄 添田線 は 今    その10(豆塚-添田線)



  添田線豆塚駅 があったのが 1942年(昭和17年)だったそうですから もうこの豆塚駅 を 知る人も 少なくなりました。  添田駅舎 も 新築され現在の駅と変わりました。 現在の駅舎の裏側には その当時の添田線のレール と レール終端標識 が駅舎より約100mの距離に 今は使われることなく ひっそりと残っています。 現在、日田彦山線は、2・3番ホーム で 旧添田線添田駅 1番ホームは幻のホーム となっています。


   現在の日田彦山線のホームは 駅舎より南方に 約120mの距離に 上下線の島式ホームとなり駅舎より遠い位置 に造られています。  筑豊風土坊の訪れたその時には 日田よりのディゼル列車が入り 西添田駅よりの日田への下りディゼル列車が クリーム色のボディカラーに青の帯の上下線とも同形式の列車で 西添田駅より大きく右カーブしながら入って来ました。   添田線、 香春駅起点より12.1Kmの 終点 添田駅です。


  乗り降りする人たちは 5-6人 少ないと言えばむ少ない人数ですが 学生・ 通勤の人達にとっては大変必要な足かもしれません 遠くへの旅行・ 定時に・ 大人数 が移動できるJRの交通機関であることは 大変便利です 確かに都会と比べ 営業利益が少ないと思うのですが JRの駅があるということは住民にとっては 大きな安心感でもあります。


  今回、 旧国鉄 上山田線・ 漆生線・ 幸袋線・ 室木線・ 宮田線・ 香月線・ 添田線 の 筑豊の廃止線を 訪ねましたが 廃線による 寂しさを感じました。 反面 マイカー等の車社会の中で 廃線により道路として大きく活躍 している区間も多く見れました。 特にこの筑豊の鉄道網は 石炭を運送する宿命のために造られましたが 無くなった・ さびしい気持ち  複雑な 旧国鉄廃止線 の訪問でありました。   --- 終り ---

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  添田駅付近の昭和22年航空写真(GHQ)            豆塚駅付近の交差点

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    添田駅付近の旧鉄道敷の公園            添田駅付近の旧鉄道が駐車場



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        添田駅前道路と駐車場                  現在の添田駅舎


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     添田駅舎と駅前ロータリー                   添田駅舎の正面


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           添田駅名標                       添田駅舎内部


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        九州北部の路線地図           旧添田駅舎付近の旧添田線1番ホーム


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添田駅舎より離れた現在のホーム       現在の日田彦山線の2・3番ホーム

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 ホームに待つ上りディゼル列車          下り日田彦山線のディゼル列車

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      下り日田行き列車                 ホームに並んだ離合列車

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 添田線と日田彦山線の古五万分拡大地図       現在の添田駅付近の航空写真



地図位置情報     旧豆塚駅     北緯  33度34分14秒   東経  130度51分21秒
               添田駅      北緯  33度34分02秒   東経  130度51分24秒

              西添田駅      北緯  33度34分23秒   東経  130度50分50秒




        今回で  旧国鉄 添田線 は 今   これにて終わります。