筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

筑豊風土坊のブログ

筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

         油須原線(豊前川崎-彦山川橋梁) の 思い出



  豊前川崎駅 より 大任駅 を経由しさらに 油須原駅 に結ぶ線が 油須原線 で 筑豊の石炭を 行橋駅 に輸送するために昭和38年当時に計画 された事は、 以前 お話しました。 実はこの油須原線 筑豊風土坊にとっては 大変忘れられない所です。 1966年(昭和41年)8月この区間の測量に携わりました。


  その当時は、豊前川崎駅より 第二大任駅(大峰炭鉱ホッパーに貨物駅) までは貨物線が実在し この終点大峰入口 より 大行事の福田までトンネルで抜け 彦山川と並行の現在の路線 から 彦山川を渡り 大任駅 に入る 区間を測量する仕事でした。


  以前いた会社が 建設コンサルタントの測量・設計の会社で その当時は 国鉄の新線・ 複線工事が多く発注 されていたため 若憎であった風土坊がその仕事にタッチしたわけですが 真夏の太陽の下で 汗をかきながら 先輩からは怒られながら 仕事をした記憶 が今も頭の中に残っています。


 昼には、 大峰トンネル出口の 近くの 高木神社 で 休憩したことを 今でも懐かしく思い出します。 飯塚から近いということでタッチしたのですが それ以後 鹿児島本線・ 日豊線・ 山陽新幹線・ リニァーモータ宮崎実験線 九州以外の 氷見線・ 岩日線 などその当時の新設線・ 複線電化は 技術屋の卵であった 私達にとって 大きく日本の国を 発展させるやりがいのある仕事でもありした。


  しかし現在、その中で3割くらいの鉄道は 廃止となり 国鉄民間の JR となりました。 筑豊風土坊も 69歳 またまだ現役ですが この 油須原線の この区間が 一番始めにタッチした鉄道 でした。 30度以上の炎天下 や 場所によっては氷点下5度の測量 その建設された結果が活躍しているときには 誇り や 安心するのですが この油須原線の 区間を見るとき やった割には 全然使用されなかった この残骸を 見るときさびしい気持ちになる 筑豊風土坊でありました。



ED00
       豊前川崎駅-日田彦山分岐-大峰炭鉱-福田-彦山川橋梁間の現在の航空写真



ED01  ED02
           豊前川崎駅舎                     豊前川崎駅名標

ED03  ED04
    現在の日田彦山線のディゼル列車           鷹峰大橋からの日田彦山線

ED05  ED06
    日田彦山線と油須原線の分岐点            油須原線分岐より第一橋梁

ED07  ED08
      右に日田彦山線左第一橋梁                大峰第一踏切全景

ED09  ED10
      線路跡もホッパーも無くなった           コンクリート製の壊された構造物の残骸が


ED11  ED12
   以前のホッパーやコンクリート製構造物          大峰トンネル出口の全景

ED13  ED14
        大峰トンネル出口                昼の休憩をさせてくれた高木神社


ED15  ED16
       福田集落の油須原線の交差点         現在の福田付近の旧油須原線 

ED18  ED19
       現在は道路として使用               使うことなく残る彦山川橋梁

ED21  ED22
昭和42年竣工のプレートが油須原線を物語る           彦山川橋梁全景


DE23  DE24
       彦山川橋梁起点側橋台                 彦山川橋梁の全景 



地理位置情報   豊前川崎駅     北緯  33度35分48秒    東経  130度49分20秒
         油須原線分岐点     北緯  33度35分21秒    東経  130度49分58秒          
         大峰トンネル出口    北緯  33度35分18秒    東経  130度50分36秒

       英彦山川起点側橋台    北緯  33度35分35秒    東経  130度51分19秒  

       英彦山川終点側橋台    北緯  33度35分40秒    東経  130度51分25秒
        

   


        今回で、 旧国鉄 廃止線・  思い出 鐡道編 終ります。