明智 光秀     平成26年1月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

1月3日夜、NHKBSプレミアムで「明智光秀、本能寺への葛藤」が放映されました。


まったく歴史の門外漢で深く追求する根気もありませんが、岐阜に生まれ育って

先祖が土岐頼芸の大桑城下の百姓武士であったり、系図では先祖が山内一豊で

あったり、大垣へ来て大垣城主、氏家ト全が義父方の先祖であり、日テレの

故氏家 齊一郎氏が同じ末裔であったりと五百年も経た今もこの地の歴史と

切り離せない氏です。



明智光秀の肖像といえば岸和田の本徳寺に伝わるもので、ネットで検索できる

2000年始め頃まで見ることもありませんでした。


戦国時代の武将とは思えない日本人離れした美男子です。


諸説ありますが、明智から嫁いだ斎藤道三の奥方小見の方、後に信長に嫁ぐその娘の濃姫共に絶世の美女と謳われ、光秀の息女珠は細川家に嫁いで細川ガラシャとして知られ、こちらも

美女との誉れ高い。光秀が濃姫の従兄弟という説もあります。





30数年前になりますが、放送局に勤務する頃、岐阜中濃、八百津町のだんじり祭り

町内、久田見地区の祭り、山車のからくりのTV取材に出かけました。


その祭り行事は素晴らしいものでしたが、驚いたのはこの田舎にして、カメラを向ける

みなさんが美男、美女ぞろいだったのです。

役場の職員さんにどうして皆さんこれほど粒ぞろいでおきれいなのですかと尋ねましたら

「古い先祖が公家であったからです」と答えられました。


光秀の肖像画を初めて見たとき、全くの根拠のない素人感覚ですが光秀はこの地、中濃の

出ではないかと思われたことです。


光秀の生誕地としては、中濃可児市瀬田の明智城、東濃明智の明智城、山県市美山町

西濃大垣市上石津町などが名乗りをあげていて、文書で残されていないだけに各町も我が町

こそと宣伝しておられます。


可児市瀬田の長山、明智城趾。 岐阜城から直線距離で30k弱の位置にあります。











山裾の天龍寺には明智家の歴代の墓標が残されています。










墓標の文字は朽ちて読み取れません。






東濃、恵那市明智町の明智城趾。岐阜城から直線距離で50k程の位置にあります。


分家遠山家六代の江戸町奉行・遠山金四郎景元(遠山の金さん)で知られる遠山家が

代々城主を務めたが信玄に攻められて陥落した。





この明智城が光秀の城とは考えがたいが、下の写真を撮った向かい山の千畳敷公園には

光秀が産湯を浸かった井戸が残されている。





歴史学者などに語り尽くされており、素人が意見を挟むこともできません。


NHKの番組では、時には冷徹に振舞って先へ進める上司でないと世を、会社を制しては

行けない、光秀のような部下に好かれる「良い人」では惜しむらくも先へ進めないというような

私にとっても痛い結論で閉じられました。





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