京都・天橋立,元伊勢への旅。
天橋立に到着後、まずは、籠(この)神社さんに参拝しました。
☆籠神社の鳥居。
☆大和さざれ石。
さざれ石が集まってこんなに大きな岩になったそうです!
ちょうど鳥居の前にいた数分のあいだに、
偶然
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
朱鳥先生が「あ、宮司様」とお声をかけてくださり、
私たちをご紹介くださいました。
現在の八十二代目宮司様は白髪混じりの素敵な方で、
籠神社さんは、神社の始まり(神代の時代)からずっと
御祭神・彦火明命(ひこほあかりのみこと)の血脈(海部氏)のご子孫で
御守りされていることや、
天照大神・豊受大神を、血脈のご子孫が宮司家となってお祀りされているのは、
日本全国広しと言えど籠神社さんだけであることや、
倭姫(やまとひめ)のことなど…
貴重なお話を聴かせてくださいました。
もう少し「天照大神 御鎮座伝承」についてパンフレットからご紹介しますと・・・
(昨日からなぜか、このあたりの歴史に強烈に惹かれております
![きゃー](https://emoji.ameba.jp/img/user/yo/yondahonmitaeiga/245077.gif)
第十代崇神天皇6年まで、宮中でお祀りされていた天照大神は、
皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託され
宮中の外にお祀りされることになりました。
最初にお祀りされた場所は、倭国の笠縫邑(かさぬいむら)です。
その次、崇神天皇39年に天照大神と豊受大神をご一緒にお祀りしたのが、
(1)でもご紹介した通り、こちらの真名井神社さん(古称 吉佐宮(よさのみや))です。
その後、皇女 豊鍬入姫命は各地を巡られましたが、
垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)に引き継がれ、
垂仁天皇26年9月に倭姫命が、伊勢の地に神宮(内宮)をご創祀になりました。
倭姫の御母神である比婆須比売命(ひばすひめのみこと)は、
籠神社の宮司家の直系ご子孫であり、垂仁天皇のお后に上がられたので、
倭姫は、宮司家の外孫に当たられるそうです。
「丹後(『古事記』の時代は丹波国)と大和の血を引く倭姫命が、
天照大神を伊勢までお遷しになったという伝承は大変意味深いことと云えます。」と、
パンフレットにも書かれています。
天河神社さんの能舞台で舞を奉納させていただいた折、
「大和舞姫(やまとまいひめ)」というユニット名を名付けたこともあるのか、
「倭姫(やまとひめ)」という名には、どうも昨日から妙に反応してしまうのでした(*゚ー゚)ゞ
6月30日は、ちょうど「夏越の大祓 で茅の輪くぐり」が設置されていたので、
みんなで茅の輪をくぐりました。
☆本殿にて参拝。
朱鳥先生とみさよさん&ひろちゃんご夫妻が
籠神社さんの講(応援の会のようなもの)に入っておられるので、
中に入ってお祓いをしていただいたあと
一人一人参拝させていただき、直会の御神酒も戴きました。
さらに、籠神社さんに今回初参拝のNapuaちゃんとわたし、そして朱鳥先生とで、
籠(この)神社さんにて正式参拝によるご祈祷もしていただきました。
社務所で手続きを済ませて
正式参拝をしていただく「青龍殿」に向かうと、
ものすごく美しい桃色(上)と水色(下)の組合せの装束を来た神職の方が、立って
わたしたちを待ってくださっていました。
目にも眩しい桃橙色の装束を一目みて、
Napuaちゃんとわたしは顔を見合わせて、「ピンク」 と、
それだけですでに感動してしまいました。
正式参拝をしてくださった神職の方は、とても若くていらして初々しく、
一つ一つの所作や祝詞を、至極丁寧に
執り行ってくださっていることが伝わってきました。
一つ一つの所作がとても美しくて気持ちよく、すがすがしく、
こちらもあらためて気持ちが引き締まるような
心持ちになれました
前の晩に、ベランダでメッセージがおりてきたこと――
(今回はこれを決意&誓願してお力を賜り、
日本の神々の皆さまとサポートしあいながら働かせていただくために
参拝させていただくのだな)
と感じていたことについても、はっきりと誓願をさせていただきました。
ありがとうございます☆\(^o^)/☆
とてもありがたい想いで満たされた
正式参拝のひとときでした
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