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「百年文庫(008) 罪」 ツヴァイク、魯迅、トルストイ 著

出版社:ポプラ社 ISBN:9784591118900 値段:788円(税込)

(008)罪 (百年文庫)/ポプラ社
¥788
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あらすじ:「ノアの箱舟から放たれた最後の鳩は、今も永遠の平和を求めて飛び続けている―。旧約聖書に題材をとった小品(ツヴァイク『第三の鳩の物語』)。目的地へ急ぐ車上から目にした一瞬の光景。それは生涯、「私」を赤面させる温かな叱責であり続けるだろう(魯迅『小さな出来事』)。美男の青年近衛士官が突然、輝かしい未来を捨てて修道院に入った。贖罪を求めて彷徨する魂を描いたトルストイ晩年の傑作『神父セルギイ』。胸底に灯をともす、文豪の誠実と愛。」


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今回は、「百年文庫(008)罪」を紹介していきます。「罪」ときくとなかなか重々しい感じがしますね。「罪の意識」というものは人間の心が一番揺れ動く瞬間ですし、作家さんが力を一番入れて描きたいと思うモノなのかもしれないですね。


しかしながら、今回そういう長い長い心の葛藤を描いているのは最後の「神父セルギイ」くらいですかね。あとのツヴァイク、魯迅はどちらも8P位の本当に短い作品なので、構成としてはややアンバランスに見えなくもないですが、作品の長さに関係なくどれも素晴らしい作品です。


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「第三の鳩の物語」…ツヴァイクの作品。聖書の物語に「ノアの方舟」の話があり、その中でノアが三羽のハトを飛び立たせるシーンがあり、そのうち2羽は戻ってきますが、最後に飛ばした鳩だけは何故か戻ってこない。それをみてノアは「世界が平和に取り戻したのだ」と感じてノアたちは外界に出ていく事になる。ツヴァイクはここで、何故戻ってこなかったのだろうかという所に疑問を持ち独自の理論を展開させていく。


読んでいて「この人、第三の鳩に自分を投影しているんじゃないか」と感じた。解説を読んでみるとツヴァイクはユダヤ系。生きている間に第1次世界大戦、第2次世界大戦が起こります。作品内での第三の鳩の自由になった後の苦難の道は、まさに著者が歩んできた自分の人生なのではないか?と勘繰りたくなってしまうのは仕方ない。短い作品ながら、「平和を求めてさまよう」第三の鳩の旅から目を離すことが出来なかった。


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「小さな出来事」…魯迅の作品。魯迅というと名前は聞くけれども、読んだことのない作家でした。いまいち、とっつきづらい印象があった。しかし、読んでみると案外読みやすい。「なんでとっつきづらい」と思ったのか…、分からない。


これは、ある日に起きた魯迅の本当に些細な、でも心に残った出来事を描いたもの。さらっと読んでしまった為に、あまり印象に残っていなかったのでもう一度読み直すと「あ~、はいはい」となるもであった。僕にとっては魯迅が言う様に「子曰く、詩に云う」の詩と同様の印象しか最初は持てなかったという事だろうか。2度読むと、「現代の忙しない日本において、もしかしたら自分を含めてこういう人の方が多くなってきているかも…。」と思ってしまった。それをみて、どう行動するのか、それを考えながら読むと良いかもしれないね。


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「神父セルギイ」…トルストイの作品。昔恰好つけて「人生論」なんていうのを手にしてしばらく読んだのだけれども、その頃の僕は読書なんて言うのは好きではなかったものだから途中で投げ出してしまい、それ以来トルストイ=「なんだか難しい作家」という印象が強かったので、正直、ドストエフスキーを読むとき以上にかなり緊張して読んでいた。この作品すら読めなくて投げ出してしまったらどうしようかと。


ロシアの文豪なので、扱う「テーマ=罪」に対しての描き方が凄いなと思いました。中編ながら重厚でした。


完璧主義者だけど癇癪持ちの主人公は出世欲のある士官だった。しかし、その結果、自分が士官学校の頃から敬愛していた皇帝の一年前までの思い人である人物と許嫁の関係になる。しかしこのこと(皇帝の許嫁であった事)は許嫁の方が隠していた事で、それを結婚する日取りも何もかも決まった後に聴かされ主人公はショックを受ける。あまつさえなにも知らぬ皇帝からは結婚の祝福の言葉をもらっていたので尚更彼はショックを受ける。結果彼は周囲から見れば不可解な行動=「修道院入り」を決意したわけである。


もとから真面目な人間で、ましてや世俗との縁を切るために修道院へ入ったのだから禁欲も何という事はない。よって彼は段々と出世の道も開かれてくる。そういうものから切り離されたかった彼にとってそれはかつての生活と何も変わらない。彼は遂に癇癪を爆発させてしまったりして、結局隠者になる。


隠者になって今度こそ神への道を究めようとするも、そのうち「~を救った」とかそういう情報が世間に流れ始めてくる。そうなるとその恩恵を授かろうとヒトが殺到する。

修道院時代よりは神への道に近づいたと思うのですが、彼の中にふとした疑念がよぎる。「自分は神への道を究めているのだろうか?では、何故自分は常に禁欲をしているなんて思うんだ?」なんて感情が湧いてくるし、次第次第に来る人たちを「捌く」だけの生活になってしまい、「彼の心の中の泉は枯れ果ててしまったのだ」と感じるようになる。


真の聖職者って何だろうか?と思ってしまう作品だった。彼が最後に選んだのは一体どういう生活か。それはある意味、現代社会への皮肉とも受け取れるモノだと思った。つまり、聖職者だけでなく、我々人間が「どう生きるのが本来は正しいのだろうか」という答えの一つの境地だと思いました。


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罪というのは、悪い事のように思えるけれども、大なり小なり人間は「罪」を抱えています。産まれた事が罪なのですなんていう格言もある位ですし。しかし、問題はその「罪」を認識し、どう受け止めるかなのではないかとも思うのですが…。


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次回は、久々の森博嗣さんの作品。

今回はシリーズ外の作品で行こうかと思います。

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