戸倉の未成隧道3の続きです。
歩きやすい。歩きやすすぎる。これ、樵楽勝でしょ。
そして車通れるでしょ。
うわー釈然としない。樵絶対避けないよ。
もしかしたら昭和に改修されてたのかも。
でも資料もみつからないし、明治道のままのほうがロマンあるし、明治道だって思って歩こう。そうしよう。
石積いいですなー。むふふ。
途中には
こんな構造物が。
何かと思ったら
でした。どのくらいの頻度でメンテナンスされるものかわからないけど、定期的に人が入ってきてるのかもしれません。
明治道も旧道も鳥取県側で沢を一つ越えてます。明治道は旧道よりおおきーく沢をまいて、これ以上はというところで小さい橋で渡っています。小さい橋と言ってもこの明治道中では最大の遺構です。
、
残念ながら木橋だったのか橋台のみですが、これがなかなか立派。
人と比べてこんな感じ。大きいでしょ。
沢にはほとんど水が流れていなかったので、この橋台は大げさにみえました。が、そんなこといり、この規模の遺構が残ってくれていることが重要で嬉しい。ふふふ。
ああ、橋が架かっていたときはどんな景色だったんだろうなー。